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包み焼きハンバーグ【ホラー短編】


「今日この後ココッシュ行く人ー?みんな行けるー?」

部活終わり、英玲奈がみんなに向かって呼びかける。


coco’shは全国にチェーン展開するハンバーグレストランである。定番メニューの包み焼きハンバーグは、昔某国民的アニメの猫型ロボットがCMに出演し紹介していて印象に残っている人も多いだろう。

鉄のプレートに熱々のハンバーグを内包したアルミホイルが置かれている。どんどん膨らみを増すその中心に、やがて猫型ロボットがナイフを突き立てる。すると中からまるで玉手箱を開けたかのようにミニ猫型ロボットが「ドラドラ~」と鳴き声をあげながら大量に飛び出してくる。そうて湧き上がる湯気の中から、沸々としたソースに浸かっているハンバーグが顔を出す……。

小さい頃、実際に自分でその包みを開いた瞬間のワクワク感は、何にも代えがたく嬉しかったものだ。


はぁ……。真夏だというのに、部室の窓から入り込んでくる日光がいつもよりどんよりと湿っている気がする。
行きたくない、なぁ……。
楽しみにしていたはずの日なのにいざとなると尻込みしてしまい、億劫になる。

「私、今日はちょっと……」
そう言いかけたところで不意に後ろから右腕に何かが絡みついてくる。

「伊織先輩ももちろん行きますよねー?」
一つ後輩の結衣だった。顔に意地の悪い笑みを浮かべながら、圧をかけるように言ってくる。

「だって英玲奈先輩の次って確か、伊織先輩でしたよねー?」
追随するように、二つ後輩の春子がそう言いながら結衣とは逆の方の腕に体を絡ませてくる。私の顔を下から覗き込んで、幼さの残る顔に屈託のない笑みを輝かせている。

「そりゃそうじゃん!三年は英玲奈先輩と伊織先輩の2人しかいないんだから!」
結衣と春子が顔を見合わせて大笑いする。

そう、三年生はもう私と英玲奈の2人しかいない。
二年は結衣を含め7人。一年は春子を含め6人。

「よし、全員行けるね!それじゃ早速向かいましょー」
英玲奈はそう言い放ち、カールした茶色い毛先を揺らしながら、先頭を切って部室を飛び出していった。



結衣と春子に両側からがっしりと腕を組まれながらココッシュへの道を歩く。ただでさえ辟易するほどの暑さなのに、こう密着されると余計に頭がボーッとしてくる。

小柄な春子にとって私の腕の位置は若干高いらしく、少し歩きにくそうだった。斜め上から、春子の胸元をちらりと一瞥する。華奢に浮き出た鎖骨にじんわりと汗が浮かんでいる。

CMの中で子ども達が合唱していた歌を、二人で愉快に口ずさんでいる。
あぁ……。

熱く湿った風が、道路沿いの木々をざわざわと揺らしながら通り過ぎていく。

他の後輩たちも、英玲奈も、皆楽しそうな表情を顔に浮かべながら会話に花を咲かせている。
あぁ……私は……。


やがてココッシュに到着し、カウンターで英玲奈が快活な声で注文を告げる。
「包み焼きハンバーグ!粗挽きで。14人分にしてください」

「かしこまりました」
店員がやってきて、私たちを席まで誘導してくれる。

「では、こちらへどうぞ」



店の一番奥の壁際のエリアに案内された。四つのテーブル席を結合し、奥から詰めて座った。

「楽しみだねー」
「やっぱ粗挽きなんだねー」

目を輝かせ、嬉々としてそんな話で盛り上がるメンバーを横目に、私はこれから始まろうとしている事への緊張に心臓を痛める。

平日の夕方17時。ディナーには少し早い時間であるが、店はすでに半分ほどの席が埋まっているように見える。
母親と子ども。杖をついた老夫婦。私たちと同世代の、恐らく部活終わりのサッカー部。その顔の全てに、ファミレスという場の存在を象徴するような明るい光が宿っている。そんな中、自分だけが世界から孤立している気分になる。

そんな状態で20分ほど時間が経った頃、「お待たせいたしました」と数人の店員が人数分の包み焼きハンバーグをカートに乗せて運んでくる。

高温に熱せられた鉄のプレートの上、銀紙に包まれたハンバーグ達がジュウジュウとやかましい音を立てて共鳴している。

「うわー!もう最高!私最初に食べていいー?」
目の前に置かれた、パンパンに膨れ上がったアルミホイルに目を輝かせながら、結衣がナイフとフォークに手を伸ばす。

「いいですよー」という周りの返事を待つ暇もなく、結衣はナイフの先端をアルミホイルの腹に突き立てる。その瞬間。

パァン!!

空を裂くような破裂音がフロアに轟く。刃を突き立てた部分からアルミホイルが風船が割れるように張り裂け、中からドロドロとした赤黒い塊が、ものすごい勢いで飛び出してくる。それはそのままベチャア!と結衣の顔に打ち付けられ、まるで防犯用のカラーボールをぶつけた時のようにソースを周りに飛び散らせる。

「あーひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!!」

結衣の狂ったような笑い声が店内中に響き渡る。そしてベロを下品に振り回し、口の周りに飛び散ったソースをジュルジュルと舐めまわす。

おー、という歓声が後輩達から湧き上がる。皆、自身の服や顔に飛び散ったソースを気にする素振りはない。
他の客達も、そんな明らかに異質なこちらのテーブルは気にも留めず、各々の談笑を継続している。まるで私たちのいるテーブルだけ、この空間とは別の次元に存在しているかのような錯覚に陥る。

結衣は右目の窪みにグチャアと付着した、まだ筋張った繊維が目立つ肉塊を素手で掴み取り、音を立てて夢中でむしゃぶりつく。あぁ、あれは……。

「あー、もう私我慢できないです!」

痺れを切らした様子の春子がそう言ってナイフを手に取り、今にも破けんばかりに膨らんだアルミホイルに突き立てる。するとまた。

パァァン!!!

待たされた分のフラストレーションを解放するが如く、先ほどよりも鋭い音を立ててアルミホイルが爆発する。そしてそこから発射されたドロドロの肉塊が春子の顔面にものすごい勢いで直撃する。派手にソースを飛び散らせ、結衣の時よりもやや柔らかそうに見える肉塊がドロォと顔面を伝う。

「キャハハハハ!!キャハハ!!キャハハハハハハハハ!!!」

春子の金属音のような甲高い笑い声が店内中に響き渡る。
周りからは驚愕とも感嘆とも取れる歓声が漏れる。ある者は陶酔したような表情を浮かべ指を顔の前で組み、ある者は頬を紅潮させながら自身の肩を抱き、すごい、さすがなどと口走っている。

春子は顔面を垂れる肉塊を両手でこそげ取り、ズルズルと下品な音を立てながら啜るように貪る。肉には何やら白っぽい粒のようなものが混じっていて、それをガリガリと音を立てて咀嚼する。あぁ、あれは……あそこは……。

そして私も、私もと、他のメンバー達も次々と目の前に置かれた包み焼きハンバーグにナイフを突き立てていく。
パァン!パァン!と銃声のような破裂音が連続して響き、それに追随して、それぞれ少しずつ質感の異なる肉塊が中から飛び出しては、それぞれの顔にベチャアっと打ち付けられ汁を飛ばす。

「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
「ギャハハ!ギャハハハハハハハハ!!!」
「ひゃ!あひゃひゃ!!あっひゃっひゃっひゃ!!」

皆狂ったような声をあげながら、夢中でそれを貪る。あぁ……。

「あれ、伊織先輩、食べないんですか?」
春子が手のひらを舌でベロベロと舐めながら目で真っ直ぐこちらに向けて問いかけてくる。右目は既にソースで潰れてしまっている。

「伊織先輩っていっつもそうですよね。ほら、食べて下さい」
そう言って結衣が、赤黒い油でギトギトになった手でナイフとフォークを手渡してくる。

「伊織先輩」
「食べてください」
「早く」

あぁ、もう……。
結衣から受け取ったナイフをパンパンに膨らんだ鏡面に近づけていく。心臓がドクンドクンと脈打ち、その振動が伝わっているかのように手が震える。

「先輩、早く」
わかってる。
「早くしてあげてください」
わかってるから。
「早く」
やるから。だから……。

ハァ、ハァ……。いつの間にか口で呼吸をしている自分に気づく。目の焦点が合わず、視界がグラグラする。
ついに……。ゆっくり近づけていったナイフの先端の振幅圏内にアルミホイルが差し掛かる。この中には、あぁ……。

あっ。
指に若干の抵抗が伝わってきて、ナイフがアルミホイルに接したことを察する。

パァァァン!!!
その日最大音量の銃声が店中に轟いた。



気がつくと、自室のベッドの上で、枕に顔を埋めていた。
顔を上げると、枕がべっとり赤黒く汚れていた。

夜はすっかり更けこんだようで、薄暗い部屋に窓から月明かりと夏虫の鳴き声が入り込んできている。

あぁ、そうか……。
顔の皮膚がヒリヒリと痛む。指で頬をなぞり、爪の間に入りこんだ赤黒い痕跡を舌でぺろっと舐める。つい数時間前の記憶が鮮明に蘇り、全身に甘い震えが走る。

英玲奈……あぁ……。



私を部活に誘ってくれたのが、英玲奈だった。
入学直後の昼休み、一人ぼっちでお弁当を食べる私に、後ろから最初に声をかけてくれた。
明るい髪色に快活な喋り方で、自分とは住む世界が違う人種だと、第一印象でそう思った。

パァン!という音が頭の中で響く。
数時間前に放たれた弾丸が、時を超えて今自分の脳天を貫いていく。そして連動するように、アルミホイルを破り狂気の笑い声をあげる結衣の姿が脳裏に再生される。
結衣の顔に付着した少し筋張った肉の塊。あれは、そう。
あれはきっと、英玲奈の太もも。


それから、ずっと一緒だった。
部活はもちろん、休み時間もいつも二人で過ごした。最初の印象とは裏腹に、英玲奈といる時間は他のどんな時間よりも安らかで、素直な自分でいられた。
自分にとって初めての、親友と呼べる存在だった。

またパァァン!という破裂音が耳をつんざく。春子の金属音のような笑い声が脳裏に蘇る。
春子の顔から垂れる、白い粒々を含んだ柔らかそうな肉の塊。あれは、そう。
あれはきっと、英玲奈のほっぺた。細かく砕かれた、英玲奈の歯。


「伊織はさ、いっつも嫌そうだよね」
記憶の中、隣を歩く英玲奈が呟くように言う。

パァン!パァン!パァン!!
銃声が次々と放たれていく。後輩たちが金切り声をあげながら、それぞれの顔に付着した肉を貪り食っている。
あぁ、あれはきっと、英玲奈の心臓。英玲奈の親指。英玲奈の膀胱……。


「ココッシュ向かう時もさ、ずっと俯いててさ」
伏し目がちな英玲奈の、少し暗い声。

パァァァン!!
そして、あぁ……。私の……私の顔には……。
自らのこめかみに拳銃を突きつけて、直接引き金を引いたかのような轟音が脳を震わせる。

裂けたアルミホイルから肉が発射され、顔面に打ち付けられる。
どろぉっとした熱い感触が頬に伝う。その瞬間理性の緒が切れ、体の芯から沸騰したような笑いがこみ上げてくる。

店内に、私の口から発せられた金切り声が響き渡る。

「わー、いいなー」
「またそこ伊織先輩ですかー?」
「ずるーい」

後輩たちの陶酔したような声を耳の片隅で受け止めつつ、手で顔に付着した肉をソースに絡めながら手ですくい取る。
手のひらにできた赤黒い海に溺れた白くどろっとした塊。


「でも食べ始めると、一番夢中だよね」
そう言って私に向けられた、慈しみに満ちた英玲奈の笑顔。

ジュルジュルジュルジュル!!!
これはきっと、英玲奈の眼球。



あぁ、英玲奈……。
ベッドの上、皮膚が破れんばかりに鼓動が暴れる。このままこの胸もパァンという音を立て張り裂けてしまうんじゃないかと不安にかられ、両手で胸を押さえつける。


一度、動画を見せてもらったことがあった。
一年の時、二つ上の先輩がココッシュでふざけてカメラを回していたのだ。

画面の中に映るのは、英玲奈の隣、ジュウジュウと音を鳴らしている包み焼きハンバーグを前に不安そうな顔の私。

「大丈夫だよ。もう何回もやってるじゃん」
私の背中をさすりながら、優しい声で私を勇気付ける英玲奈。

震える手でナイフの切っ先をアルミホイルに突き立て……その瞬間。

パァン!!

「あーーーひゃっひゃっひゃっひゃ!!あーーーーーーひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ!!!!」

人格が変わったかのように、高笑いを発する私。私が今まで見てきたどんな同期、先輩よりも、激しい笑い声だった。
顔に付着した柔らかい肉塊を、爪を立て、顔の皮膚をえぐりながらこそぎ取り夢中で貪る。ソースを拭い露出した肌が鮮血で滲み、また垂れてきたソースが上書きする。
右目と左目は別々の方向を向き黒目がプルプルと震えている。口元から顎へ、油とよだれがだらしなく伝わり、床に滴る。指についたソースをむしゃぶりながら、噛みちぎらないようにね、と英玲奈に注意される。

これが、そんな……。
これが、私……。

ショックだった。理性を失った自分は想像よりずっとグロテスクで、恐ろしかった。



英玲奈……
走馬灯のように駆け抜けてく様々な場面の英玲奈を想起しつつ、口の中をベロで一周する。歯茎の隙間に残っているザラザラとした名残を絡め取り、唾と共に喉に流し込む。

熱い雫が食道を通り、胃に着水する。
その瞬間、甘い震えが全身を突き上げる。

英玲奈……英玲奈……
自分の熱くなっている部分に手を伸ばす。下着がじっとり濡れてズボンにまで到達していた。



「伊織、昨日何で来なかったの?」
少し怒った英玲奈の声。

あの映像を見た直後の会を、私は欠席した。

自己嫌悪でいっぱいだった。あんなのは自分じゃない。
もうあの会には行かない。あんな姿を人前で晒してはいけない。
私は、普通だから。私は、私は……。

その夜、そんな自己嫌悪の、何倍もの、何十倍もの後悔が私を襲った。
理性がダメだと拒否しても、体と、その奥に渦巻くどす黒い本能がそれを許さなかった。吐き気がするほどの衝動が全身を締め付け、髪の毛をかきむしりながら枕に顔を埋めて絶叫した。

それからは、部活を休むことは一度もなかった。


「伊織はさ、どっちがいい?」
三年に上がるタイミングで、英玲奈から聞かれた。
「私は、先がいいな」
珍しく恥ずかしげな表情を浮かべ、英玲奈はそう言った。

あぁ、英玲奈……。
私だってそうだよ。先がいいよ。
初めてできた親友だから、私の全てを知って欲しかった。でも……。

英玲奈も、もしかしたら同じなのかもしれない。そう思った。

「あは、ちょうどいいね。私は、後がよかった」
私はそう答え、二人でハイタッチした。



そして、今日、ついに……。
私は……私は、英玲奈を……。

体の熱い部分が、さらに熱さを増していく。

そして、次は……。
あぁ、次の番は……。

つま先からつむじへかけて、抗えないほどの快感が突き抜けていく。全身が激しく痙攣し、耐え切れずベッドにバフっと顔から倒れこむ。よだれと赤黒いソースでシーツがぐちゃぐちゃになる。

一変静まり返った部屋には、私の切れた息の音と、遠くの夏虫の声だけが聞こえていた。




一通り英玲奈の分の感想を語り合い、時刻もいい頃合いになってきた。
まだ17時前だというのに、窓から入り込んでくる光は既に赤みを帯び始めていた。

「今日ココッシュみんな行けるよねー?」
私は全体に呼びかける。異論を唱える者は当然いない。

「うわ〜、今日はついに伊織先輩の番かー!私、待ちきれませんでしたよ!」
春子がそう言いながら駆け寄ってきて腕を絡ませてくる。シャンプーの良い香りが鼻腔をくすぐる。
艶のある髪の毛を撫でてやると、春子はキャッキャとはしゃいだ声を出してみせた。

「ほらそこ、イチャイチャしない」
ため息混じりの声でそう言う結衣にもう片方の腕を掴まれ、半ば引っ張られる形で部室を出た。


二人に両サイドで腕を組まれながらココッシュへの道を歩いた。
3人で、子ども達がCMで合唱していた曲を歌う。

紅く色付いた木の葉が風に集められ道路の一箇所に溜まっていた。すっかり冷たくなった風に、もう夏の面影はなかった。

「いいなぁー先輩。私なんてまだ2年も先ですよー?」
春子がいたずらっぽく口をすぼめながら言う。胸元に、細い鎖骨が浮き出ている。

「こら春子、伊織先輩だってずっと我慢してきたんだから、そういうこと言わない」
結衣がそんな春子を軽く叱る。

ゴクリと唾を飲み込む。
春子は、この鎖骨部分を、そう、なるべく細かく挽くのが良いだろう。そしてそれを舌と歯の間で擦り付けながら、うん。
結衣はどうだろう。筋肉質な脚の筋は、ソースとよく絡みそうだ。

あぁ、残念だ。私はこの子たちを味わうことはできないのだ。非常に残念。しかし。
ゾクっとした快感に一瞬、全身を震わせる。
今から私が、この子たちに……。
残念な気持ちなど全て覆ってしまうほどの甘い現実が足音を立てて近づいてくる。

「結衣先輩は次だからそんな余裕で居られるんですよーだ」


そんな、いつもと変わらないやり取りを眺めているうちに、ココッシュに到着した。
入り口を開き、私は店員に注文を告げる。

「包み焼きハンバーグ!13人前。思いっきり粗挽きで!」

「かしこまりました」

私以外の13人の後輩は別の店員に連れられ、テーブルの方へ案内される。

「思いっきり粗挽きだって!やっぱ伊織先輩、わかってる~!」
春子のはしゃいだ声が聞こえてくる。

目を閉じて息を大きく吸い込む。
香ばしい肉やポテトの香りと、入り口から舞い込んできた秋の風が混ざり合った空気で胸がいっぱいになる。店内は今日も変わらず、ガヤガヤと楽しそうな人の声で満ちていた。


「では、こちらへどうぞ」
はい、と返事をし、私は皆とは逆方向、厨房の扉の中へと足を踏み入れた。






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