祭りの後で【藤井風Feelin Good】
会場に近づくと、徐々にそれらしい人たちが集っていく。新横浜駅で降りる頃には長蛇の列ができていて、駅員さんの指示に従いながら日産スタジアムへと向かった。
今日は藤井風さんのライブ。全二日のライブで、計14万人を動員するらしい。もはやこの規模になるとよくわからない。半分で割るから、一日あたり7万人ってことか。その意味はほどなくスタジアムへと向かう道で知るのだった。
とにかく人、人、人。野外スタジオということもあり、近くの公園の木陰で開演までの時間を潰すことにしたのだが、僕を脇目に人だかりは途切れることなく延々と会場へと流れていく。すごい。藤井風を好きな人が同じ目的のために同じ場所に集うことの意味を体感した。
ライブというくくりでいうと、今年は福岡の野外フェスに参加したのだが、それは複数アーティストが参加するものなので、集うという意味もまた変わってくる。今回はひとりのアーティストを見るために14万もの人があつまるのだ。その数字の持つ意味を僕はひしひしと体感した。
開演時間まで45分ほどになり、日も落ちて涼しくなってきたので会場へと向かう。まるで永遠かのような人の列は、お祭りの会場へとどんどん進む。足を進めるたびに自分のボルテージがあがっていくのが分かる。会場に近づいていくと、ライブのポスターやのれんが現れた。ああ、僕は藤井風のライブを見に来たのだ。と実感すると同時に、お祭りの始まりを感じる。ライブは祭りだ。最高の祭り。会場に向かう人たちの顔は笑顔で友達や家族、パートナーとともに雑談を交わし進む。今回、僕はひとりで参戦したが、いつかは誰かとこういう大きなライブを見にきたい。誰かと見た方が楽しいはずだ。
そんなことを考えていると、スタジアムが現れた。とにかくでかい。あらためて人の多さに圧巻させられる。こんなに人を集められるってどんなにすごいことなんだろう。
スマホに入れた電子チケットで会場へ入っていく。張り紙を見ると、ライブ後は規制退場になるらしい。そりゃそうだよね。なんせ、万単位で人が動くわけで。そんな人間が一気に動いたら大混乱だ。事故が起きかねない。きっとこのイベントを作るにあたって膨大な数の気配りや仕組みがあるんだ。たくさんの人が関わってこのイベントを作っているんだと感じた。たくさんの人が頭を使って体を動かして作り上げているんだ。すごい。もう僕はずっと圧巻されっぱなしだ。
ゲートをくぐり、スタジアム内に入ると、ぶち抜きの天井に雲を構えた青空、ぐわっと膨大な数の人がアリのようにひしめきあい視界に収まらない広大な会場を埋め尽くしていく。規模が大きすぎて意味が分からない。どんな人生を歩めばこんなたくさんの人を引き付けられるのだろう。チケットだって安くないし、交通費などを含めたらきっといっぱいお金がかかっている。時間もエネルギーも相当使うはずだ。でもそれを出してもよいと思えるほどの熱量。すごい。開いた口がふさがらないとはまさにこういうときに使うのだろう。
割とスムーズに指定席を見つけた。ステージからは少し遠いバックスタンド席。アリーナ席の人いいなあ、と思いながらも、こればっかりは仕方がない。チケットが当たっただけで超ラッキーなのだ。でも、やっぱり近くで見たかったな。
そわそわしながら、徐々に開演が近づく。入場がもたついているのか、予定時間になってもまだ人が動いていて始まる感じはしなかった。こういうズレは想定内というか、こういうものなのかな?こんなに大きな規模のライブは初めてなので普通が分からない。とにもかくにも待つしかできないので、水をちびちび飲みながら待つ。
突然歓声があがる。何事かと立ち上がるがステージには風さんはいない。何事?何が起きている?近くの席の人も何が起きているか分かってない様子。
ステージのモニターに藤井風さんの姿、あ、観客席にいる!どよめく会場、なんて遊び心溢れる登場だろう。もっと、派手なBGMとともにステージから登場するものだと思っていた僕はとても驚いた。きっと会場のみんなもそう思っていたに違いない。あいにく真反対のスタンド席からの登場だったので、肉眼では小さすぎて分からない。けど、確実にそこにいる。風さんと同じ空間にいる。モニターには、観客をかき分けてどうどうと歩く風さんの姿。僕は生まれて初めてこの言葉を心から思った。ビジュがよすぎる。ただ歩いているだけなのに、絵になる。僕の脳裏には、カリスマという単語が連呼していた。彼は間違いなくカリスマだ。
歩いて中央の広場へと向かう風さん。そこにはピアノが設置している。彼がピアノに触れると、美しい音色が祭りの始まりを告げる。
・・・
そこからのライブはあっという間に時間がすぎていった。時間よ止まれと思いながらもどんどんと曲が進んでいく。僕は白昼夢を見ているようだった。今回のライブは素晴らしいシーンのオンパレードだったのだが、その中でも特に印象的だったシーンが2つある。ひとつは日が暮れたあとに、観客がスマホのライトをペンライトのように扱ったシーン。星みたいだった。僕もライトを付けて参加すると、自分も星のひとつになったような気分。そのとき脳裏によぎったのは、僕もいつかは同じ場所に帰れるのだという安心感。一人一人違う星、違う光を持って生きているのだけれど、でも僕たちは同じ星なので、じつは帰る場所は同じなんだって。なんだかそれを感じて。僕はこの大規模のライブに少し気圧されていた部分があったのだけれど、でも、7万人ここにいることの意味をその瞬間により体感したというか。なんか安心したんだよね。全然しらない他人の集まりなのに、その繋がりに安心するっていうのは、なんだか忘れている人間本来の感覚を取り戻したような気がして僕は感極まるものがあった。
2つ目は最後の楽曲、まつりだ。楽曲前後のMCと花火の演出に僕は、なんだろう。感動とか感激とは違くて。安心したというか。ずっと誰かに背中を押されたかったのだと、ずっと苦しかったんだなっていうのが分かって。そう、僕はどこかでずっと生きていくことの苦しさを感じていた。でも生きることをあきらめたくなんてないし、そんなの悲しい。だから一生懸命、いままで自分を励ましてきた。だけど本当は、誰かから強く背中を押されたかったのだ。生きていくことが楽しいことなのだと誰かに本気で祝ってほしかったんだと思う。それこそ、花火をあげちゃうくらい。まつりは、もちろんライブの前からもよく聞いていたお気に入りの曲だけど、僕の中でこの曲はライブを通じて特別なものに変わった。最後の一押しは風さんの声と、花火だったと思う。僕は自分の中に安らかなものが宿るのを感じて、安心して泣いた。風さんを先頭にして、ここに集まったみんなに背中をおされたんだと思う。
ライブは終わった。終始優しいライブだった。大きな会場に風さんをはじめとするみんなの細やかな配慮や優しさをつぶさに感じた。まつり、まつり、という短いフレーズとともに風さんが自転車で会場を一周する。僕は手を振り返す。風さんのライブは終わったけれど、僕はむしろ祭りの始まりを自分の中に感じて、なんどもまつりを頭の中で歌った。
まつり、まつり
毎日愛しき何かの
まつり、まつり
あれもこれもがありがたし
苦しむことはなんもない
肩落とすことは一切ない
きっとこのタイミングだったのだろう。僕は風さんに呼ばれたんだと思う。映像じゃここまでは無理だったかもしれない。風さんを、会場のみんなを、花火を、自分の体で感じたからこそ、僕は安心できたんだ。
家へと帰る道のりで、僕はなんどもまつりを聞いた。これからの人生を祝うように。きっと苦しいこともある。悲しいこともある。だけど、僕はまつりを続けようと思う