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原神日記:星海の旅人たち


1:今年も良かった海灯祭

というわけで、今回も原神日記である。
現在、ver4.4も終盤となり、メインイベントである〈海灯祭かいとうさい〉の余韻を反芻しつつ束の間の暇を過ごす日々である。

振り返ってみるとver4.4は目玉の新キャラのみならず新マップの開放、そして毎年恒例のイベントなどがあり、しかもそのどれもが軒並み楽しくて、結果大満足なバージョンだった。
特に、今年の海灯祭はずっと原神を遊んできたプレイヤーにとって感慨深いイベントになったと思う。

なので今回は海灯祭を振り出しにして、原神のプレイ体験について書いてみようと思う。

クラクサナリデビ様もにっこにこです。


2:ああ、歴史。

海灯祭は毎年2月になると開催される恒例のイベントだ。
簡単に言えば原神の世界における春節みたいなものである。
舞台となる港の街が灯籠やペナントで飾り付けられ、各種ミニゲームやイベントストーリーなどを楽しめるお祭りだ。

そんな海灯祭であるが、初開催のときの評価はあまりよろしくなかった
イベントストーリーではプレイアブルキャラはあまり絡んでこず、モブキャラのお使いをこなしてちまちました報酬をゲットするだけという味気ないもので、あけすけに言ってしまえばクッソしょぼいイベントだったのだ。
そんなこともあってか、第一回海灯祭は古参プレイヤーの間では語り草のひとつになっている。

この第一回海灯祭の低評価っぷりには運営も流石にマズいと思ったらしく、それ以降の海灯祭ではプレイアブルキャラもたくさん登場し、ミニゲームのバリエーションやその他のコンテンツの量も増えたのだった。

――再びver4.4に話を戻そう。
このバージョンでは新キャラの〈閑雲かんうん〉が実装され、海灯祭のストーリーでも主演級の扱いを受けている。

実はこの閑雲、ver1.0の時代から鳥の姿をした仙人としてメインストーリーに登場している最古参キャラの一人でもある。
メインストーリー以外にも度々顔をみせており、特に去年の海灯祭のムービーでは人間の姿になれることが判明し、そこからまるまる1年経ってプレイアブル化されるという、実に歴史の長いキャラなのだ。

 ←去年の海灯祭   今年の海灯祭→

原神はアクションRPGというジャンルではあるが、継続してアップデートされていくgames as a service型のゲームである
時を経るごとにストーリーが増え、イベントが開かれ、その中で新たな設定が付け足されたり謎だったものが解明されたりしていく。

――と、そんな感じで三年もサービスを続けていると、主だったストーリーだけでも膨大な量になっており、新規のプレイヤーは大ボリュームのオープンワールドRPGをいきなり楽しめちゃうのである。

しかし、こと原神においては普通のRPGとは少々勝手が違ってくる。
全てのプレイヤーが通るメインクエストや世界各地に散らばるサブクエストとは別に、期間限定イベントというものがあるのだ。

期間限定イベントとは言葉そのまま期間限定で開催されるイベントだ。
大抵の場合、海灯祭のようなお祭りだったりするのだが、それらは開催期間が終わるともう遊べなくなってしまうのだ

そして、それらのイベントを体験したかどうかがストーリーに影響してくるのだ。


3:やってんなあ

ver3.3でプレイアブルキャラとして追加された〈散兵ざんひょう〉というキャラがいる。

でもこの後更生させられるんだよね。

この散兵、実をいうとver1.1の期間限定イベントで初めて登場したキャラなのである。
イベントでは当初友好的な態度でプレイヤーに接して来るのだが、ストーリーの後半では敵対する組織の幹部だということが明かされる。

それ以降はさっぱり姿をみせなかったが、それから約一年後のver2.1で追加されたメインストーリーで再び相見えることになる

要するに、ver1.1の期間限定イベントをやっていないプレイヤーは、ここで初めて散兵と出会うことになるのだ。
さらには、そこで初対面かどうかで演出やセリフが変わるのである。

この散兵のほかにも、その時々にあるイベントに出演するキャラたちとのストーリーを経たかどうかで、その後のメインクエストにおける会話などが違ってくるのだ。

そう――

この原神というゲーム。
期間限定にも関わらずメインクエストに絡むストーリーをやりやがるのだ。

しかも、その期間限定イベントの復刻は今のところ予定されていない。


4:記憶する者

――とは言うものの、メインクエストに大きな分岐があるわけではない。
大枠のストーリーは全プレイヤー共通だ。
概ね一本道で、会話や選択肢がちょっと変わるくらいである。
ぶっちゃけ些末な違いだ。
辿り着く先は同じなのだし、別に気にするほどでもない。
なんとなれば、ゲームを遊ばずともyoutubeでプレイ動画でも見れば共有できてしまう。

であるがゆえに、些細なディテールの積み重ねこそがプレイヤー固有の体験となりうるのではないだろうか。

RPGというゲームジャンルは、一冊の本に似ていると思う。

本は何度でも読み返せる。
工夫次第で分岐を設けることもできし、読み進める過程でコンテクストが変容していくこともある。
だがそれでも、本に書かれた文章は消えない。
文章が勝手に消えたり、それによって別の文章が書き換わったりもしない。
誰にでも、何度でも、本は同じ体験を提供し続ける。

ゲームにも同じことが言えると思う。
いくら分岐しようが、マルチエンディングだろうが、アプデで環境が変わろうが、プレイヤーが体験するストーリーの総体は基本的に変わらない。
(正直いうとソシャゲとか配信型のRPGについてはあまり詳しくないゆえ、かなりテキトーなこと言ってます。do me a ご容赦)

だがしかし、こと原神においてはそういった物語体験の共通性が(おそらくは意図的に)反故にされているのだ

それによってプレイヤーが体験する物語にささやかな一回性が生じることになる。

そして、そういった些末でありながらも取り返しの付かない一回性こそが、一つの固有な経験としてゲームへの思い入れを深めてくれるのではないかと思うのだ。

旅人としてお前が「記録」すれば、テイワットの時代も歴史も、「バックアップ」を得たのと同じだ…

《伝説任務 古聞の章 第一幕 塩の花》より

プレイヤーが操作する〈旅人〉は、舞台となる世界の外側からやってきた外来者という設定になっている。

それはゲームを外側から操作するプレイヤーの視点とも重なる。

プレイヤーは旅人として各国を廻り、世界に散らばる物語を見聞し、それらの行く末を見届け、景色が変わっていく様を目撃し、記憶する。

旅人として辿った足跡が、そのままプレイヤーの物語にもなる。

事程左様に、games as a serviceという形式のリアルタイム性が物語に上手く作用しているのだ――というのは少々持ち上げ過ぎだろうか。


5:運命の終点へ

世界の運命の行く末がどうなるかは、いちプレイヤーである我々の預かり知らぬところである。

現在は七つの国のうち五国までのクエストがほぼ終わっている。
残るは二カ国。さらにはエクストラステージもある。
つまり、少なくともメインのストーリーだけでもあと数年分の道のりが残されていることになる。

それまでの間には、またいくつもの期間限定のイベントが開催されるはずだし、それらを抜きにしても、すでに三年分のボリュームを抱えた舞台が用意されている。やるなら早いほうがいい。

だからこそ「原神はいつだって今が始めどき」だと言われるのだ。

どのバージョンから始めても、その人だけの運命が待っている――

前に運命は究極の知識だと言ったけど、あなたの未来は「究極の運命」ね。

《魔神任務 第三章 第五幕 虚空の鼓動、熾盛の劫火》より


私たちはいずれ再会する。

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