数字に貪欲になれているか
仕事とは何か、自分の責任とは何か。
こういったことをかた苦しく考えてみる。
上司から唐突に「君の仕事のゴールは何だ?」と質問されて答えられなかったら、自分は思考停止しているんだなと僕は判断している。
もし答えられない状態でお金をもらっている自分がそこにいたとしたら、本当に恥ずかしいと思う。
だから、そういった「かた苦しいこと」をいちいち考えるようにしている。
組織を取りまとめている人たちは、なんだか余裕ぶっていたり、のほほんとしている人が多いような感じがする。とはいえ、それでもちゃんとかた苦しいことを考えた上で仕事に取り組んでいるから、そういった器になっているんだろうとつくづく思う。
さて、僕の場合の仕事のゴールとは何かを考えたときにいつも即答しているのは、「売り上げをつくること」である。
もっと簡単にいえば「数字をつくること」である。
数字をつくるとか売上というワードがで出てくると営業関係なんだろうなって予測がつくと思うがその通りだ。
ただ、数字をつくることって本当に営業職に限った話なのだろうか。
僕は違うと思う。どんな業種であれ、自分の請け負っている仕事の責任を深く考えたときに何かしらの「数字」にたどり着くのではないだろうか。
アルバイトの子であっても同様だ。例えばアパレルなら何人の人にカゴ配りをしたのか、飲食店なら回転率なのかもしれない。
皆誰しも数字を課せられていて、違うのは数字の項目だ。
僕はその数字が「売上」という項目に着地しているだけで、業種が変わっても何かしらの項目にあたる「数字」をつくることになると考えている。
あと、他と違うのは数字に対する執着かもしれない。
要するに、どれだけ自分の数字をつくることに執着しているのか、その熱意や集中力、実行力といったものには非常にシビアに考えているということだ。
別に数字を意識していようがしていまいが、給料をもらえるなら良しとする考えでもいいかもしれない。
でも、営業なら自分の数字がそのまま給料に反映される。要するに、数字を作ればつくるほど、自分に歩合として入ってくる性質がある。
営業でなくとも、多くはそれがボーナスとして入ってくるだろうけれど、やはり営業に比べるとそこを意識しづらい仕組みになっているのがボーナスだと思う。
営業は給料もそうだが、もちろん会社からのプレッシャーも軽くはない。
仮に自分のつくった数字がゼロであった場合、きちんと会社に出社していたとしても、家で寝ているのと同じとみなされる。
逆に数字を上げられる人間ならば会社にとっては価値なのだ。
こういった非常にシンプルな考え方をもとに、自分が評価をされるのだ。
あとは自分の仕事の価値観も影響してくるだろう。
僕はもちろん稼ぐ比重が大きいので数字をつくることに貪欲になっている部分もあるが、価値観としてぐうたら仕事をする自分がダサいから、きちんと自分の存在意義を考えたいと思っているし、その上で仕事をしている人間の方がやはりかっこいいと思う。だから、面倒くさい人間だなと思いつつ、今日もかた苦しいことを考えるのだ。
その上で、数字に執着する。
そして、今日も売り上げを上げる。
今日も良い1日にします。
2024/03/21