『腕時計』
・『腕時計』
SNSをみていたら、総理大臣の腕時計まとめという投稿が流れてきた。安倍総理、麻生総理、石破総理、、、あと一人は、、どの総理だったかな。忘れた。とにかく4人分の総理の腕時計と値段がまとめられた写真が流れてきた。
国の総理大臣というくらいだから、100万とか200万とかの腕時計をつけているのかと思ったが、意外にも30万円前後の価格帯に収まっていた。もちろんしっかりした値段だけど、予想よりもだいぶ安い。総理の腕時計に関してはいろんな意見があると思う。もっといいのをつけたほうがいいとか、税金で収入を得ているのだから妥当だとか、各々好きなものをつけたらいいだとか。
僕の意見としては、ギラギラとしたいやらしいものでなければ、最高級のものをつけたほうがいいんじゃないかなと。国のリーダーだから舐められたらいけないんじゃないか。もちろん、30万の価格帯のもので「これが私の思う最高の時計」と考えているのであればそれでいい。だけど、4人の総理が同じような価格帯をつけているというのは明らかに「あまり高すぎる腕時計をつけるのはよくない」という慣習の匂いを感じる。実に日本っぽい。公の場では当たり障りのない時計をつけておこうということなのかもしれない。
と、腕時計について想いを巡らせながら僕の左腕を見る。僕の左腕には何もない。普段から時計をつける習慣がない。時間を確認するときは、スマホやパソコンになる。そこで不便を感じたことはない。たしか、高校生のときはチープな時計をつけていた。時間に合わせて規則正しく動かないといけなかったからね。スマホもみれないし。今は就職しているわけでもないし、時間に追われているわけでもないから必要性を感じてないってことなのかな。
おそらく、今後もつけることはないだろう。もしかしたらファッションとしてつけることはあるのかも。だけど、なんだか腕時計って手錠みたいじゃないか?総理大臣が時計をつけている様子をみたとき、時間に囚われた生き物のような錯覚に陥った。まるで時間の奴隷のよう。動物の中で時間を気にして生きているのは人間だけだ。時間という概念は自然界には存在しない。ただ移り変わる景色があるだけ。時間というのは人間社会の発展で生まれたものだ。母親のお腹から出た時、腕時計はしていなかった。もし本能的に時間を把握する必要があるのなら、時計がなくても正確な時間が本能的にわかるはずだ。僕は時間から解き放たれたい時がある。だから時間の手錠はなるべくつけずに生きていたい。