未完
5月4日㈭に「浜松漫才グランプリ」に出てきました。
僕にとっては特別な大会でした。
昨年、正確には一昨年に第1回目が開催予定でしたが
コロナで延期になり
第1回と第2回が昨年、連日開催され
僕は1日目に開催された第1回を観に行きました。
僕は静岡県の磐田市出身で
浜松市の隣ということもあり
浜松で開催されるお笑いライブはほぼ地元のライブという感覚もあって
僕がまだ地元に住んでる頃には
そういうお笑いライブというものはまだ盛んではなかったので(たぶん)
この浜松漫才グランプリというのが開かれるというのを知った時に
絶対に出てみたいと思いました。
お笑いやるなら大阪か東京だろという固定観念にとらわれ
僕は東京の方に出てきたので
どうしても地元と東京は別世界、
東京にいるときは芸人モードでいられるけど
地元に帰ると昔のまだ芸人を始める前の感覚になってしまうのか
ただオフモードになってしまうのかわからないのだけど
この2つの場所は自分の中で切り離された世界でした。
それは触れ合う人が違うからということが大きいからだと思います。
東京ではたくさんの芸人と触れ合いながら生活してるし
地元に帰れば芸人じゃない人と多く触れ合うことになるから
そういう感覚になっていたのだと。
だからこそ浜松という地で
芸人に触れ合いながらお笑いが出来るということが
僕にとっては二つの世界が重なり合う夢のような時間なのです。
東京に出てきてもう10年以上経ちましたが
年月を重ねる毎に
どんどん帰りたくない思いが増してきました。
始めの頃は
売れたら地元に家を建てて
そこから東京とかいろんなところへ仕事へ向かうのが夢だったくらい
地元愛が強かったのですが
いつしかその想いも薄れていきました。
素敵な仲間にも会えて
圧倒的に楽しいこちらの生活にどっぷり浸かってしまい
もう故郷は捨てたというべきか
思い出も愛も薄くなっていきました。
東京に出てきて
初めて所属した事務所に「がるるまん」さんという
浜松出身の芸人さんがいて、すごく親近感がわいて
嬉々としてしゃべりかけていたことが懐かしいです。
近い地域で育ってきた人と東京で出会い
一緒に同じ夢を追いかけているというのが
その時の僕の心に大きく炎を焚きつけていました。
同じ磐田市出身の芸人さん「ヴィレッジ」さんが東京で奮闘している
というのを知った時も電撃が走りました。
中学生くらいの頃からお笑いの世界に惹かれ始め
芸人になってからも
テレビを観てはインターネットで調べたりして
芸人さんの名前とかはどんどんたくさん覚えていく中で
アミーパークに「ヴィレッジ」さんという
磐田出身の人たちがいるとわかったときは
いつか会ってみたいなあなんて夢をみていました。
遠くで輝いている星を眺めながら
一寸先で燃えている星を追いかけていたら
いつのまにか僕もこの星屑の中で火花を散らせていました。
昨年の浜松漫才グランプリ、僕たちは予選通過ならず
自分が通らなかったこの大会はどんなもんだろうと
ゴールデンウィークに帰省するついでに見に行き
そこでヴィレッジさんを初めて生で見ました。
もしこの大会に出れていれば、ぼくはあのヴィレッジさんに
触れることができたのに。
チャンスが近くにあったのに。
そういう思いもあって、予選通らなかったのが悔しくて
もちろん東京で同じようにやってる芸人さんが出てて
僕は出れてないというのもあって
なんとかあの浜松窓枠立ちてえなあと
嫉妬や悔しさもどかしさ、焦りを感じながら
去年はそこにいました。
それから数ヶ月経ち、
東京のライブで偶然ヴィレッジさんに会う機会がありました。
これはチャンス!と話しかけて
浜松GPの話をぶつけて
来年は僕たちが獲りますよと大口を叩かせてもらったのです。
本当に思っていたし、言葉にしてからはよりいっそう、
浜松で勝ちたいと思うようになってきた。
やっぱり僕はまだ故郷を捨ててなかったんだなって思いました。
やっぱりあの育ってきた地でなんか残したいし
東京で日本で世界でテッペン獲るとかじゃなくて
もっと現実的で、でも今の自分には到底無理だろうという僕の目的地は
あの生まれ育った土地でお笑いの仕事をすることなのです。
そのために東京で面白いやつらに揉まれながら
修行してるんだなって思い出しました。
見せつけてやりたい。
昔の僕のように
田舎でモヤモヤしながら生きてるあいつらに
僕はそこから抜け出したくて
変わりたくて
ここまで来れて今お前の目の前に立ってるんだぞっていうのを。
そんな思いから
今回の浜松漫才グランプリに出て
正直M-1とかキングオブコントくらい、いやそれ以上に緊張した。
絶対に勝ってやる、爆笑とってやるって奮い立たせてたから。
だから会場着いても
色んな人としゃべりたかったけどそんな余裕もないし
喋っちゃったらこの必要な緊張が解けちゃうっていうのもあったしで
なるべく、誰ともしゃべらなかった。
一緒に出ていた「ひよしなかよし」さんは
元々同じ事務所にいたときの先輩で
けっこう世話になっていたので
この浜松で再会できたのがすごく嬉しくて
もっといろいろ喋りたかった。
「お銀の一番弟子」さんは
練馬の和室でそれはそれは怪しげに開かれていた東京芸能ライブに一緒に出ていた間柄だったので
練馬でも浜松でも会うことになって
それももっと話したかった。
他にも浜松で活動している芸人さんとか
出身がここら辺の芸人さんとかいただろうに
全く喋れなかった。
終わったら喋ろうと思っていたのだ。
ライブ終わったあとの打ち上げでたくさんお話しようって。
極度の緊張の中挑んだこの大会、
なんとか最終決戦に勝ち上がり
運よく優勝できました。
でも気持ちよく「勝ちました!」と言える勝ち方ではなかった。
圧倒的にウケたわけではなかったからです。
小道具を使った漫才だからこれは漫才じゃないよね?という意見は
もうどうでもよくて
僕たちなりの漫才はぶつけてみたものの
やはり勝った感覚がない。
ひよしなかよしさんの方がお客さんたくさん笑ってたし
ガーベラガーデンさんも拍手笑いとかもあって盛り上がってたし
他の組も僕は見れなかったけど
もっとウケていた組があったかもしれない。
だから僕たちもけっこうビックリしました。
舞台袖でひよしなかよしさんとガーベラガーデンさんのネタを聞いていた時
客席の笑い声が起こる度にどんどん魂が体から離れていくようでした。
今年はダメだったか・・・・と諦めていました。
ただこの大会が普通のライブと違うのは
お客さんの票数で優勝が決まるのではなくて
最終決戦に関しては審査員の話し合いで決まるということでした。
審査員一人一人の審査基準があって
もちろんそれはお客さんの価値観とは違うこともあるので
必ずしも優勝が誰になるかはお客さんの気持ちと合うわけではないので
これはしょうがないのですが
なんだかんだで僕たちは優勝させてもらいました。
会場の「ん??インザパークが!?」という一部の空気は
もちろん感じました。
それが悔しかった。
言うなれば判定勝ちみたいな感じだろうか。
KOできなかった。
圧倒的にウケての優勝ではなかった。
だから
終わったあと楽屋帰ったら
もう誰も残ってなくて打ち上げもできなかったのかって
みんな不満を抱えながら帰っちまったんじゃねえかって
なんかやっぱり素直に喜べない。
正直M-1とかの賞レースって嫌いで
お笑いは優劣なんてつけるもんじゃないし
つけれるもんでもないと思ってるし
賞レース勝ち上がらなくても
バカみたいに面白い人たくさんいるのも知ってるから
そういうのに勝った負けたで落ち込むのは野暮だろうと思ってる。
誰か一人でも
そいつの心臓ごと笑わせられたらもう十分じゃんって。
でも実際にこういう大会に挑んじゃうと
どうしても
あのコンビよりも、あの人よりも
もっとウケたいって思っちゃう。
勝ちたいって。
勝敗なんてないのに。
でもそれで真剣にもっとウケようとして頑張れるし
もっと面白くなるにはどうすればいいか熟考もするし
結果的には勝敗を決めるのは理にかなってるのかもしれない。
今回の浜松漫才グランプリは
どうしても勝ちたいと思って臨めたからこそ
やる前も終わったあともたくさん悩んで
「優勝しました嬉しいです」で終わらずに
もっと面白くなりてえなって心から思えました。
来年も浜松出たい。
もっと浜松で笑い声浴びたい。
そのために東京でもっと叩き上げる。
僕たちのこれからの動き、結果で
浜松漫才グランプリの価値が大きく変わるのだ。
やっぱりあいつらが優勝して納得だったって思わせるのも
これからの僕らのおもしろ濃度の上昇次第。
だからまだ僕の中ではこの大会は終わってない。
こんだけ結果出してんだから優勝って堂々と言ってもいいよね?
って思えるくらい結果出したらようやく優勝ってことにします。
だからまだ終わってない。
早く終わらせて打ち上げしたい。
追伸
地元、磐田に近い水窪出身の「八幡カオルさん」にも
先日、脱出ゲームに参加した際、お会いできました。
去年は掛川出身の「ラバーガールの飛永さん」にも会えました。
着々と、静岡県西部出身芸人図鑑を埋めていってます。
元のろしの永田さんが袋井でガソリンスタンドで働いているみたいなので
いつか会ってみたいです。
高校生の頃、のろしさんの静岡の番組「のろしをあげろ」見てたなあ。