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クモの大失敗

最近、僕の中でもちきりな話題といえばもっぱら子猫だ。コンビニにいた子猫を保護した。台風10号が過ぎ去ったあと、突然現れた。一度見かけたときは、野良でもやっていけるかとも思ったけど、後日、石をカジっている姿をみたのと、妙に人懐っこい性格、車の出入りが激しいコンビニにどうやら住み着いているということもあり、家で飼うことに決めた。家に戻って道具の準備をし、いざ保護しようとなったときに、姿が見えなくなって焦ったのだが、2日後にコンビニ裏の室外機に身を潜めているのを発見した。数日保護して様子をみた後、今日の朝、動物病院へ連れて行った。ちなみに、体調はめちゃくちゃ良い。元気すぎるくらい。だけど、病院で検査したら、フンから虫が見つかってしまった。早く自由にさせてあげたいけれど、うちには別の猫がいるので、もうしばらくは隔離する必要がありそうだ。受付の人に名前を聞かれたが、名前はまだ決まっていない。名前が決まったら教えてくださいねと言われる。はい、と返事したが、いつどのタイミングで教えたらいいのだろう。電話で連絡したらいいのだろうか。「あ、あの、、この子の名前は、、風丸です!」って連絡したらいいのかな。「お、おめでとうございます!」って言ってくれますか?笑 なんだか大袈裟な気もするので、2週間後、来院したときに伝えることにする。実は名前はほぼほぼ決まっている。風丸(かざまる)だ。台風10号の後に現れたから、それにちなんだ名前にしたかった。最初、台風10号の名前である「サンサン」にしようかと思ったけど、パンダみたいなので却下した。サンでもいいけど、うーん。そんなこんなで唸っていると、風丸という名前の候補が浮かんだ。やんちゃな性格にもぴったりだ。だけど、保護したばかりだし、他にもっといい名前が思いつくかもしれない。そういう考えでとりあえず、受付時には名前を書かなかったけれど、もう風丸で定着しつつあるから書いてもよかったかもなとか考える。ちなみに、名前からわかるとおり、男の子だ。前に飼っていたネコにかなりそっくりでたまに脳みそがバグる。風丸を知れば知るほどよく似ている。尻尾は風丸のほうが少しだけ長い。が、それ以外はほとんど同じ。今その子は別の場所に住んでいて、ちょっとだけ複雑な気持ちになる。だけどそんなことは風丸には関係ないので、僕は精一杯愛情をそそごうと思う。とりあえず、おなかパンパンにご飯を食べられて幸せそう。めちゃくちゃ甘えん坊なのでかわいい。午前の診察が終わって、ゲージに戻し一息つくと、ちょっとびっくりすることが起きていた。クモがパソコンの前に立派な蜘蛛の巣をはりめぐらせている。僕は、思わず笑った。仕事が早すぎる。昨日の夜までそんな痕跡ひとつもなかったのに。気持ち悪いとか、怖いとかよりも、こんな訳のわからないところに立派なクモの巣があっという間にできているこのシュールさに笑えてきたのだ。だけど、さすがに無視はできない。普段、僕はよほどのことがない限り虫は殺さないようにしている。ムカデとゴキブリは例外だけど。その他は基本的に逃がせるときには逃す。だけど、クモさん。お前はダメだ。よくよく見ると、黄色と黒のボディが怖い。家グモならスルーできるけど、お前はいかにも外にいるやつだ。どうやって入ってきたんだろう。とにも書くにも、殺生することを許してほしい。お前が悪い。どこに巣を張っとねん。もちろん、クモ専用の殺虫剤なんて置いてないので、ムカデ用のもので倒すことにする。一振りしてもピンピン、二振りしてもピンピンだが苦しそう。やはり専用のものでないと効きが悪いなとか思いながら、三振り目を濃厚にかけて撃退する。ごめんね。蜘蛛の巣を撤去するが、なかなかに糸の強度も高い。お前はもったいないことをしたなと思う。優秀なクモよ、そのスキルをなぜここで発揮したのだ。僕はこのとき、仕事術をクモに学んだ。どれだけ仕事が早くても、スキルがあっても、方向性が間違っているのであれば、なんの意味もない。逆をいうと、方向性さえあっていれば、ノロノロと仕事をしていても成果にはつながるだろう。このクモは外に巣を張るべきだった。こんなに優れたスキルをもっているのに。仕事もめちゃくちゃ早いのに。巣を張る場所を間違ったばかりに、餌が取れない環境に陣取ったばかりでなく悪目立ちして僕に殺されてしまった。もし、木と木の間とかに巣を張っていたのであれば、今頃贅沢なディナーを楽しんでいたことだろう。明らかな選択ミスだ。僕たちも、選択を間違えてはいけない。ただしく見極めることのほうが大事なんだ。ただしく見極められたら、どんなスピード感でも、いつかは成果につながる。正しい場所に身を置くことの重要性を僕は学んだ。自然から学ぶってきっとこういうことだ。世界から学ぶってこういうことだ。そして、そういう学びは簡単に忘れることはないと思う。自分で気づいたことだから。同じ内容であっても、読書より、本人の声を聞きながら解説してもらったほうが身に入るし、他人に説明されるよりも自分自身で気づいたほうが、身に入る。僕はそう思う。
そういえば、執筆時間を夜に変更してみた。ナイトルーティーンに組み込んでみる。それは、僕が日記というスタンスに戻したことと関係している。朝に日記を書いてみた時期もあったけれど、やっぱり熱量が少しおちる。前の日の出来事を書くことになるから。それに寝坊したときの対応も少し困る。僕はその日の出来事をその日のうちにかき切りたいと思ったので、だったら夜に書くのがいいとなった。それに夜は何をしていいかわからなくなる瞬間がある。少し右往左往する。で、何もできなくて寝るみたいなことがよくある。だったら意味のあることで埋めたほうがいいんじゃないかという考えもあって。僕にとって、執筆はあまり負担のかかる行為じゃない。むしろデトックスに近い。上り坂を登る感覚ではなく、下り坂をすべる感覚なんだ。力がいらない。スイスイ進む。もちろん何も考えていないわけじゃないけど、でも基本的にぼくはなんとなくての赴くままに書いているだけだ。猫を散歩させるときと同じ感じ。猫の散歩は犬の散歩とは違う。犬は多少強引にリードを引っ張ったらついてきてくれるけど、猫はその場に止まろうとするし、いうことはまず聞いてくれない。だから、リードは添えるだけ。いかにリードを感じさせないかが大事。執筆もそんな感じ。なんとなく言いたいことはあるんだろうけど、でも基本それを感じさせないように放置されている。そんな感じ。執筆におけるリードってなんだろう。日記ってスタイルのことなのかもしれない。24時間ってことなのかもしれない。基本的にこの24時間から、飛び出すなよってことなのかも。その中でなら、自由に遊んでいいよと言われているのかも。リードがあるほうが楽。僕はエッセイリストを捨てた。エッセイになりそうなテーマをメモしていたんだけど、全部削除した。結構面白いネタもあったと思うけど、本当に大事なことならきっとまた日常の中に出てくる。だから、わざわざそこだけを取り上げる必要もないかもと思った。その日のことはその日に書き切る。起きたことも、考えたことも。今日だって、猫の散歩中、飛び出してきた野生動物を急に追いかけるんだもん。普段、なるべくゆるゆるにリードをもっているので、急に走り出すと振り切られてしまう。ほどなくして捕まえたけど。こんなことも書いちゃうぞ。だって日記なんだから。思考はむしろ、成熟させたほうが旨みがでるかもとか考える。こういう時、酒をたとえにして語るのがいいのかもだけど、あいにく僕は下戸なので、ふわふわとしたイメージしか語れない。だから、僕は味気のない例えをすると、思考のプロトタイプ。思考の試作品。これは時間の経過とともに余計なものが取れたり必要な物を補って完成に近づく。読書とは僕の中で仮説の獲得。そして仮説とは思考のプロトタイプでもある。プロトタイプを完成品に近づけるには、検証が必要。どこで?現実世界で。現実世界の検証に耐えて、プロトタイプは完成に近づく。だから僕は若いうちにプロトタイプを早くたくさん抱えたほうがいいと思っている。なぜなら、プロトタイプの完成には時間と、現実世界による検証作業が必要だから。早く実りを得るのなら、タネは早く植えたほうがいい。だから、若いうちにそういう思考のプロトタイプをたくさん抱えて生きていくと、40代ぐらいになったときに大きく化けるんじゃないかと思っている。って、こんな話もネタのリストにあったんだけど、大胆にすてた。捨てたけど、今こうして帰ってきたみたい。こんにちは。我ながら面白い視点だと思うんだけどね。無名の声は響かないから仕方がないので僕は僕自身でこれを抱えて生きていくことにする。今日も元気よく無軌道。いいんじゃない混沌。楽しいよ書いてて。

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