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女根建太一 〜あの橋の上で〜
女根建太一は、売れない芸人の彼と同棲し始めてもう4年になる。
なかなか芽が出ないまま時間ばかりが過ぎ、気づけば女根建は三十路を迎えていた。
女根建は「絶対に売れてやる」と目を輝かせて夢を語る彼が好きだった。しかし最近はライブもせずに自室に引きこもってばかり。
食費も家賃も全て女根建持ち。そんな日々に女根建は焦りと不安を募らせていくのだった。
その日、女根建と彼はスーパーに夕食の買い出しに来ていた。
「今夜はカレーにしよう。うーん、お肉は何がいいかなあ」
そう悩む女根建に対し、彼は
「豚確定。買った買った」
そう言って、豚肉のパックを乱暴に買い物かごに投げ入れた。
普段ならちょっとイラッとする程度の言動。
しかし、ちょうど女の子根建の日と重なり機嫌が悪かった女根建の、積もりに積もった不満を爆発させるのには十分だった。
「なぁー!お前いい加減にしろって!!」
店内の視線が女根建に集まった。
「いつまでも売れない芸人でダラダラ過ごして、ちょっとは将来のこと考えてよ!私もう30なんだよ!?」
「ちょ、女根建、落ち着けって」
「もう我慢できない!別れる!お前のことなんてもう知らなぁーい!」
「聞いてくれ、女根建。俺には君しかいないんだよ。君と別れるくらいなら俺死んだ方がマシだよ!」
そんな彼の言い訳なんてもう聞きたくなかった。
女根建は買い物カゴを放り投げ、一人店から飛び出し、帰路に着いたのだった。
次の日の朝、隣に彼はいなかった。
ちょっと言い過ぎちゃったかなと反省する女根建。
きっとそのうち帰ってくるだろう。その時はそんなに深刻には考えなかった。
しかしその夜も、次の日になっても彼は家に帰ってこなかった。
「別れるくらいなら死んだ方がマシ」
最後に聞いた彼の言葉が脳裏に反芻する。嫌な想像で頭が埋め尽くされた。
女根建はたまらず彼の部屋に入った。
そこで彼女の目に入ってきたのは…。
乱雑に散らばった求人募集のチラシ。何度も書き直した履歴書。
そう、彼は夢を諦め就職する準備をしていたのだった。
そして机には、結婚情報誌・ゼクシィが山のように積み上げられていた。
女根建は上着も羽織らずに家を飛び出した。
「いねえって!男でゼクシィ読むやつ!」
なんで気づいてあげられなかったんだろう。彼は彼なりに私との将来を考えてたんだ。
女根建は必死に走り、彼を探した。あてがあった訳ではない。
1月の夜の外気は凍えるほど冷たく、切らした息は空気を白く染め夜に溶けていった。
街からは流行りの映画の主題歌なのか、山崎まさよしの有名なナンバーが聴こえてくる。
いつでも探してるってぇ
どっかにお前の姿を
向かいのホーム 路地裏の窓
こんなとこにいねぇってはずもないのに
歌詞引用
そうだ、一つだけ思い当たる場所があった。
彼が告白してくれた、あの橋の上。女根建は最後の力を振り絞り全速力でそこに走った。
約10分後、その橋に到着した女根建太一。
しかし、橋の上に彼の姿はなかった。
そこにあったのは綺麗に揃えられた一足の靴と黒縁メガネ。どちらも見覚えのある、彼のものだった。
嘘だろ…?
橋から川を見下ろすと、川は激流だった。無情な轟音をあげて流れる黒い水が、光すらも飲みこまんとこちらに大きな口を開けるのみであった。
「やってみろよ…」
女根建の涙が一粒また一粒とそこに落ちては、流れの中に消えていった。
膝から崩れ落ちた女根建。
凍てつく寒空の下、心まで次第に凍っていくようだった。
もう彼には会えないんだ。
私だって、彼のいない世界なんて死んだほうがマシだった。
女根建は自らの身を投じようと橋の手すりに手をかけた。
その時、後ろに誰かが立つ気配がした。
振り返ると、そこには彼がいた。
「ごめん。何度も死のうと思ったんだけど、怖くてできなかった。」
その言葉を聞き終わるより先に、女根建は彼に抱きついていた。
「なぁー!だらしねえって!だらしねえよ!マジだらしねえ!お前本当だらしねえって!!」
彼も女根建の背中に手を回し、女根建を抱きしめた。
「本当にごめん。俺、頑張るから。仕事も探すし、君との将来も真面目に考えてる。ずっと一緒にいよう」
「…いるって…ずっと一緒にいるってぇ!」
そのまま二人は時間を忘れてきつく抱きしめあった。
街からは相も変わらず山崎まさよしのナンバーが聞こえてくる。
願いがもし叶うなら
今すぐ君の元へ
できないことは もう何もない
すべてかけて抱きしめてみせるよ