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あんねこ・作、漫画「バイバイバイ」を読む

・第1話(第1巻)

田舎の風景の、美しい空と山々、川の流れ。それらがくれた、一番欲しかったものとしての、短い髪の、笑ったエマと、青波は手を繋いでいる。

青波は運動も学業も優秀、容姿のよさは異性に評判で、そのことから同性にも一目置かれている。青波はそれを自覚し、自身を密かにスーパーヒーローと呼び、噂になっていることを喜び、家の裕福さによって何でも手に入れられる、と思っている。しかし、まだ完璧ではない、と傷だらけの同級生の、エマを見る。

エマは家庭での虐待が公然と知られ、異様に長い髪をしていることからメデューサなどと呼ばれ、教室でも迫害されている。青波は、エマが教室で迫害を受ける理由を、嫉妬と理解している。青波にとってエマは、美しい長髪や瞳や肌を持つ少女だからだ。

青波は以前、雨の中で猫を抱くエマに目を奪われ、まるでそれを小説の場面のように感じ、その時のエマを見れば、誰もが自分のように目を奪われるはずだ、と考えている。そしてそれは、悲劇のヒロインは美しい、という公式を成立させてしまうだろう、とも考えている。

青波は、悲劇のヒロインは救われなければいけない、見ているだけでは駄目だ、と考え、スーパーヒーローである自分がエマを密かに自分の家に招き入れ、休ませ、話を聞いてあげるべきだ、と考える。

青波はエマに近付き、汚された机を拭き、味方であるように話し掛ける。そうしていたことで、エマは自分に惚れているはずだ、と青波は思い上がり、エマのほうから近付いてこないことを不満に思いながらも、エマを手紙で呼び出す。

青波は、エマが自分のものになる、と当然のように考えていたが、エマは青波を、興味が持てない、と振る。青波は動揺を精一杯に隠しつつ、ヒーローらしく穏便に引き下がる。そして、帰る途中で走りだし、エマに屈辱を受けた、と憤り、エマは自分に認められる価値を自覚していない、と顔を歪め、転ける。

青波は、なぜエマにそんなに執着していたのか、と冷静になり、自分に興味のないエマになど、自分も興味ない、机を拭いた時間も無駄だった、と考え出す。だが、その日以降も青波は、エマをつい、目で追ってしまうことがやめられない。

ある時、青波は、エマがウサギを抱き締めているところを、同級生の男子達と共に目撃する。青波は、やはりエマは美しいと再認識しながら、エマは自分を振ったのだから、心を動かされてはならない、と考える。

男子達は、エマが抱いているウサギは死んでいる、と言い出し、からかうように恐がり、青波にも同調するように求めるが、青波はそれをやり過ごす。男子達は青波に強い不信感を抱き出す。

青波は、男子達のからかいには加わらず、エマを見ているだけでいい、と考えるようになる。しかし、塾の帰り、夜の公園で一人で泣いているエマを見付けた青波は、堪らずに近付いてハンカチを差し出す。その時にも、相変わらず、青波は心の中でヒーロー振ろうとしている。

エマはそれを見抜き、ここが教室で、ここにみんながいたら、ハンカチを差し出したか、と青波に問い、その偽善的なところが大嫌いだ、と告げる。

青波は、みんなの目を気にしていることはないし、エマのことも大切に思っているし、ずっと助けようという意思はあった、と言うとエマは、ならわたしを連れ出して、この街という地獄から抜け出したい、と青波に迫る。

青波は、なぜ以前に振った自分に期待するのか、とたじろぎ、どこへ、と聞こうとするが、これ以上、話が進んでしまうことを怖れて黙る。青波はエマを心の中でこいつ呼ばわりし、変なところへ一晩でもエマを連れ出せば、望まぬ噂が立ち、下手をすればエマと同じように迫害される、と危惧する。

もうエマのことは好きではない、と青波は自分に言い聞かせる。その様子を見たエマは、笑って青波を突き放し、顔を背けるが、その目からは涙が溢れている。その顔に心を動かされるな、やめておけ、と青波は心の中で自身に警告するが、エマを振り返らせ、どこへでも(連れていく)、とエマの願いを引き受けてしまう。

エマは、かつて一緒に住んでいた祖父の家がある、九州の佐伯に行きたい、と言い、笑顔の母もまだあった、スイカの甘さが印象に残る、当時の良い思い出と共に、青波に望みを伝える。青波は帰宅後、旅の準備を進め、自分が使えそうな資産を確認する。

青波は電車で目的地に向かう算段だが、大人なら車を使えるし、大人に捕まることはなく、夜の町も堂々と歩ける、と思い、この旅を終えればきっとみんなにからかわれる、と怖れ、子供は自由に見えて不自由だ、と感じる。

青波は、これまでの学校での自分の評判など大したことなく、これから始めようとしている旅で容易に崩れ去るものだ、と怯え出す。そして、今ならまだ引き返して、エマとの約束などなかったことにして、これまで通りに、それが大したことのない評判だったとしても、その中で生きていける、と考える。

だが青波は、エマの見せた涙を思い出し、その意味の重さを考える。青波は旅の決行の意思を固めると共に、父母に宛てた手紙の内容を、軽い外出をする、という嘘から、重い挑戦をする、という真剣な宣言に書き改め、家を出る。外は既に明るく、眩しい。

駅前で待ち合わせていたエマは、長い髪が短くなったようだった。それは大人に捕まらないように、帽子の中に長い髪を隠した変装だった。駅が開くのを待つエマは青波に振り返り、偽善者の青波くん、一ミリしか信用していないから近付かないで、と告げる。

青波は、エマが自分を振ったことを許していなかったが、一ミリでも信用があると言われたことに興奮し、エマのことがどうしようもなく好きである、と思い知らされる。

・第2話(第1巻)

青波は仕事に忙しい父に憧れていた。父とは、電車にたくさん一緒に乗ろう、と約束していたが、それは果たされることがなかった。青波はそのせいで、誰かと約束などしない、と心に決めていた。しかし今、青波はエマと、無謀な約束を果たすために、一緒に電車に乗っている。

青波は、電車に乗るのに、父が約束を果たしてくれていなかったことで使われないままだった、青春18きっぷを使うつもりでおり、それでエマはどうするのか、と訊く。エマは、これから切符を買う、と答えて券売機に向かう。青波はエマを待つ間、車中でエマとの距離をどうするか、近付かないで、と言われた手前、悩む。

青波はエマと電車に乗り、エマの様子をじっくりと見回す。そして、エマが手にしているのが乗車券ではなく入場券であることに気付き、仰天する。そのことを問い質すとエマは、一番安いのを買っただけ、と答える。

青波は途端に呆れ、エマに、していることの違法性を指摘し、帰る気になる。エマは、大人ではないし青波と違って親から小遣いを貰えない、悪いこととは分かっていても、どうしても祖父に会いたかった、と言い、謝って、旅を中止する意思を口にする。

青波は、かつて校外学習の折り、エマが少額の電車の乗車賃が払えず、一人で教室で置き去りにされた上、それを教室の全員が笑い者にした出来事を思い出し、あの時、エマを助ける言葉を持たなかった自分を、今になって恥じる。

そして、青春18きっぷを一緒に使おうと提案し、二人は一旦、下車する。エマは青波の後ろ姿を見詰め、何かを伝えようとしたところで強い風が吹き、エマの帽子を線路内に飛ばしてしまう。

青波は、帽子がなくても髪を編んでいるから変装は充分だし、帽子などいつでも買えるし、目立ちたくないし、線路内に降りるのは危険だから、と言って帽子を諦めるように、エマに言う。エマは、あれは祖父がくれたものだ、と言って聞かず、線路内に降りていく。

エマは当然、目立ち、人々の注目を浴びる。青波はそれに巻き込まれることを怖れ、エマと関係がない人の振りをしようとか、他の誰かが助けてくれるだろうとか、と考えるものの、今までの気持ちに背いて何も見なかったことにするのか、と考え直し、エマを九州まで送り届ける覚悟を決め、帽子を拾って上がろうとしているエマの手を掴んで引っ張り上げる。

二人は、注意しようとする大人達から逃げて、駅を出る。エマは青波に叫ぶように感謝を伝え、同時に空腹で腹を鳴らす。青波は笑い、エマは恥じる。

二人がファストフード店の近くを通ると、女の子が母親に、この店で食事したい、とねだるところに出会す。青波は、かつて同じことを母親にねだったことがあったが、この店は食材にミミズを使っているから、と都市伝説めいた理由で聞いてもらえなかったことを思い出す。

エマは先程の女の子のように、この店で食事したい、と青波にねだる。青波は、母親の意思によってファストフード店を利用したことがなく、不安に思いながらも、笑って強がりながらエマの要望を聞き入れる。

青波はエマの前に立って、注文する役割を引き受けるが、勝手が分からず、余裕がない。勝手を知っているエマは、後ろから青波を導く。無事に注文を終えて疲れた様子の青波を見て、エマは笑う。それを先程の仕返しと理解した青波は、エマの意外な一面を知ると共に、少し腹を立てる。

二人は注文した食品を受け取って席に着く。青波は母親のかつてのミミズ発言を気にしつつ、食品を口にし、エマと共に、おいしい、と言い合う。青波が始めて知った味に驚いているのを見て、エマは、食べたことがなかったのか、とおかしそうに尋ねる。青波は思わず、毎日食べている、とどうでもいい嘘を吐く。

青波は話題を変え、これからのことを話そうとする。しかしエマは、祖父への土産を買いたい、と言い出す。青波は、入場券の時ほどではないが、呆れた気持ちを滲ませ、土産を買うことが不必要であるし、そういうことをしている場合ではない、と説明すると、エマは黙ってしまう。

青波は、エマの帽子が飛ばされた時にしたような態度を再び取っていることに気付き、それ以上、言うのをやめる。しかしエマは、自分がわがままだった、と反省して謝り、青波の計らいにも感謝を伝え、旅を続けようと席を立って背を向ける。

それを目にした青波は、これまでずっとエマは、逃げ場所としての祖父の許に、すぐにでも向かって帰り着きたかったはずで、初めて誰かを頼れたのが自分だったのではないか、と考え、頼る者を誰も持っていない、そのエマに何度も正論を浴びせたことを恥じ、エマを呼び止め、一つだけなら、と祖父への土産を買うことを容認する。

それからその日は、電車には乗れず、エマの、祖父への土産選びに費やされた。しかし土産選びに没頭するエマは活き活きとしていて、それを見た青波は、それが無駄な時間ではなかった、と感じる。

エマは、ワサビをキャラクター化した、ワサビくん人形を土産に選ぶ。エマはワサビくん人形について説明するが、青波は知らないよ、と心の中で返す。

日が暮れた後、エマはどこで寝るのかを心配し、ホテルか、と青波に尋ねる。青波は、子供だけではホテルには泊まれない、と話すとエマは、ラブホテルか、と返す。青波は赤くなって強く否定する。エマは、ラブホテルが何をするところか知っているんだ、と指摘すると青波は、知らないよ、と強く否定する。

青波は、野宿するしかない、と話し、大人達に見付からないように、公園の遊具の中に隠れて寝ることを提案する。エマは、秘密基地みたいで楽しそう、と答える。青波は、近付かないで、と言われたところからだいぶ親密になれた、と感じる。

二人は遊具の中で野宿し、青波は夜の月を見て、月が綺麗だね、と口にし、それがI love youを夏目漱石が訳したものとして有名な言葉と同じであることに気付いて赤面するが、そういう教養のないエマは、それをそのままの意味に受け取って、素直に同意する。

それからエマは青波に、母はずっと恋人と遊んでおり、相手に子連れと知られると母に叩かれるので、寂しさが消えると思って一人で公園にいたが、寂しさが消えるどころか、夜空のたくさんの星が孤独な自分を笑っているように感じられた、と話す。

そして、でも今は青波が自分を見付けてくれたから寂しくない、と話す。青波は改めて、エマを九州まで送り届けることを約束し、エマの笑顔が見たいから、と赤面しながら伝えるが、エマはいつの間にか眠ってしまっていて、その目には涙が浮かんでいた。

翌朝、エマの母が殺害された状態で発見され、青波とエマが行方不明であることをそれに関連付けた警察が、捜査を始めたことが、報道で伝えられる。

・第3話(第1巻)

エマは、田舎で祖父と笑顔の母と過ごしていた時間を、夢に見る。

青波は、青春18きっぷの残りで、ぎりぎりで目的地まで着けるだろう、と話し、エマの手を引き、旅を急ぐ。大人に見付からないように、早くエマを祖父の許へ送り届けよう。そう青波は意気込んでいたが、エマが乗り物酔いを起こして体調を悪くする。

青波はエマを優しく気遣って、食事も兼ねて休憩しよう、と言い、二人は電車を降りる。青波は、最初からこのように格好良く振る舞えていたら、エマのほうが自分に惚れていた未来もあったかも知れない、と考える。

降りた駅の傍には、海に鳥居が立つ砂浜があった。青波はエマを休ませ、食べ物を買いに行く。買い物から帰った青波は、鳥居を背景にして、脱いだ靴を手に波打ち際を歩く、エマの姿を目にし、時が止まった、と思うほどに心ときめく。

青波は、安っぽい食事が続いていたことを気に掛け、エマに豪華なかき氷を買っていて、それを手渡す。エマは感動しながらも出費を気にする。青波は少し痛かったことを正直に言いつつ、エマが喜んでくれてよかった、と伝える。エマは少し涙目になる。

かき氷は一つだけで、それを食べるスプーンも一つだけであり、一緒に食べるなら間接キスになる、とエマは言い、二人は赤面する。そして、二人はかき氷を食べ、波打ち際で遊ぶ。

青波は、これまで家や学校で築き上げてきた立場や、人にどう思われるか心配する心を捨てて、旅に出て、どうなることかと不安だったが、旅は旅行のように楽しく、今までにない幸せを感じている。

波打ち際から離れて二人は休むが、青波は、エマが母と仲良くできるように役立ちたい、と言って、エマに母のことを訊く。エマは身体を震わせて怖がる。それを見た青波は、息ができないような激しい後悔を感じる。しかしエマは、母のことを話し出す。

母は、九州でエマを産み、その頃は祖父母とも、父とも仲が良く、エマはたくさんの愛情を注がれていた。ある日、エマは母が気に入っていた花瓶を割ってしまい、それを隠そうとしたエマは指を切ってしまう。

母は、指を切っていないか、とエマを心配し、指の怪我を手当てした。エマは、自分はとても愛されている、と感じた。しかし、エマが小学生になり、母と二人で引っ越した後、母は変わっていった。

母は父以外の男と遊ぶようになり、父と離婚した。祖父とも会えなくなり、守ってくれる大人はいなくなった。母は男を家に招くと、エマの存在を邪魔に思って暴力を振るった。顔に酷い傷を負ったエマを、同級生達は化け物と呼んで迫害し始めた。

エマは、同級生も憎いが、母は一生を懸けても憎み切れない、母だけは何回殺しても足りない、と恐ろしい形相で語る。それを見た青波は、エマの目を、人を殺したことがあるような目だ、と感じて怯える。

しかしエマはすぐ、か弱い表情になって、祖父に会えればきっと助けてもらえる、と話し、祖父を呼んで泣く。青波はエマを抱き締め、祖父と母に対する、それぞれの強い思いを理解する。そして、公園で泣いていた、あの夜にエマに何があったのだろう、と思う。

エマは、人前で泣くのは二度目だ、と話し、暑い、と言って祖父がくれた帽子を脱ぎ、胸元で抱き締める。青波は、以前にエマを、自分に認められなければ無価値だ、と思ったことを反省する。今の青波には、エマはきらきらと輝きで溢れている、と感じられる。

二人は夕食を摂るために電車を降り、料理店に入る。エマを休ませるために青春18きっぷを余計に使ってしまったので、青波はこれからの予定に苦慮し、その計画性の脆弱さに少しばかり嘆息する。

エマが便所に立つ。すると、料理店に設置されているテレビから、エマの母が殺害され、心臓まで達する刺し傷から、それが恨みによる犯行と見られることと、自分達がその殺人に関わるとされていることを伝える報道が、流れてくる。

青波は、エマの母を殺害した犯人として、瞬時にエマのことが思い浮かぶ。エマが便所から戻ってきて、青波はエマに恐怖を感じ、このまま旅を続けていいのか迷いが生じているが、平静を装って席を立ち、エマと店を出る。

再び電車に乗る際、エマは青波に、わたしが怒りで恐怖の大王になっても、青波だけは殺さないでいてあげる、と妙なことを言い、青波はその意図を測りかねる。二人が席に座ると、エマは身体を青波にくっ付け、わたしは青波のことが好きなのかも知れない、と言う。

青波はその言葉に、今はもう喜べないどころか、恐怖で震えてしまうが、自分は味方だ、とエマの手を取って言う。その言葉にエマは不審がり、わたしが何か悪いことをしたのか、と青波に訊く。青波は動揺して、色々と口走る。青波の心を察したエマは、母が死んだことは知っている、わたしはその時、そこにいたから、と言う。

・第4話(第1巻)

青波は、エマの言葉から、エマがその母を殺害したものと理解し、次は自分が殺されるかも、と怯えながらエマに自首を促す。エマは、その偽善的なところが大嫌いだ、と告げる。青波はエマから逃げ出し、エマは隠し持っていた刃物を取り出して青波を追い掛ける。青波は捕まり、エマに刺し殺される。

という悪夢を、青波はエマの膝枕で見て起きる。エマは青波を心配し、青波を大切な人と思っているからもっと頼ってほしい、と言う。そして、祖父から貰った帽子を青波に貸し、被せて、二人の旅の無事を祈る。

青波は、それではエマが日焼けしてしまう、と心配する。青波は、母を殺すような恐ろしい子なのか、そんなことはできない、弱くて優しい子なのか、エマのことがよく分からなくなる。

かつて祖父も母も、エマの髪の美しさを誉めた。エマは、髪を伸ばす、と言う。祖父は、それならその美しい髪が日焼けしないように、と自分が愛用していた帽子をエマに譲り、被せた。

九州の佐伯で釣り人が、エマの祖父が浜辺に倒れて流れ着いているのを見付ける。

・第5話(第1巻)

エマの祖父は、しくじった、と言い、病院に運ばれ治療を受ける。エマの祖父は、最後まで守ってやれなかったことを、エマに詫びる。

青春18きっぷを使い果たした二人は、大人の女性が運転する車に、嘘を言って同乗させてもらい、旅を続けている。青波は女性を、綺麗だ、と言ってエマに同意を求めるが、エマは無言だ。

女性は、食事しながら二人の話を聞きたい、と家に誘う。青波は食事に有り付けることに飛び上がる。女性はさらに、風呂に入っていくように言い、二人が臭うことを伝えると、二人は恥じる。

二人は女性の家に上がり、ずっと着続けだった服を洗濯し、エマがそれを干している間、青波は女性に食事作りを教わっている。女性は不意に、二人が殺人事件に関わる行方不明の小学生であることに気付いている、と青波に伝え、食事が終わったら警察に出頭するよう、青波に促す。

青波は助けを求めるように、心の中でエマを呼ぶ。服を干し終えたエマは、何も聞いていなかった振りをして女性と青波に近付くと、包丁を手に取り、笑顔で、明らかに調理目的でない持ち方をして見せる。

エマは、よく夜の公園で一人でいて、星を眺め、たくさんの星に笑われたが、他に行くところはなかったけど、ようやく青波が自分を見付けてくれた、と話し、包丁を自分の長い髪に当て、切り落とし、わたし達から旅を奪わないで、と言い、あなたを殺してでも旅を続ける、と震えながら包丁を構え、女性に迫る。

この時からエマは、青波を下の名前で呼ぶようになる。

女性は、食事をして準備をしてから逃げなさい、と言い、二人を残して家から出る。二人は互いを見合い、青波は泣き出し、膝を付く。エマは青波を抱き締め、事態に巻き込んだことを詫びる。青波は、エマが大切にしていた髪を、自分も大切に思っていたことを理解し、それが切り落とされてしまったことを悔やむ。

エマは残る髪も切り落とし、短い髪になる。そして、地獄の果てまで一緒に来てくれる? と青波に笑い掛ける。青波はそのためらいのないエマの行動と姿を、幻のように綺麗だ、と感じる。

・第6話(第2巻)

エマは女性の家から帽子を借りて被り、二人は置き手紙を置いて家を出て、旅を続ける。二人はそれからも車を運転する大人に助力を乞い、目的地へと進んでいく。

二人は夜の公園で、そこでは禁止されている花火で若者らが遊んでいるところに、出会す。二人はその様子を離れたところから眺めながら、エマは、昔に祖父に花火に連れられたが眠くて、祖父の背に負われながら直接は花火を見ることができなかった、過去の出来事を話し出す。

エマはその時、音だけで花火を感じていた。エマの中では、その時の花火は、スペースシャトルの発車のように思い描かれた。エマは、昔に戻れるなら、花火と祖父の横顔をちゃんと見たい、と話す。

二人は手を握り合い、危険行為だろうが近所迷惑だろうが、目の前の花火がずっと続けばいい、と青波は願う。

翌朝、青波が目を覚ますとエマがおらず、探しに行くと、エマは死んだ蝉を埋葬し墓を立てて、手を合わせていた。青波は死んだウサギを抱き締めていた、いつかのエマの姿を思い出し、死を悼むことのできる彼女が、その母の殺害とどう関わっているのか、と疑問に思う。

青波は、殺害事件が自分達の犯行ということになっているのだろうか、と問い、エマの隣に腰を下ろし、墓に手を合わせ、ぼくらは共犯者だね、とエマに言い、拳を出して、エマにも拳を出させ、互いの拳の先をぶつけ合う。

青波は、母の殺害現場に居合わせた、とエマが言ったことを、その時に誰かと一緒にいた、と言ったと解釈していて、その誰かはエマの祖父で、エマを守ってくれていた、ということだったらいいのに、と言う。

それを聞いたエマは、いつからそう思ったのか、と冷たい表情で青波に問い質す。

・第7話(第2巻)

青波は、祖父が犯人だ、と言ったわけではないと弁明するが、守った、ということは、母を殺したエマを祖父が守った、という意味にも、エマを守ろうとして祖父が母を殺した、という意味にもなり得る。

エマは青波の言葉を、後者の意味で捉え、祖父は何もやっていないと強く否定し、自分が母殺害の犯人であることを印象付けようと、それ以上言うときみも殺す、と青波に凄む。しかし青波は、エマのその凄みの言葉をこそ否定する。

何もかも諦めていながら、祖父との関係だけは諦められない。ずっと殺したいほど憎んでいながら、母を殺すことはできない。これまでの旅で感じ取った、エマという子に対する理解を、青波は確信を持ってエマに主張する。

エマは青波の理解を否定し、なおも、母を殺害したのはわたしだ、と主張する。青波はそれを否定し、エマも青波を否定し返し、エマは思わず青波を突き飛ばす。青波の背後は少し崖のようになっており、青波は小さく転落して片足を負傷する。

エマは正気に戻って、転落した青波の許へ下り、心配の言葉を掛ける。青波は、やはりきみは誰かを憎むことはあっても殺すことまではできない、と態度で伝える。エマは負傷して動けない青波の近くに座って、二人は時間を過ごす。

夕方になり、車に乗るために大人に助力を乞う気力も、もうなくなり、そもそも大人は嫌いだし、子供はもっと嫌いだ、とエマは溢す。そして、そうは言っても、唯一支えてくれた青波に怪我をさせ、歩けなくさせてしまったので、もう祖父の許へは辿り着けない、と泣く。

青波はそれを見て、歩ける、と言って立ち上がり、歩いてでも祖父の許へ行く、とエマに呼び掛け、足の痛みを我慢して歩き始める。エマは青波に肩を貸して支え、二人は旅を再開する。

青波は足の痛みと空腹に苛み、目の前の道を進むのが正しいのか迷いを感じているが、エマを祖父に会わせられなければ一生の後悔をすることになる、と意を決している。

二人は夜通し歩き、青波は足の腫れが酷くなって苦痛に顔を歪めている。それを見たエマは、青波に詫び、諦めて救急車を呼ぼう、と呼び掛ける。青波は、やっとここまで来たのだから、とそれを拒む。

エマは青波に、祖父の許へ連れ出して、と要請した日に本当は何があったのかを、内緒にしてほしい、と言い添えてから話し始めようとする。すると、二人の背後に、エマの名を呼ぶ大人が現れる。

・第8話(第2巻)

エマの名を呼んだのは、祖父の妹の芳美だった。芳美は、警察から連絡があった、と言う。青波はそれを聞いて、逮捕された時のエマの身を案じる。

芳美は、行方不明と聞いて、エマがこちらに向かっていると思っていた、と言い、エマに付き合ってここまで連れてきた青波に、感謝を伝える。そして、祖父が現在、入院していることを、二人に伝える。

二人は祖父の入院する病室に連れられる。祖父は目を覚まして、エマと、涙を流して抱き合う。

エマの母は酒浸りになり、エマに暴力を振るうようになり、顔に傷が付くようになったエマは、学校で迫害されるようになった。ある日、エマが学校から帰宅すると、いつも家は鍵が閉まっているはずが開いていた。家の中には母と、九州から来ていた祖父がいた。

エマは祖父との再会を喜ぶが、エマの顔の傷を見た祖父は驚く。その背後で、母が包丁を持ち、エマの顔の傷もわたしがやった、と祖父に言う。祖父はエマに、外に出るように言う。エマはその後、一人、夜の公園で泣き、青波に見付けられる。

そこからエマの旅が始まり、今、旅が終わり、また祖父と再会した。祖父はエマの母がああなってしまったことをエマに詫び、芳美に、聞いてほしいことがある、と言う。何を言うつもりか察したエマは、祖父を止めようとする。

祖父は、大丈夫、と言って、エマの制止を拒み、エマの母を殺したのは自分だ、と事件の真相の告白を始める。

・第9話(第2巻)

事件の数日前、元々身体が丈夫ではなく入退院を繰り返していた、エマの祖母が死んだ。祖父はそれを、娘である、エマの母に伝えたが、エマの母は、忙しいから、と素っ気ない返事をした。

祖父は娘の考えていることがよく分からなかった。子供のことを妻に任せ過ぎたからかも知れない、と自身の態度を省みながら、だからこそ妻を亡くした感情を、娘と分かち合いたかった。だが、エマの母は葬式にも来なかった。

祖父は、親として娘に寂しい思いをさせてしまったのだろうか、と考え、長いこと会っていなかった娘に会いに行く。祖父は家の呼び鈴を何度も鳴らすが、応答はない。しかし、中にいる気配はする。祖父は娘の名を呼び、出てきてほしい、と懇願するとエマの母は渋々、出てくる。

久し振りに再会した娘は、格好も家の中も、荒れに荒れていた。祖父は、いつも娘のことを考えてきたはずなのに、なぜ娘がこんなふうになってしまったのか分からず、理由があるなら話してほしい、と伝える。

エマの母は、かつて両親に、瞼を二重に整形したい、と申し出ていた。瞼が二重になれば自分を好きになれる、と思っていたからだ。しかし両親は、それを許さなかった。

その後、エマの母は九州で、エマの父となる男性と出会い、結婚した。そして、エマが生まれた。エマの瞼は、エマの父に似て二重だった。エマの母はそれを、かわいい、と言って喜んだ。幸せだったのは、その頃までだった。

エマ親子は、エマが小学生になる時に、エマの父の仕事の都合で、九州を離れ、静岡に引っ越した。それから、エマの父は二重瞼の女性と浮気をし、エマの両親は離婚した。エマの母は一人、エマを抱えて打ちひしがれた。そして、エマを養うために、水商売に従事するようになり、家も格好も異性関係も、荒れていった。

無邪気に自分を慕ってくるエマの目は、自分を裏切り、苦境の中に置き去りにした、別れた夫の目に似ている。かつて、かわいい、と喜べた、エマの目が、今は憎くて仕方ない。エマの母は、そうしてエマに暴力を振るうようになった。

エマの母は、かつて整形したい気持ちを理解してくれなかったことから、どうせこのことも解ってもらえない、と思い、両親に連絡して助けを求めることができなかった。

九州にいた頃は幸せそうだったではないか、と祖父が問うと、エマの母は、何も解っていない、と反発する。祖父は、何があったか話してほしい、と言うがエマの母は、うるさい、と拒絶する。すると祖父は、荒れた家の中のゴミを片付け始め、エマへの心配を口にし、おまえは母親失格だ、と告げる。

そこへエマが帰ってくる。エマは、エマの母が逆上している脇を通り、祖父に近寄って抱き付き、嬉しい、と笑顔を見せる。エマの母は包丁を持ち出して、みんな要らない、と言ってエマと祖父に襲い掛かる。

エマの目の前で、祖父はエマの母と揉み合いになる。エマの母は祖父へ、もう父とは思わない、と言い、祖父はエマの母に、おれは父だと思っている、と譲らない。祖父は包丁を取り上げようと試み、どう誤ったか、包丁はエマの母の胸部に深く突き刺さってしまう。

エマの母は倒れて動かなくなる。

・第10話(第2巻)

祖父はエマに、外に出るように言う。エマは、祖父と一緒にいる、と言ってそれを拒む。祖父は語気を強めて再度、外に出るように言う。エマは泣き出す。祖父はエマを抱き締め、また九州に来るよう伝える。エマは泣きつつ外へ出て、公園に行き、青波と出会う。

祖父は、動かなくなってしまった娘に詫び、血塗れの包丁を持って、刃先を自らの喉元に向ける。しかし、それ以上のことはできない。祖父は昔のことを思い返す。幼く無邪気だった娘が、ある日、整形したい、と言い出す。それを許していたら、こうはなっていなかっただろうか、と祖父は問う。

祖父は、もう死ねない、と思い、九州に帰った。しかし、死んだ妻に会わせる顔がない。祖父は胸に仕舞っていた家族写真を見返し、涙を流し、やはり死ななければならない、と思い直す。が、それは失敗した。

祖父の、真相の告白を聞き終え、エマは祖父の手を握り、生きていてくれたことに、感謝を伝える。

・第11話(第2巻)

芳美は、祖父のしたことは何にせよ、人を死に至らしめたことであり、法で裁かれるべきではないか、と言う。祖父は、死のうとしたのは間違いであり、罪を償うべきだと、エマの顔を見て決心できた、と語る。

芳美は、エマと青波を家に泊めて食事をさせる。青波は「やせうま」という、甘い味の郷土料理を出され、甘い味が一番好きだが、家を出て旅を始めてからは、なかなか食べることができなかったので、心に染みる、と話す。

青波はエマと、甘い味の感動を分かち合いたいが、エマは落ち込んでいる。祖父に会えはしたが、無理もない、と青波は思う。その夜、青波は、隣で寝ているエマがきちんと眠れているか心配する。

エマは、祖父と離れてしまう夢を見ていて、涙を溢している。青波はエマに声を掛けて起こし、少し外の風に当たろう、と提案するがエマは、泣き顔を何度も見られたくない、と断り、代わりに手を繋いでいてほしい、と求める。青波はそれに応じる。

エマは、自分が母を殺していれば、あるいは、顔の傷は自分で転んで出来たことにしておけば、祖父は警察に捕まるようなことになっていなかったのではないか、と悔いている。青波は、エマも祖父も間違ったことはしていない、と言ってあげることはできない。

青波は、そう言う代わりに、自分にはエマに言うべきことがある、と思い立ち、学校でエマが迫害されていたのを傍観者として見ているだけだったことを、エマに謝る。自分が間違っていたことを、旅を通して気付いた、と話す。

エマは戸を開け、夜空に浮かぶ月を示し、少し欠けているけど青波が見付けてくれた、と言って、月と並んだ自分の姿を青波に示す。そして、何もかも捨てて旅に付き合ってくれたのだから決して傍観者ではない、と伝える。

青波は、エマから貸されていた、祖父の帽子をエマに返す。エマは、自慢の祖父が母を死なせてしまった時、自分は救われたのかも知れない、と話し、だから笑顔で、そこに居合わせた、と青波に言ってしまったのだろう、と話し、もう寝よう、と言う。

青波は、エマは話を幸せそうに語ろうとしていたが、実際には悲しそうに聞こえ、せめてこれからのエマは優しい道を歩けるように、と願う。

・第12話(第2巻)

警察に通報したことで、エマと青波は警察署に保護される。青波の母が警察署に駆け付け、青波の頬を打って叱り、そして抱き締め、青波の無事を喜び、安堵して泣く。青波は、心配させたことを謝る。

青波は、年齢を重ねると自分のできることが増えていき、自分は優れた人間だ、と思うようになってしまっていたが、母の前ではまだ無力な子供だった、と思い知った。青波は母と共に自宅へ帰る。母は、急いで帰ってくる、と父も言っていた、と青波に伝える。青波は、父が約束を守ることはない、と思っている。

しかし、直後に父が、仕事を忘れて帰宅し、青波がエマを守ったことを褒め、無事を喜ぶ。青波は、自分はこんなにも両親に愛されていた、と再認識し、それと共に、両親のいないエマは今、どんな気持ちなのだろう、と思えてくる。

青波は、夏休みの宿題を面倒臭がりながら、ごろごろしている。青波は、エマはまだ旅していた時の匂いを残しているだろうか、自分のことをまだ好きでいてくれているだろうか、と考え、エマとの旅の時間を思い返し、自分はエマのことばかり考えている、と感じる。

青波はいつの間にか眠ってしまい、こんなにわたしを想ってくれているのに、やってくれていないことがある、とエマに指摘され、気付いているでしょ、ずっと待っているのに、と催促される夢を見る。

夢から覚めた青波は、エマを想っているのにエマにやってあげていないこと、について考える。

・第13話(第2巻)

夏休みが終わる頃、青波の許に、エマの祖父から手紙が届く。祖父は、エマを守ってくれたことへの感謝を伝え、エマの弱さに触れ、エマは学校で誰にも心を開けなかっただろう、と推し量り、その中で青波だけに心を開いたのは、青波がエマの唯一の救いだったからだろう、と述べ、再び感謝を伝える。

青波は、エマに告白し振られた直後は後悔していたが、今は、告白したことはよかった、と思える。そして、感謝をするのはこちらだ、と言う。

夏休みが明け、青波は学校へ行く。現在のエマは九州の児童養護施設にいる、と母から伝えられていた。エマのいない教室に青波は、みんなにどう思われるのか怖れながらも、それを隠して、まるで何事もなかったかのように入る。

青波のしたことはどうやら正確に認知されておらず、それもあって教室の雰囲気は青波に冷たい。かつて親し気に接してきた男子が、借りていた漫画を汚してしまった、と言ってそれを返しに来る。青波は話し掛けてもらえたことに安堵するが、返された漫画を確認すると、偽善者、と大きく落書きがされていた。

青波はその仕打ちを、エマのことを見て見ぬ振りをし続けていた自分への罰だ、と考える。そして、傷だらけで物憂気に佇むエマを見て、それを美しいと感じた、かつての自分を省み、初めて自分が傷に苛む側の立場になり、それを味わったことで、悲劇のヒロインは美しい、という公式は存在しない、と理解する。

青波は、これまで築き上げてきたものを失い、友達に去られるとしても、その痛みに耐え、自分の罪をずっと背負っていく、と決意している。エマとの旅をやり通した青波は、そうしていくことができる、と自信を持って言える。

そして、エマにもう一度、会い、伝えなければならないことを伝える、その決意を青波は固めている。

・最終話(第2巻)

青波は母に伴われて、エマに会いに、電車に乗って九州へ向かっている。青波は、エマと何を話せばいいか考えるが、あまり思い付かない。そうこうしている内に、目的の駅に着いてしまう。そこには、エマが迎えに来ていた。

青波はエマの顔をまともに見ることができず、顔を逸らす。エマが不思議がると青波の母は、照れている、と説明する。青波は恥じ、エマは笑う。

エマと青波は二人きりで、祖父の家の縁側に座り、スイカのアイスを食べながら、祖父の状況を話し合う。祖父が裁判で有罪になるのか無罪になるのか、不透明だが、エマは、祖父が帰ってくるまで、いつまでも待ち、何度でも手紙を出し、帰ってきたら一緒に住む、ワサビくんも渡す、と話す。

エマは青波を連れて川へ行き、祖父に教えられた蟹取りを披露する。青波は蟹に驚き、それをエマはからかい、青波は恥じる。エマは家々を見渡せる、自分も祖父も気に入っている場所へ、青波を連れていき、そこからの景色を見せる。

そして、わたしと関わったことで迫害されていないか、と青波に訊く。青波は、迫害されていない、と答える。ずっと心配していた、と言うエマの手を、青波は、握ろうとしてやめる。

エマは、祖父が自分を守って母を刺してしまった時、夢を見ているような気分になった、と話す。そして、青波とここまで来れば、何事もなかったように祖父に会えるように思えていて、旅をしている間は、ずっと夢を見ているような気分だった、と話し、青波の手を取って繋ぎ、正面に向かい合い、青波と旅ができてよかった、と伝える。

青波は、自分が一番欲しかったものが手に入った、と感じる。

エマは、ようやく伝えたいことを伝えられた、と安堵する。青波は、自分も伝えたいことがある、と言い出すが、ためらう。エマが催促すると青波は、大きな声で何度も、エマちゃん、とエマを呼ぶ。

呆気に取られるエマに青波は、旅の途中からエマが自分のことを下の名前で呼びだしたのに気付き、自分も同じようにエマを呼びたかったが恥ずかしくてできなかった、と説明する。エマは、じつはわたしも、そうしてくれたら、と思っていたことを明かす。しかし、ちゃん付けは遠慮する。

青波は、自分が本当に伝えなければならないことは、そうではない、と思い直し、前回の告白はエマのことをアクセサリーのように考えていて、エマのことをよく見ず、エマの気持ちを蔑ろにしていて、自分のことをスーパーヒーローと思っていて、だから振られた時に腹を立ててしまったけど、振られて当然だった、と反省を伝える。

そして、旅を通じて理解した、エマの全て、弱くてできないことだらけの自分の全てを受け止めた上で、エマと生きていきたい、と改めて告白し直す。

エマはそれを聞いて、感動して泣くと見せかけて、しゃっくりを始める。青波はそれを笑う。エマは笑われて少し不機嫌になりつつ、わたしなんかでいいのか、と不安そうに問う。青波はエマの手を握り、エマの目を真っ直ぐに見詰め、エマがいい、と答える。

二人は赤面し、照れて顔を背け合う。エマは、愛とか恋とか分らなかったが、このことで少し分かった気がする。しゃっくりも止まる。エマは、わたしも青波がいい、と返し、二人は互いに手紙を送り合うことを約束し、手を繋ぎ、エマが青波の手を引っ張っていくようにして、二人は歩き出す。

二人は、エマの祖母と母が眠る墓の前へ来て、手を合わせる。エマは、会いに来るのが遅れたことを祖母に謝り、まだ許せないがまた会いに来る、と母に言い、また青波を連れて来る、その時まで、と別れの言葉を残す。

別れの時が来て、エマと青波は駅で、互いに寂しい気持ちを抱えているが、何も言葉が出ない。そこへ青波の母が割って入り、すぐに会えるのだから、と二人を慰める。エマは自分が被っていた祖父の帽子を青波に被せ、次に会う時まで持っていて、と言い、電車の扉が閉まると、笑顔で手を振り、送り出す。青波は、自分よりよほど別れの覚悟ができている、と感心する。

青波は、これからも旅は続く、と語り、自分も愛とか恋とか分からないまま、エマの手を引っ張るように突っ走っていたのかも知れないけど、その経験こそが愛や恋と言われるものだった、とようやく分かった気がする、とエマに向かって語り掛け、感謝する。

・第1巻

青波は学校で評判の男子を自負し、何もかも手に入れられるように感じており、手に入れたいものの一つとして、迫害されていて、だからこそ小説のヒロインのように美しく感じられる、エマがいた。青波は、簡単にエマが手に入る、と考えていたが、エマは青波に関心がなく、青波は怒ってエマを無視しようとするができない。青波は死んだウサギを抱くエマを不気味がる他の男子に同調せず、見るだけにしておくつもりが、夜の公園で見付けたエマに堪らず関わろうとし、エマからの批判と、エマの強がりを前にして、エマを街という地獄から連れ出して祖父と会わせる旅の、責任を引き受けることになり、これまでの生活とエマの涙を天秤に掛けて覚悟を決め、両親に真剣に別れを告げ、祖父に会う旅を始める。しかし早速、常識から外れたエマの振る舞いに、旅をやめたくなる。だがエマの振る舞いが、子供の弱さに起因すると理解し、青波はどうにかエマを守ろうと努める。ところが、エマの、祖父への拘りは、大人達の目を集め、青波は恥ずかしさで、エマと無関係を装いたくなる。けど、それはエマと関わらないことと変わらない、と思い直し、エマとの関係を大人達の目に曝し、一緒に逃げる。青波は母の意向を踏み越え、エマの導きでエマの知るファストフードの味を知る。エマは祖父への土産を欲しがり、青波は常識的感覚からそれを否定するが、それもエマと関わらないことと類似する態度だ、と思い直し、土産選びを許し、活き活きするエマを見て、旅の停滞を肯定する。青波は夜に寝ることを巡ってエマと、性愛の匂いのする話をし、そこからエマの母の話になり、エマの孤独の話になり、青波によって孤独から解放された、という話になる。その一方で、エマの母の死が世間に明るみになり、二人の旅の行く先は暗くなり始める。青波は旅とエマへの配慮に慣れ、楽しさを感じ、勢いでエマの過去を聞いてしまい、強く後悔する。エマは、母への憎しみと祖父への情愛、恐ろしい顔と可憐な顔を、連続して見せる。青波はその時点ではエマを抱き締めるものの、エマの母が殺害されていることを知ると、エマが見せた恐ろしい顔の意味が分かり、エマのことが怖くなる。エマは青波の怖れを察し、母の死への関わりを仄めかす。青波は悪夢を見るほど、エマに疑念を抱くが、関係を断ちたいほどの確信はなく、エマがよく分からない。エマが祖父の帽子を青波に貸したのと、時を同じくして、自殺に失敗した祖父が発見され、入院する。二人は大人の女性に車に乗せてもらい、家に招かれ、そこで旅を終えるように圧力を掛けられ、青波は自分が綺麗と感じた、その大人の女性に屈しそうになる。エマは包丁で自分の長い髪を切り落とし、大人の女性を威嚇して斥け、青波を奪還し、青波に対する呼び方を変える。エマは青波に、地獄の果てまで一緒に来て、と笑い掛け、青波はその幻のように映えるエマの姿を、綺麗だ、と感じる。

・第2巻

二人は旅を続行し、その途中、夜の公園で、迷惑を省みない他人の花火を眺め、エマは昔の、子供だからこそ感じられた、誇張された花火像を思い出し、今なら誇張なしに、祖父も花火も見たい、と言い、青波は目の前の花火がずっと続くように願う。その翌朝、死んだ蝉を埋葬し墓を立てるエマに、青波は疑念を薄め、自ら共犯者を名乗る。そして、母の殺害現場にいた、という発言を巡ってエマを刺激し、少なくともエマに母は殺せない、という結論を出し、それと共に足を負傷し、動けなくなるが、エマと祖父を会わせる強い意思を見せ、限界に近付いたところで芳美に保護され、祖父との再会が叶う。祖父は事件の真相を告白し、死ぬことではなく生きることを選ぶ。その後、エマは事件との関わりを色々と悔い、青波はそれに口を出せない代わりに、迫害されていたエマに対しずっと傍観者でい続けていたことを詫びるが、失うものの多い旅に付き合ってくれたのだから、もう傍観者ではない、とエマは返す。青波は祖父の帽子を返し、エマは、自慢の祖父が母を死なせたことで自分は救われたから、自分はそれへの関わりを主張してしまったのだろう、と語る。後日、青波は両親と再会し、自身の実力を過信していたことを思い知り、仕事を優先する父が旅の成果を褒めてくれたことで、両親からの愛を実感し、両親がいなくなってしまったエマの気持ちを慮る。青波はエマと過ごした旅の時間を反芻し、エマの夢を見て、エマに伝えなければならないことを考える。青波は祖父からの手紙を読み、エマと関わり始めたことを、よかった、と感じ直す。青波は学校に行き、誤解と冷遇を受け、それを自分への罰と感じ、小説のヒロインは簡単に成立するものでも、手に入るものでもない、と理解する。そして、罰に耐えながら、エマとの関係をこれからも続け、エマに伝えなければならないことを伝えよう、と決意する。青波は母に伴われてエマに会いに行くが、上手く話せず、母に間を取り持ってもらう。青波とエマは祖父の家で、祖父の状況について話し合い、エマは祖父との関係を続ける意思を示し、青波に自分が祖父と過ごした時間を追体験させる。エマは学校での迫害が自分から青波へ引き継がれたことを心配するが、青波は迫害を迫害と思わない意思を示す。エマは、祖父が母を死なせた後、青波と一緒に祖父に会えれば、母など最初からいなかったかのようになれるのではないか、と感じ、そこから始まった旅の時間はまるで夢のようで、でも全てが終わってみれば、そうではなかったが、青波と旅を果たせたことはよかった、と伝える。青波は、初めからずっと自分が望んでいたものが手に入った、と感じる。青波はエマをエマちゃんと呼び、それから改まって、旅の前は自分のこともエマのこともよく見えておらず、エマの批判に腹を立てたが、旅を通じて自分のこともエマのことも、良くも悪くも色々な面が見え、批判が正しかったことを思い知ったが、その上でこれからもエマとの関係を続けたい、と告白し直す。エマはそれにしっかりと応答できないで、自身への不安を吐露するが、青波はさらに踏み込んでエマを求める。エマは今度はそれにしっかりと応答して青波を求め返し、愛や恋を少しだけ分かった気になり、墓前で、死んだ祖母と母へ、別れの言葉を告げる。青波とエマの別れを、再び青波の母が取り持ち、エマは再会する約束の証として、祖父の帽子を青波に託し、青波は旅が今も続いていることを意識し、よく分からなかった愛や恋が、これまでの旅のことだった、と分かった気になり、感謝する。

・全体

青波は今いる狭い世界が快適だと感じているが、その快適さを壊しかねない、エマをも手に入れたくて、隠れた関係を結ぼうとするがエマに拒まれる。祖父と母から孤立したエマに、青波は覚悟を決めて、エマを連れて狭い世界を脱し、祖父へ会わせるための旅に出るが、エマとの関係の困難さを何度も味わう。しかし、その度にエマとの関係維持への信念を固めていく。旅とエマに慣れた頃、青波はエマの恐ろしい面を呼び起こしてしまい、再び旅とエマへの信念が揺らぎ、大人の女性に、旅を中止するよう誘惑されるが、エマは大人の女性に対抗する振る舞いを見せ、青波はそれに魅了される。二人は夜の危ない花火を遠くから眺めた後、死んだ命への祈りを通じて心を合わせ、青波はエマの仄めかす母殺害を虚勢と見破り、同時に足を負傷し、芳美に保護され、エマを祖父に会わせるための旅を終える。青波はエマに認められ、エマがいないなり、快適とも言えなくなった、狭い世界に帰り、自分を囲う者達の本当の姿と価値を理解できるようになる。その後、青波は母に守られながら再びエマに会い、旅と旅を経たことで起きた変化について話し合い、エマと青波は、祖父との関係と、互いの関係を続けていく意思を確認し合い、緊張した関係から、ゆるい関係へと移行し、死んだエマの祖母と母に別れを告げ、二人は青波の母に守られながら再び別れる。二人は互いに、今まで分からなかった愛や恋が少しだけ分かった気になれた。

エマの名字は暁だ。エマの旅の相手である、青波の名字に照らせば、それは赤月という意味であろうことが窺われる。月は作中にあるように、エマの自己イメージだ。そして赤は、旅の始まりにある、母殺害事件を象徴する、血の色であり、不穏や不安を象徴する色だ。

一方で青波とは、作中に出てきた、明るく楽しい海のイメージであり、不穏や不安とは反対の、安定と安心を象徴する。あるいは、まだまだ青い、といったような未熟さのことも表しているかも知れない。

赤月とは、さらには赤くて丸いもの、スイカを暗示していて、それはエマがその甘さの印象と共に語った、帰るべき場所と時間の暗示であり、また、甘いものとは青波の好物だった。エマはよく熟れた甘いスイカを求め、青波はそんなエマを求めていた。二人は同じく赤月を求める者として、一致していた。

二人の旅の目的は、再び祖父に会い、甘い赤月、熟れたスイカを味わうことだった。そして、二人は旅を終えた後、スイカはスイカでも、スイカのアイスを味わっていた。アイスは、二人が旅の途中で立ち寄った海で間接キスと共に味わった、豪華なかき氷と重なる。

二人は本物のスイカには辿り着けなかった。しかし、旅の経験から、偽物ではあるが、似たような甘さに辿り着くことができた。しかし、だからこそまだ旅は続いている、と青波は思うのだろう。

それは本物のスイカに辿り着く旅だろうか。いや、恐らくそれは、二人が海で味わったアイスを、かつてのスイカの味に負けないくらいの、甘い経験にしていく旅だ。それと同時に、あの頃の本物のスイカは、決して味わうことはできない、と不可能を受け入れていく旅でもあるだろう。

甘く熟れたスイカを味わえた、子供の頃の時間は、取り戻すことはできない。まるで、失われてしまった命のように。

当初の青波は、現在の快適な環境を肯定していた。しかし、ある日の美しいエマを目撃することで、エマのことが気になり出し、エマと関係を結びたくなる。しかしエマは、教室で迫害されている。青波は、その迫害に加わらないし、エマに近付くこともなかった。

エマと関わることは、エマの受けている迫害を、一緒に、あるいは代わりに、引き受けることであり、そうすることは現在の快適な環境を壊してしまうことを意味した。そこで青波は、密かにエマと関係を結ぼうとした。

みんながいない教室、または自宅の中。誰にも見られず知られないところでなら、青波はエマと関係を結べるし、エマのほうもそれを望んでくれる、と思っていた。しかしエマは、青波に関心を示さない。

エマは青波を、偽善的だ、と言った。その理由を、母が死んでしまった夜、公園で会って優しくしようとした青波に、エマは言っている。ここにみんなの目があったら、そうしていたか、みんなが見ていないところで、優しくしようとする、それが偽善的だ、と。

これは少し奇妙な話だ。偽善とは、みんなに見えるところでやるから意味がある。みんなが見ていないところで成立する偽善とは、何なのか。偽善とは、誰かに善人と評価されたいための行為だ。ここで青波は、誰に善人と評価されたいのか。それはエマと、それ以外のみんなに、だ。

エマは教室で迫害されている。そこでは、エマの迫害に加わること、あるいはエマに関わらないことが善だ。青波は、エマの迫害には加わっていないが、エマに向ける関心を隠して、エマに関わらない振りをしていた。

エマにとっては当然、エマに優しくすることが、善だ。そして、エマ以外のみんなにとっては、エマに優しくしないことが善らしい。そういう状況で青波は、みんなに隠れてエマに優しくすることで、エマにも、それ以外のみんなにも、善人であろうとした。

それをエマは偽善と言い、旅が終わった後、エマに優しくしていたことを知った一部の人達も、青波の態度を偽善と評した。前者はともかく、後者はどういうことだろう。エマに優しくしないことが善だ、ということ自体、変ではあるが、善を裏切ったなら、それは悪人と評されることになるはずだ。

しかしそうではなく、偽善者という評価が、青波にぶつけられている。今までエマに優しくしない振りしやがって、騙しやがって、仲間の振りしやがって、というなら、やはりそれは悪人か裏切り者だろう。偽善者、はおかしい。

青波はエマを連れて失踪し、それがメディアに報道されていた。エマは弱者ないし困窮者であり、それを青波がどうにかしようとしたことがメディアに映った、ということになる。

偽善とは、誰かに善人と評価されたいための行為だった。だとすれば、青波を偽善者と評した同級生は、青波がメディアに映ったことを言っているのだろう。しかもそれは、母殺害を疑われる少女を助ける、というヒーローめいた物語でもある。

青波は、狭い世界の中で、自分をスーパーヒーローなどと称して自惚れていた。ただ、青波はそれを口外してはいなかった。青波はヒーローとしての自分を想像するだけで、するべきことを何もしようとしていない。ヒーロー願望ないし想像を表にすら出していない。エマはそれを非難している。

そして、エマ以外のみんなは、エマを連れた旅によってヒーロー願望ないし想像を行動に移し、メディアを通じてそれを表に出した青波を非難している。

善人とはヒーローのことであり、エマとそれ以外のみんなから向けられた、偽善者、という非難は、ヒーローを偽ることについてのものだ。ヒーローとは、青波が心の中に隠し持っていた、願望や想像のことである一方、それはメディアによって広く知られることで成立する、虚像ないし物語のことでもある。

青波は、狭い世界では偽のヒーローたり得るが、教室や学校や街から出た世界では、きっと本物のヒーローたり得ない。ヒーローとは、誰かに認められて、なれるものだからだ。青波は狭い世界の外では誰にも知られていないし、何の関心も持たれていない。

青波の心の中には、ヒーロー願望がある。それは狭い世界の中に留まり続ける時に満たされ、狭い世界の外に出てしまった時にそれは無効になってしまう。青波の願望は、狭い世界で偽のヒーローでい続ける執着と、広い外の世界に出て、そこで本物のヒーローになれる希望とに分裂する。

青波が狭い世界で偽のヒーローでい続ける時、青波は広い外で本物のヒーローになることを諦め、その願望を偽らなければならない。それがエマの言う、偽善者の意味だ。

そして、エマの非難に応えて広い外の世界に旅立って挑戦することは、狭い世界でのヒーローを捨てて諦め、自分が狭い世界の中だけで成立していた偽りのヒーローでしかなかったことを認めることであり、青波は広い世界に旅立ち、メディアによってその偽りを曝け出した。それがエマ以外のみんなが言う、偽善者の意味だ。

青波は、エマの言う意味での偽善者から脱しようとし、しかし、エマとの困難な旅の果てに結局は、みんなの言う意味での偽善者に転落してしまう。青波は、自分が望む、本物のヒーローにはなれなかった。そして、自分が安住していた偽のヒーローとしての立場は、もう捨ててしまった。取り戻すことはできない。

青波は、それを自分の罪と、それへの罰だ、と考え、引き受けていくことを決意する。青波はもう偽のヒーローではいられないが、本物のヒーローを目指して挑戦したことで、何らかの手応えを持ち帰ることができた。

青波には外の広い世界、九州を目指す理由はなかったが、エマを支えると決心したことで、九州を目指す理由が出来、そしてエマを何とか九州に送り届けられたことで、エマに会いに行く、という、再び九州を目指す理由を持つようになった。

狭い世界に留まることは、もう快適とは言えなくなり、つらい思いも重ねることになるだろうが、欲しかったものが手に入る希望が、見えるようになった。欲しかったものを、もう諦めなくていい。偽らなくていい。

青波は今回、本物のヒーローにはなり損ねたが、本物のヒーローになりたい、素直な自分になることができた。それは欲しかったもの自体ではないが、欲しかったものをいつか手に入れるのに、それは必要なもののはずだ。

青波はもう狭い世界だけに安住しない。してはいられない。偽のヒーローなど、取り戻す気はない。それが感じさせてくれた快適さは、本物のヒーローになど、きっとなれないだろう、という諦めのせいだった。

青波はいつか本物のヒーローになるつもりなのか、といえば、それは恐らく違う。青波が旅の果てに知ったのは、偽でも本物でもない、ヒーロー像の手応えだ。それになるためには、狭い世界に閉じ籠るのでもなく、かといって広い世界に無闇に挑戦するのでもなく、二つの世界の間を適切に往復することが重要であるはずだ。

エマとの旅は、広い世界を知り、そこへ出ていく理由を確立する旅であり、同時に、これまで何も考えずに安住していた狭い世界の正しい姿と価値を知り、そこに留まる意味を明確にする旅だった。

自分を持ち上げていた同級生らは、あまり信用できるものではなく、また逆に、あまり信用できなかった両親こそ信用できるもの、と青波は知った。狭い世界は、広い世界を忌避するためにあるのではなく、広い世界へいつでも飛び出し、いつでも帰って安らげるためにある。

安らぎは、快適とは違う。快適は、広い世界へ出ていく意欲を奪う。安らぎは、広い世界で味わった疲れを癒しつつ、適度に不安や不満を残してくれる。疲れが癒えた時、それは再び広い世界へ出ていく意欲を与えてくれる。

安らぎとは、馴染みの場所のことであり、それは狭い世界の中に二つあった。家と学校だ。青波は両親へ不信感を向ける一方で、学校で同級生らに慕われることに没頭していた。これは狭い世界の中に作られた、内と外であり、学校ないし教室とは、偽の外の世界だ。

そこで青波はいい気になりつつ、本物の外の世界からやって来たエマを見付け、払拭しようのない、強い関心を抱くようになる。なぜ同級生らはエマを迫害していたのか。本物の外の世界からやって来たエマは、青波を本物の外の世界へと誘う力を持つからだ。

青波は、スーパーヒーロー、本物のヒーローになりたがっていた。学校とは、そこにいる同級生らも含めて、青波の願望によって作り出しされた世界であり、歪められた現実だ。そこでいくら活躍しようと、本物のヒーローには、なることができない。

エマは学校の偽物性を告げ、その世界を作り出した青波を目覚めさせる使者であり、青波の願望によって存在している、学校の中の人々は、だから青波を持ち上げる一方でエマを迫害し、自分はスーパーヒーローだ、と青波に自惚れたままにさせ、目覚めてしまわないようにしていた。

学校については一旦、置いて、青波の家と両親について考えてみよう。青波は、旅に出る以前は両親から与えられたものを誇っていて、旅を決意すると両親から与えられたものを持ち出しつつ、両親自体に頼ることはせず、決別するように家を出る。そして旅の途中では、しばしば両親への不信を垣間見せた。

歪められた現実の中では、頼れる存在だったはずが、そこから出ると一転して、両親は信用できない存在に変わった。頼れる両親もまた、学校や同級生と同じく、青波の願望が作り出したものだったのか。

いや、そうではない。旅の果てに青波は、両親の愛を知り、旅の前より信頼を寄せるようになり、エマと再会する際にも母を伴っている。両親の内、とくに母は、青波にとってエマ並みの存在へと昇格している。

青波が両親に向けていた不信感は、実際には、家と学校を含む、狭い世界全体へのものだった。青波は、本物のヒーローになるためには、狭い世界全体を捨てて出る必要がある、と考えた。そうして青波は、エマを目的地に送り届ける責を果たせたものの、無様な経験も散々した。そして何より、広い世界には自分のための居場所などない、と知った。

それは、広い世界に居場所を作る実力など自分になかった、という意味ではなく、そもそも広い世界は個人が居場所を作るようなところではない、という意味だ。人は広い世界を旅し終えたら、しっかりと自分の狭い世界に帰らなければならない。

そして狭い世界での準備の出来が、広い世界での活躍の具合を決める。狭い世界は、出るものではあるが、捨てるものや蔑ろにするものではなかった。いずれ帰って、安らぎ休み、また広い世界へ出ていくための準備をするところだった。

青波は広い世界から帰ると、狭い世界がすっかり違うものに感じられる。狭い世界があることの意味と、広い世界に出ていくために本当に必要なものが、分かるようになったからだ。それが自分の家であり、両親と、その愛だ。

青波は旅を通じて、愛や恋が分かった気になれた。愛とは、家や両親のことであり、狭い世界で自分を支えてくれるもののことだ。そして恋とは、エマのことであり、狭い世界から広い世界へ自分を引っ張り出し、自分にスーパーヒーローを目指す挑戦や冒険をさせてくれるもののことだ。

青波にとっての旅の意味、狭い世界の意味、エマの意味は見えてきた。では次は、エマそのもの、エマにとって青波とは何だったのか、祖父や母とは何だったのか、ということについて考えてみよう。

エマは教室で迫害を受けている。それは、母に暴力を振るわれ、顔に傷が付き出してから始まったようだ。エマは長い髪をしていることから、メデューサと呼ばれている。この長い髪は、祖父と母が誉めたことで伸ばされたものだ。

教室の人々がエマを迫害するのは、青波が目覚めないようにするためだった。エマは本物の外の世界から来て、青波を旅立たせ、教室の真の姿を明らかにしてしまうからだ。

エマの顔の傷や、エマの長い髪は、エマの祖父と母が成立に関わっている。教室の人々は、現在のエマを成立させている、祖父や母の影響を攻撃し、忌み嫌っている。青波を目覚めさせ、教室の真の姿を明らかにする力の源は、エマ自身よりは、その祖父と母にあるように思われる。

祖父は、髪を伸ばす、と言ったエマに、それを守る帽子を与えた。この帽子はエマの長い髪を収めて隠し、大人達に見付かって捕まらないようにしてくれるものだ。そういえば青波も、旅の始まりからずっと、自分とエマが大人達に見付かってしまうことを怖れていた。

正確に言えば、青波はエマと一緒にいようとしているところを、誰かに知られたり見付かったりしてしまうことを妙に怖れ、エマと関わりたい、と心の内では強く思いながら、そうは思っていない態度を、外に向けてしようとしていた。そこには恥の感覚が強くあるように思われる。

そして、それは間違いだ、と思い直し、辛抱強くエマを支え、青波はエマから帽子を託されるようになる。エマの髪が日焼けしないように、というのが、祖父がエマに帽子を与えた理由だったが、その理由を知らないはずの青波は、帽子を脱いだエマの髪が日焼けしてしまうことを、祖父と同じく、心配する。

夏の帽子に期待される意味といえば、普通は髪の日焼け防止より、熱中症防止だろう。しかし、エマに正論をぶつけてきたはずの、常識人の青波はここで、髪の日焼け防止を頭に浮かべた。祖父も青波も、何か常識を超えたところで、エマの髪の美しさを気に掛けていて、それを守りたい、という思いで一致している。

帽子とは、今はここにいない、髪の美しさを守りたい祖父の意思に代わるものであり、エマが帽子を脱いで青波に託すのは、青波が祖父に相当する存在になったことを象徴する。何によって青波は、祖父に相当する存在に昇格したのか。

この前日には、エマが恐ろしさと可憐さの両面を連続して見せ、青波に好意を仄めかした後、母の殺害現場に居合わせたことを告白している。それから、青波がエマに殺される悪夢を見て、エマの膝枕で目覚める、ということが起きている。そしてその頃に九州で、祖父が自殺未遂の末に海辺に流れ着いているのが発見される。

エマの旅立ちには、九州から来た祖父に対して、エマの母が狂気の面を見せて死ぬ出来事が関係している。その出来事が起きた時、祖父はエマを外へ出し、その際、また九州に来るように言い、その後、祖父は自殺しようとするができず、そのままエマをほうって九州へ帰ってしまう。

直後に自殺をするつもりでいながら、エマにまた九州へ来るように言うのも、その後の行動も、物語としてはちょっと看過し難い不合理さがあり、これはこの作品の、目立った弱点の一つだ。しかしここでは取り敢えず、この弱点には目を瞑る。

祖父と青波は、エマの母とエマ、愛する女性の可憐と狂気の両面を知って混乱しつつ、エマを九州に行かせよう、というところで共通している。青波にとってエマは、外の広い世界に出ていくための理由だったが、エマにとって祖父もまた、エマが外の広い世界に出ていくための理由になっている。

祖父の不合理な行動は、エマを外に出す理由作りのためだった。なぜエマはそうまでして外に出されなければならないのか。それは死んでしまったエマの母や、エマの持つ、可憐と狂気の両面、ヒーローに愛されるヒロインの謎や神秘を、旅を通じて明らかにするためだ。

もっと言えばエマは、エマの母の持つ謎と神秘を解明するために、エマの母から暴力を受け、元々受け継いでいた可憐さにその狂気を写されている。エマが海辺で青波に語った、母への殺意は演出掛かっていて、恐ろしさは印象付けられるが、どこか嘘っぽく感じられる。

エマは母を殺せる人ではない、と青波は見破った。エマは母を殺した少女を演じていた。それは祖父の犯行を庇うためであり、九州へ来い、という指示とも重なる。母の狂気と死、祖父の犯行と指示、九州での待機で、エマの旅は成立している。

いや、そこに一つだけ欠けているものがある。エマの旅は、ヒロインの謎と神秘を解明するためのものだった。ヒロインがヒロインたるには、傍にヒーローがいなければならない。だが、本来ヒーローたる祖父は、エマの旅の理由となるために、九州で待機しなければならず、ヒロインの傍にはいられない。

ヒロインは自分で自分を解明しない。その役割はヒーローが担う。ヒーローとは、ヒロインを愛し、傍にいて、観客の代わりに見詰め、接触して、その経験をメディアを通じて、観客に届けて見せる者のことだ。

青波は、エマの狂気の演技を目撃し、それを心に留めることで、ヒーローたる祖父の役割を引き継いだ。そして、ヒーローの役割を青波に譲った祖父は、ヒーローではなく、エマの旅の理由として、作中に姿を表せるようになる。

エマの母を死なせた直後に図る、祖父の自殺は、罪悪感によるものであり、単なる切腹に近い。だが、これをなせずに九州へ帰り、そこで再度図られる自殺は、切腹とは性質が違っている。

祖父は死んだ妻のことを思い、家族写真を取り出して眺め、それによって死を決意している。これは、死んだ二人に会いたい、幸せだったあの頃に帰りたい、という自殺であり、死者の後を追うものだ。

愛する者を亡くした主人公が、遠い死者の国へ赴き、死者に会いに行く。それは様々な地域の神話などに見られる、普遍的な物語の形式の一つであり、祖父はこの物語を進もうとしている。ただし、それは主人公ではなく、主人公が救うべき、自らも死の側に落ちようとする敗残者として。

祖父とは言わば、古きヒーローであり、エマと青波に旅をさせ、自分を救わせることで、若く新しいヒーローと、そしてヒロインとを成立させようとしている。エマが新しいヒロインなら、エマの母が古きヒロインであり、そしてエマの祖母は、それよりさらに古きヒロインだろう。

広い世界へ出ていく旅とは、ヒーローとヒロインを成立させることであり、またそれによって古きヒーローとヒロインを引退させ、世代交代させることでもある。

エマの髪の美しさとは、ヒロイン性の象徴であり、それを誉めた祖父と母は、エマを新たなヒロインを担う者として肯定している。エマもそれに応えた。祖父が与えた帽子は、そのヒロイン性を隠して日焼けから守るものだ。

日焼けとは、太陽からの抑圧であり、エマの自己イメージが月であることと、この太陽の意味は対応している。月は、太陽の輝きを受けて自身も光を放つものだが、昼と夜、太陽とは浮かぶ時間が全く入れ違う。

エマは、孤独で寂しい自分を青波が見付けてくれた、と言う。月とは太陽の輝きの反射によって見えるようになるものではあるが、太陽が沈んだ夜だからこそ、見えるようになるものでもある。もし月と太陽が同じ時間に浮かんでも、月は太陽の輝きに負けて、見えない。

エマの美しい髪、ヒロイン性とは、太陽の光のお陰で見えるようになるのだが、それは太陽が沈んでいる時間に限る。エマのヒロイン性は太陽の下では、見られないものになってしまう。祖父の与えた帽子は太陽を遮り、太陽が沈んだ時間を再現し、エマのヒロイン性を見られるものにする。

旅の始まりで、家を出た青波は、太陽の眩しさを感じている。そして、太陽の眩しさが満ちる中、青波はエマを帽子で隠しながら九州へ送り届けなければならない。青波もエマも、大人に見付かることを怖れていた。だとすれば、太陽はここで一先ず、大人を象徴し、月とは子供を象徴する、ということが言える。

青波は、旅の支度をしている時、大人なら車を使えるし、夜の街を堂々と歩ける、と言っている。大人は自由で、子供は案外と不自由だ、とも。車は自由の象徴で、能力や権力、経済力の象徴で、大人の象徴だ。だとすれば、大人を象徴する太陽が振り撒く眩しさとは、そういった大人の力のことを表している。

月は太陽の光を受けてようやく輝ける。これは、青波が始めの頃に、両親からの保護を誇っていたことと合致する。無力な子供は、大人の力を受けることでようやく輝ける。それは、苦労なく大人の力の一部を使える点で、気楽で自由であるように思える。

だが、その自由を享受するには、常に大人の管理下にいなければならず、子供の自由は、大人に管理されることの不自由を引き受けることと不可分だ、と青波は言っている。そして、エマと青波は今回、その大人の管理を抜け出して、本当の子供の自由を知ろうとしている。

だから、月と太陽、夜と昼、子供と大人は、狭い世界と広い世界に対応している。しかし、夜の月が、太陽輝く昼の領域に出ていくこと、狭い世界から広い世界へ出ていく、二人の旅は、エマの祖父と母が用意した理由と、青波の両親が用意した資産の上で行われている。

二人は子供の自由と不自由から抜け出せたようで、まだまだそこから抜け出せてなどいない、子供に過ぎない。けれども、子供は突然ある日を境に、何もせずに大人になれる、というものではない。

二人は本当の子供の自由を知ろうとしたが、そんなものはあるはずがない。子供とは無力な存在で、自由とは自分の力で掴むものだ。もし自由を掴めるほどの力を身に付けているのだとしたら、それはもはや無力な子供ではなく、ちゃんとした大人だ。

子供は大人の世界への挑戦と失敗を繰り返し、何度も子供の世界へ引き戻されながらも、力を身に付け、段々と大人になっていく。そして、その手助けをした古き大人は、やがてかつての子供にその地位を譲り、表から身を引くことになる。エマの祖父や母のように。

エマは旅を終え、物語上は児童養護施設に入る。それはエマが大人になり損ねて子供の世界に引き戻されたことを表しているように思えるが、祖父と母が表から身を引いている以上、これは寧ろ、エマの成熟を表している。

だから、一方で狭い世界に引き戻され、まだ子供を引き摺り、両親の保護の中に帰った青波は、エマに再会した時、話すことが見付からない。年齢こそ同じだが、中身は大人と子供だからだ。そして、見事に成熟を果たしたエマは、新しいヒロインの資格を得て、エマの成熟の手助けをして、今は表から身を引いた古きヒロイン、祖母と母の墓前で手を合わせ、その地位を引き継いだことを示す。

この時、エマは青波を連れてくることを約束している。これは、今度こそ青波も成熟させ、新しいヒーローとしてその地位を引き継がせることの約束だ。祖母や母と違って、祖父が生き残っているのは、青波がまだ完全なヒーローになれていないからで、だから約束通りにエマが成熟した青波を連れてきた時には、祖父も死んで墓に入っているのかも知れない。

話を、美しい髪と日焼けと帽子の意味に戻そう。太陽の力を借りて輝く月は、太陽の下では無力だ。そこで光を遮って、太陽の下でも、適度の光を借りることで、月としての輝きを維持する。それが日焼けと帽子の意味だ。

だが同時に、エマと青波は大人に見付かることを怖れていた。昼の光は、月が月であること、子供が子供であることを暴いてしまう。昼は大人の領域で、子供がいてはならない。太陽の下、輝いていたいが、輝いてはいけない、という矛盾した感情がここにはある。

それは輝きが二種類に分けられることに由来する。自らの力で放った強い輝きと、その誰かが放った強い輝きを受けて返す、自らの力で放ったとは言えない、弱い輝きだ。

月が自らの輝きを、これは自分の力で放った輝きだ、と言ったところで、それはすぐに嘘だとバレる。月が昼の領域に出ていっているなら、なおさらだ。その輝きの起源が、同じ領域にいて、それを辿ることができるからだ。

この時、輝きとは固有性のことであり、またその固有性を主張するための、表現のことでもある。表現という輝きは、個人から放たれる固有性だが、自力で放てるほどの強い固有性をまだ持たない個人は、誰かの固有性を受けて真似し反射することで、固有性の何たるかを体感し、やがて自らの固有性を獲得し、自らの輝きを、自らの力で放てるようになる。

この、自らの輝きを自らの力で放てる、ということが大人であり、誰かの輝きを借りなければならない、ということが子供だ。エマは月であり子供だった。それを補うために祖父の帽子を必要とした。子供がまだ子供でいるためではなく、子供が大人の領域に出て、やがて大人になるために、その帽子はある。

エマが固有性を獲得して大人になるには、太陽の下を進み、旅を果たさなければならない。旅とは、祖父の指示に従った、死者の国を目指して古きヒーローを救う冒険であり、また母から写された、古きヒロインの謎と神秘の解明だった。

エマは青波に支えられて、どうにか死者の国に辿り着き、祖父を死から救った。そして、その少し前には、エマは青波に、自分が母を殺害した、という演技を見破られている。

ヒロインとは謎と神秘の存在であり、それゆえにヒーローに愛された。そしてヒーローは、ヒロインを愛するがゆえに、その本質を見破り、謎と神秘を剥がし取る。ヒロインはなぜ謎と神秘を帯びるのか。それは、ヒーローに愛され、ヒーローにその本質を見破らせ、謎と神秘に隠された部分を曝け出すためだ。

そして隠された本質をヒーローに曝け出すのが、ヒロインの役割だ。この本質とは固有性のことであり、人の輝きの起源であり、固有の表現の起源だ。ヒーローはそれを目撃し、メディアを通じて観客に届ける。そうして、ヒーローによって広い世界で固有性を曝け出し、輝けるのがヒロインだ。

ヒロインは視覚と物語を彩り、作品を成立させる、重要な存在だ。しかし、どのようにしてかは分からない。若く新しい表現者たる、エマと青波にとってヒロインとは、何よりも先ず、そのような謎と神秘の存在だった。そして、広い世界に出て固有の輝きを放つには、旅の途中でそれを解明する必要があった。

二人が辿り着いた結論は、ヒロインとは謎と神秘を纏ってヒーローと読者の関心を惹き付けることが最大の役割であって、謎と神秘を纏うこと自体に意味がある、というよりヒーローと読者に、謎と神秘を纏っている、と思わせられることが重要で、謎と神秘の実態は何でもいいし、何なら中身が何もなくても構わない、というものだ。

実際に旅は、エマが謎と神秘の少女を演じ、青波を振り回すことで、だいぶ進んだ。その果てに、謎と神秘はただの演技でしかなく、そこにとくに隠された何かなどはなかった、という解答を出してしまった後に残るのは、エマの謎と神秘を演出するために拵えてしまった、不合理の数々だった。

エマは、残された不合理の数々の後始末のことを考え、途方に暮れる。そんな中、青波は、祖父に会う、という最大の使命がまだ残っている、とエマを奮い立たせ、どうにか旅を終わらせる。その最大の使命を用意したのは祖父自身であり、祖父の役割を引き継いだから、青波はその使命をエマに示している。

祖父が用意した最大の使命とは、死者の国への冒険、という古くも普遍的で安定した物語の大枠であり、たとえ数々の始末し難い不合理を残してしまったとしても、その物語の大枠を満たせば、どうにでもなる。それは、古きヒーローならではの、知恵と経験ではなかろうか。

物語の大枠を満たした二人は、無事に旅から解放され、旅の総括に入る。不合理? はて、何ノコトデショウ?

エマは九州に残り、両親の保護も、祖父母の保護もない境遇に耐える日々を送るようになる。一方で青波は狭い世界に帰り、夢みたいな快適さと決別しながら、エマと再会する気持ちを固めている。

エマが成熟し、青波が成熟し損なっているのは、旅でエマが何かをなし得て、青波が何もなし得なかったから、ではない。青波は充分に、旅で何かをなし得ている。しかし、二人の旅の結果は決して芳しいものではなかった。かといって、全てが失敗というわけでもなかった。

半分は成功に終わり、もう半分は失敗に終わった。それを分かり易い形で、それぞれが引き受けているだけだ。何よりまだ旅の理由が要る。二人の旅の必要は、まだ続いているのだ。

旅とは、月が月でありながら太陽の領域へ、子供が子供でありながら大人の領域へ、進出する試みだった。月と太陽、子供と大人は、表現とその固有性を巡る、力関係のこと、あるいは新旧の世代関係のことだった。

ここには、少し捻くれた、作者の意識がある。月が、自分はもう太陽並みになれているはずだ、と思って、太陽の領域に出て行くのではない。月が、自分はまだまだ月だ、という自意識を持ちながら、太陽の領域に出て行っているのだ。

そしてその結果は、まだまだ月だと思っていたら、じつは太陽並みだった、ではなく、やっぱりまだまだ月だった、というもので、当初の自意識の通りだ。これは、自分の思い上がりが打ち砕かれるものではなく、自分はきっと思い上がっているはずだ、という憂慮が正しかったことが、確かめられるものだ。

作者は自分を月と思っていて、同時に、できれば太陽になりたい、とも思っていて、でもそれは難しいし、太陽になれたような気になる日が来るとしても、それはきっと自分の思い上がりに違いない、とも思っている。エマと青波の、この旅の始まりとその結果は、それを物語っている。

頑張れば多分、月ではなくなることもできる。けど、きっと太陽になんか、なれはしないだろう。では、自分が月ではなくなった時、何になれているのだろうか。それへの答えが、半分太陽で半分月、という、エマと青波の関係だ。

それはいいことなのだろうか。太陽のように輝く、かわいい女の子が描けたなら、それでいいのではないか。その代わりに、月のように不自由や苦労を引き受けさせられる男の子が必要になるけど、太陽のような女の子がちゃんと愛してあげるから大丈夫。

漫画は、ヒロインの魅力が全て。古き物語の大枠を満たすのもいいけど、かわいいヒロインがいれば、物語の不合理も何もかも全部、許されるでしょ? わたしなら許すし。

作者がこの作品の旅を経て見付けた景色とは、そのような固有で新しい、作品とヒロインとヒーローの関係かも知れない。

この作品には、月と太陽、子供と大人、狭い世界と広い世界、という対立が描かれていた。ここにもう一つ、かわいいものと恐ろしいもの、という対立がある。既出の言葉を再提出するなら、可憐と狂気だ。そして、この対立の不具合が、この作品のもう一つの、目立った弱点を形作っている。

それは、老人を描くことの、作画的ないし視覚的失敗だ。この作品には、エマの祖父とその妹の芳美、という、重要な役割を果たす老男女が登場するが、その作画的失敗についての詳細は、言葉を要さないだろう。見れば誰もが直ちに了解してしまう。漫画表現の、怖いところだ。

この失敗を敢えて言葉にするなら、子供が授業で同級生の顔を描く、という時などに、ちゃんと写実的な方向で描こうとして、その経験と技術がないために、とくに鼻の穴やその周辺の皺を目立たせるなどしてしまい、特有の印象の絵になってしまうアレだ。

それだけだったらまだ、そういう画風だ、ということにもできるが、この作品は子供のエマと青波が中心であり、その作画と一緒に並んだ時、老人の作画が異様な印象となることは、避けられない。

この弱点は作者が、自分はどう頑張っても太陽にはなれない、と思っていることと通じているはずだ。太陽とは大人のことであり、作者は大人の、その中でも取り分けて、老人の作画を非常に苦手としている。そして、その代わりに子供の作画は得意としている。

その結果、老人の作画は子供の作画を基本にして、それを不適切な手付きで発展させているので、おかしなことになってしまっている。

だがこれは、避けたり低減したりできることではあった。なぜならこの作品は、全体としてはちゃんと、苦手な大人の作画自体をできるだけ避けたり、眼鏡で顔の大部分を隠したり、開き直って殆ど子供と同じ作画で済ませたりしているからだ。その中で、祖父と芳美、老人だけは、そういった誤魔化しをせず、苦手なままに正面から描こうとしている。

ついでに言えば、大人の中でも、エマと青波を車に乗せた女性、青波の母など、女性は堂々と描かれている。青波の父は眼鏡で顔を省略されているのに、だ。

これは大人の女性が、子供と同じく、かわいいを基本に作画できるからだ。なので同じ老人でも、女性である芳美の作画は、祖父の作画に比べて幾分か、ましになっている。

作者は、子供の作画が得意、というより、かわいい作画が得意であり、もっと言えば、かわいい女の子の作画が得意で、男性や、かわいいから遠くなってしまった老人の作画は、苦手なのだ。

かわいいと恐ろしい、可憐と狂気、という対立もやはり、子供と大人、という対立に繋がっていて、そこには薄らと、女性と男性、という対立も見えてくる。そして、苦手にも拘わらず、なぜだか、かわいい女の子の表現を、男性の老人の表現に挑戦させている。

祖父は、母を失って孤立したエマをほうって九州に帰る、という物語上の不合理を決行したが、作者はここでそのような、作画上の不合理を決行している。それは物語上の不合理を決行したのと同じ動機だろう。

この二つの不合理は、この作品に目立った弱点をもたらすことになるが、それでも作者がこれを決行するのは、ここに作者がどうしても表現したかったことがあるからであり、これこそが、自分はまだまだ月でしかない、と自認している作者が持っている、固有の輝きだからだ。これを隠すわけにはいかない。

物語上の不合理と、作画上の不合理は、密接に繋がっている。漫画表現とは、作画で何かを物語るものであり、作者の作画力の範囲が、作者の物語れるものの範囲を相当に決定してしまうからだ。

作者はかわいい女の子の作画を得意としていて、男や老人の作画は苦手だった。作者は不合理を犯してでも、男や老人の範囲に踏み込んだ。作者は、男や老人について何か表現し、物語りたかったのだろうか。

これは、そうだ、とも言えるし、そうではない、とも言える。作者は、男や老人について何かを表現したり、物語ったりしたいのではない。作者が表現したいこと、物語りたいことに、男や老人を、ちゃんと描けることが必要なのだ。

筆者は作者の創作歴を深く知っているわけではないが、どうやらイラストレーションを創作活動の主要範囲とし、そこから漫画へと、表現の範囲を広げていったようだ。言わば、イラストレーションは得意なかわいいの世界であり、漫画は苦手な恐ろしい世界だ。

この二つの世界の違いは、イラストレーションが、好きで得意なものだけを表現していてよく、自分と好きや得意が重なるような人々だけに届ければいいものであるのに対し、漫画は、好きや得意なものだけを表現していては駄目で、自分と好きや得意が重ならない人々にも届けなければならないもの、ということだ。

それは、趣味と仕事、アマチュアとプロフェッショナル、という違いとも言えるだろう。作者は絵を、気軽な趣味から本格的な仕事に転換したくなった、ということか。そうかも知れないが、それだけではない。作者はここに不合理を持ち込んだ。絵を仕事にするだけであれば、不合理こそ排除しなければならないはずだ。

作者は不合理を仕事にしようとした、というより、不合理を始末するためには、それを仕事にするほどの覚悟と力量が要り、それを志したのだ。

この不合理とは、もう子供でもなければ、胸を張って、大人になった、とも言えない、男性でもなければ老人でもない、女性としての作者固有の事情と苦悩と狂気であり、それはかわいいイラストレーションでは表現し切れず、またそれを観客にそのまま垂れ流していいものでもない。

作者はこの不合理を始末するために、その物語化を必要とした。それは不合理を適切に表現化することでもあり、それにはかわいいイラストレーションから抜け出し、恐ろしい領域に踏み込み、不合理をきちんと描き出し、物語の形、漫画の形にできる必要がある。

ここには、かわいいイラストレーションへの不信と、不合理を表現し得る、物語への無闇な期待がある。作中で、少女と言っても通じる、かわいい容姿を持つ、青波の母が、都市伝説めいた噂を理由に青波の食事を制限していたのは、かわいいと不合理の混線であり、かわいいへの不信の表現でもあった。

エマの母が、整形したい、と言い出したのも、同じ文脈だろう
エマの母は、エマに似て可憐でかわいかった。だが、かわいいでは扱い切れない、男性には理解できない、何かがあった。

エマの母は、整形への願望を理解されず許されないまま、結婚して、自分よりもかわいいエマを産み、一旦は整形への願望を忘れるものの、時間が流れ、エマが成長し、静岡に引っ越すと、男性である夫は、理解できないエマの母の苦悩と狂気を刺激することをやらかし、エマの母は、自分よりも強化されたエマのかわいさを憎むようになる。

夫も父も、エマの母の苦悩と狂気を理解できなかった。そして、母の苦悩と狂気を引き継いだのが、娘のエマであり、その苦悩と狂気に関心を持ち、それを理解し解明できたのが、男性でありながら子供でもある、青波だった。

かわいい力が、女性の苦悩と狂気を解いた。ここには、かわいいイラストレーションの力への、信頼の回復があり、だから、不気味さを帯びさせられ、かわいいを奪われた青波の母は、終盤でかわいいを回復し、大人として、子供達を保護できるようになる。

青波がエマに、エマちゃん、と連呼してちょっと気味悪がられ、エマが青波の渾身の再告白にしゃっくりをするのは、緊張から、ゆるさへの転換であり、ゆるいとは、かわいいの別の側面であり、これもかわいいへの信頼の回復だ。

作者は、かわいいイラストレーションの力では扱いきれない、自身の中の不合理を扱うために、物語の力、もっと言えば、夏目漱石や、性愛や暴力や死、死者の国への旅などが象徴する、文学の力を手に入れようと挑戦した。

不合理とは、自分の力と理解が及ばない事象や領域のことであり、それは女性である作者にとっての、自身の中に隠された何かのことであり、自身の外にある、自身とは掛け離れた、男性や老人や物語や文学のことだった。

自身の中の不合理を扱うには、不合理というものを的確に描写できなければならない。それには物語や文学の力が要る。物語や文学を、作家として成立させるには、自身の(得意の)外にある様々な苦手なものに目を向け、きちんと描写できなければならない。

この作品は、物語を身に付けるための物語、文学を手にするための文学、不合理を扱うための不合理、という試みだった。だからエマは、不合理を演じただけで、それを見破られた後にはそこに何も残らなかった(しかし漫画としての実務上の不合理だけは残りやがった。厳しい)。

だがそうして、かわいいイラストレーションおよび、かわいい女の子への信頼の回復を、作者は得られた。作者は自分の得意な力を疑い、自分の苦手な力を試し、自分の力を再発見した。かわいいの新たな可能性は、作者の新たな可能性だ。それは作者の中の不合理を、少しばかり解明したことになるだろう。

エマの苦悩と狂気は、ただの演技で真似だった。青波はこれを見破った。二人の関係だけで見れば、それで充分な成果だ。二人の関係とは、この作品の物語の時間の別名だ。新しく、より広い作品、より広い物語の時間を想定するなら、これでは不充分だ。

エマの苦悩と狂気は、エマの母に由来する。本当なら青波は、祖父の役割を全うする意味でも、エマの母の苦悩と狂気まで解明できるべきだった。だがそうしたところで、恐らくは、今度はエマの祖母の苦悩と狂気が掘り起こされることになるだけだろう。

エマの演技も、エマの母の、整形への願望も、じつはあまり、質としては変わらない気がする。演技も整形も、自分がどう見られるかに関わることであり、それはこの作品が試みた、作画と物語に関する挑戦、表現の挑戦のことであり、これをさらに掘り進めても、その成果はもう少ないはずだ。

それよりは、この作品がとうとう最後まで回復できなかったものを、青波は問題にしていくべきだろう。青波は両親への欠けていた信頼を、旅を経て回復したはずだった。かわいいを奪われていた母は、かわいいを回復し、その顔を現した。しかし、父は顔を隠したままで終わった。

この作品は、子供の男女の顔を描いた。老人の男女の顔もどうにか描いた。大人の女性の顔も、子供を手本にして描いた。しかし、大人の男性の顔だけはしっかりと描けなかった。これは、エマの母が父や夫に理解してもらえず、破滅していったことと、エマが父への意識をさっぱり持ち合わせていないこととに、何か関わるはずだ。

作者が描くことを苦手としている、本当の顔は、大人の男性の顔であり、それを迂回するようにして、老人の顔に向かっていった。本当に苦手なものは、上手下手の話ではなく、描くことすらできなかった。

一応、海辺に流れ着いた祖父を発見した釣り人や、エマと青波を車に乗せる人として、大人の男性が描かれはしているが、物語に深く関わることはない。だから、より正確に言えば、作者が苦手としているのは、赤の他人ではなく、父や夫のような、身近な存在としての、大人の男性だ。

※若き日の祖父も、一瞬だけ描かれていることに、後で気付いた。だがそれは、そこに一緒に描かれている、若き日の祖母(やはり、かわいい)とは釣り合いが取れている、とは言えない。大人の男性が苦手だ、という主張が揺らぐものではない。

そして、青波が男の子である以上、青波はきちんと年齢を重ねて大人の男性になれるのか、作者は大人の青波を描けるのか、大人となった青波と関係する、大人となったエマを描けるのか、という問題が浮上する。

エマは母達の墓の前で、また青波を連れてくる、と誓っている。その青波は、きちんと大人になれた青波のことであるはずだ。それが実現するのかどうかは、この作品が現時点での作者の最新作なので、まだ何も言えることはない。

今は作者の、次の旅の始まりと、その終わりを待つことしかできない。無事に次の旅が終わり、その結果の報告を、メディアを通じて見届けた後で、再び何かを語ることとしよう。それまでバイバイ。