ここからここまでの長さ三本でやらせてください。
苦手な冬が完璧に来る前にガス抜きをしておこうと思います。一人暮らしをするまでは特に苦手だとは感じたことがなかった。冬がなんでこんなに嫌いになったのかは分からない。でも自分の気持ちが不安定だとか、うまくいかないやるせ無さみたいなものをなんとなく枯れた殺風景な景色のせいにしてしまう。ほどほど、自分がどこかで人のせいにして俺はなんともないし、冷静を保っていられると勘違いしている性格に原因があるのかもしれない。
10月はバイトを変えた。新しいバイトは去年、仲のいい先輩と一緒にきたカフェの近所ですることになった。雰囲気が良い地区で「なんとなくのいい感じ」に憧れているミーハーな俺には棚ぼた的な流れで働くことになった最近にとても充実を覚えている。人の名前を覚えるのがマジで苦手な自分はコミュニケーションを取るのに気合がいる。でも清潔感を意識したり、賄いを人に作る事を通じて得意じゃないことも70点くらいは出来る「自分のイメージの大人ってこんな感じの奴だ」ってことに気づいた。(今の自分は20点あれば良い方だ)自分の好きな先輩とか関わる尊敬できる大人の人は苦手なことや嫌いな事も能力や経験で乗り越えた土壌で自分の好きを構築していっている人が多い。
自分が嫌いなことや苦手である事を相手に悟られることなく、あるいはそれを不快ではないカタチで伝えることで協力や賛同を引き出していく事に苦戦したのが秋だったとも思った。
完璧な人間なんて存在しないし、文字とか言葉で表された良さなんてものは簡単にひっくり返した表現で形容することができてしまう。それでも普遍的な良い人像やどんな環境でもそこそこ上手くやっていける人って評価を受ける人はいる。というかそんな人はいると信じたい。今までの自分が自らに思っていた性格は周りの良さによって引き出してもらっていたのであって、自分の力でその場に置いてあったものではないことに気づいた。今までのそこそこの自分はただ周りの環境や人がなまじ居心地が良いものであったので自分の出っ張った不具合や欠けている箇所が表面に晒される機会はなかったし、逆に言えば自分の存在がなかったとしてもなんら支障がない環境であったのかもしれない。
季節が変わって景色諸々が変化しても自分が住んでいる場所は変わらない。それと同じ様に自分の周りの環境が変化しても自分は自分のままである。冬になってしまえば生き物はどっかに行ってしまったり植物も華やかさを欠く様になる。だからと言って景色が縮むことはないし、景色がそれに物怖じしている様子もなく、俺が勝手に変化に遅れて気づいた途端、ビビって「冬、怖い」って言ってるだけだ。
木は元から冬に向けて準備を整えていたはずだし、虫や鳥も各々に課せられている来る季節に向けてやることを進めていた。俺だけ、「ロンt1枚で歩ける時期最高です!」みたいな気持ちで環境にぬるぬると甘んじていた。周りの人達はそんな能天気で楽しんでいるヤツのことは否定しないし、むしろそんな遊びにも付き合ってくれた。
そんなロンt最高!野郎に待っているのは環境に対する不満が爆発する未来なのだ。季節が変わっても変わらずに同じ種類の楽しいが続いていくなんて事はあり得ないのは分かっていたはずなのに。今までの心地よさが自分由来のもので無いことに気づいたとしても自分では仕度の仕様が無い事に気づくのだ。
こんな悲しいことってあるんですかね。今から頑張って取り戻すので景色に馴染める様に生活していきます。今までの環境は心地よかったのは本当にそうだし、これからもこの場所に生活していくために変わっていく成長をしないといけない。各方面の方々、本当にすみませんでした。春のロンt祭りを楽しみに待ちながら都留の冬を乗り越えます。