タイザン5作、漫画「タコピーの原罪」第10話を読む
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まりなの死に自分が関わったことを知ったら、目の前の兄は何と言うのか。それを東は想像する。家の恥だ、無能だ、邪魔物だ、と兄はきっと罵る。兄が言うだろう、それらの言葉は、東が恐れる母が言うだろう言葉でもある。
そんな東の心の内を知らずに、兄は思い詰めた東を気遣いながら、「何でも聞くから」と笑い掛ける。東は、何もかも完璧で何もかも手に入れて、誰からも愛される兄には、ぼくのことは分からない、と言う。
兄は何よりも母に愛されている。東は母に愛されたくて、友達も作らずに頑張ってきた。母に愛されさえすれば、何が犠牲になってもよかった。
だが、何を犠牲にしても、東は母の期待に応えられず、母の愛を手に入れることはできなかった。母にも母以外の誰にももう愛されない、と感じる東は、その中でただ一人だけ自分に期待してくれる、母に似た少女に縋るしかない、と考える。
それを兄は力強く否定する。「いや (まだ、おまえには)俺がいるだろ」と。兄は、先程言った「何でも聞く」は、何でも「聞きたい」ということだ、と説く。
兄だから弟のことは何でも聞きたい。試験の点数がどうであろうが、弟は弟だ。そのことに決して変わりなどない。弟というだけで、お前は兄である俺に愛されている。兄はそう言っている。
そしてそれは、東が母からそのように言ってもらいたかった言葉でもある。
兄は弟の名を強く呼ぶ。弱った弟の心を奪おうとする魔王しずか。弟に伸ばされたその暗き手を払い除けるように、自分の手を差し伸べ、愛する弟を守る、光のお兄ちゃん。
弟を追い詰めただろう、完璧さへの強迫観念を崩すために、兄は自分の弱い部分を告白する。そして、母の弱かった部分も話し出す。
東が憧れていた母のパンケーキは、昔はとても不味かった。それがとても上手になったのは、母が努力の人だからだ、と兄は語る。東の、上手くいかないところを努力で埋め合わせようとする姿勢は、母譲りだ、とも語る。
母の美点は全て兄が受け継ぎ、自分には母との繋がりがない。東はそう思っていた。
兄は、母が東に努力を課すのは、母自身が努力の人で、東が他ならない自身の子だから、彼も努力によって成長する、と信じているからであり、東がそれに応えようとするのもまた、東が他ならない母の子だからだ、と言っている。
東はとても不器用な子供だ。だとすれば、その母もまた、とても不器用な人なのだ。どちらも互いに、互いを愛することが不器用で、それを埋め合わせるために、少し間違った努力をしてきてしまった。
一人器用な兄は、その間に立って二人を仲介する。二人の擦れ違いを埋め合わせる。東が母に言い出せなかったことを、母に代わって兄は聞き出す。この時、兄は、今まで手に入れたくても、ずっと手に入らなかったものを、手に入れたはずだ。
器用な兄は、東からすれば何もかも手に入れていたように見えた。東が欲していた母の期待、母の愛も含めて。だが、器用だからこそ手に入らなかったものがあった。弟の期待、弟の愛だ。
東は、母に買い与えられた眼鏡の度が、今はもう合わないことを告白する。その眼鏡は、母の期待とそれに応えようとする東の努力の象徴だ。無理して掛け続けてきた眼鏡は、もう外したい。東は新しい眼鏡が欲しい。
母がその願いを聞き入れ叶えてくれるか、東は不安だった。しかし、今は兄がいる。兄が、互いに不器用な母との距離を埋め合わせてくれる。そう信じられる。それにもし、母に拒まれたとしても、その時は兄が新しい眼鏡を買い与えてくれるだろう。
今まで東にとって母と兄は、一体となった恐ろしい存在だった。兄は母離れしたが、その意味を東はよく分からなかった。
母の期待に応えるだけが、子の生き方ではない。では、どういう生き方があるのか。それを一人器用な兄は、兄として先んじて生きて見せようとした。
他ならない、愛する不器用な弟のために。そして、子の愛し方に迷っている、他ならない、愛する不器用な母のために。
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東は自首したようだ。それは、しずかのためではなく家族のために、だ。東はしずかよりも家族を、最後には選んだ。
しずかは東に拒まれた。そして、家族というものの前に敗れたのだ。そのことをしずかは知っているのだろうか。ただ、東はもう助けてはくれない、という状況だけは確かだ。
しかし、東は事件をどう供述したのだろう。まりな殺害までも東が被るなら、不可解さはあってもまだ話は通る。それがしずかの要求だった。しかし、その要求を拒否した自首なのであれば、東は自分が行った悪事についてだけを供述することになる。
東が行ったことは、死体遺棄と犯人蔵匿及び証拠隠滅であって、殺人は含まない。殺人を行ったのはタコピーだ。東はしずかの要求に従って、その後始末をしただけだ。
だが、ある殺人の後始末に従事したことを供述するなら、その殺人自体への関わりについても供述しなければならない。そこでまさか、まりなを殺したのは宇宙人だ、などとは言えまい。
もし言ったとしても、それで大人達が納得するわけもなく、せっかく蟠りが解け始めた家族との関係もぶち壊すことになる。
もっとも、東はまりな殺害の瞬間に居合わせたわけではない。まりな殺害の詳細を東は知らない。なら東は、しずかがまりなを殺害したかも知れないことと、しずかのためにその後始末をしたことだけを供述すれば充分だろう。
後はしずかとタコピーの問題ないし罪だ。タコピーの存在を除外して、東は自身の罪の告白をすることができる。あのタコに拘っても、ろくなことはない。
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この作品は短期連載であることが公言されている。怒濤の展開で話題をさらい、読者の関心を惹き付けてきたこの作品だが、にも拘らず、東の家庭の事情に入ってからは、作品の展開が妙に遅くなったように思われる。
短期連載なのであれば、余計な表現や展開は控えられなければならない。だとすれば、この作品が何を描きたいのか、がそこに明確に表れているように思われる。
作者がこの作品で描きたいのは、しずかのことでもなく、まりなのことでもなく、東のことだ。そしてそれは、今回で達成されたように思われる。
さて、今回はどうにも解釈に困るコマがあった。
「(東に倣って)ぼくたちも もう 本当のことを(言ってしまおう)」と訴えるタコピーを制して、しずかは「何言ってんの 今日から 夏休みだよ」と言い放つ。
そのコマでは、しずかは夏の晴天の下で、リボンがあしらわれた麦藁帽子を被り、虫籠を首から提げ、虫捕り網を挿したランドセルを背負い、ビーチボールを提げ、右手にはスイカバー、左手には浮き輪、という格好で立っている。
その次のコマでは、タコピーもしずかと同様の帽子を被っている。しかし、それらの直前のコマでは、二人は普段の格好であり、それらより後のコマでも、二人は普段の格好だ。
この二つのコマを作者が描いた意図は計りかねる。素直に解釈すれば、全てが整い、恐いもののなくなったしずかの無敵な心情と、それに引っ張られる他ないタコピーのどうしようもなさを、現実に重ね合わせる形で表現したもの、と考えられる。
が、二人は魔王しずかとハッピー星人タコピーだ。そこにそれ以外のどんな意図が込められていない、とも言えない。油断はできない。
まあ何にしても、あれだけ悲惨な目に遭い続け、給食もろくに食べられない、あの弱々しかったしずかが、今やお日様の下で堂々とスイカバーを齧るようにまでなった、ということだ。よかったね、しずかちゃん。
東はしずかから離れたが、時間稼ぎの役目は果たしてくれた。夏休みには間に合った。チャッピーに逢いに行くのを邪魔するものは振り切った。タコピーにきらきらとした笑顔で、東京へ行こう、としずかは言う。
果たして、しずかはチャッピーに逢えるのか。チャッピーと逢えた後に、しずかはどう生きていくつもりなのか。タコピーはこのまましずかに付いていくだけなのか。次回の配信を待ちたい。