しばらく積読、久しぶりに本を買った
旅するスーパー、蕎麦宗です。
このところ、友人知人から興味深い話をたくさん聞いた。歴史や科学といったものは、下地となる知識のある無しで、ずいぶんと理解が変わってくる。なので知っていて損はない。勉強というよりもただの好奇心。色々な発見がまた発見を呼び、深まる理解がまた謎を呼ぶ。なんとも楽しいことだ。
今時はWikipediaをはじめ、ネットでの情報検索が増えた。とってもお手軽だし膨大な情報が即座に手に入るのだから、これもまた使わない手はない。しかし、だ。歳のせいも加わってとにかくスマホの画面は疲れる。
僕はずっと眼がよく裸眼だし、不自由したことがなかったのに…。スマホ始めて3年経ったら、浦島太郎の玉手箱の如く、あっという間に老眼だ。こればかりは現代人、致し方なかろう。
そこで久しぶりに《本》を買った。これまた今時便利なもので、アマゾンで夜に見つけた本が翌日の昼に届いた。頼んだのは表題の4冊。レイラインから思い出して《ケルト巡り・河合隼雄著》と《ケルトを巡る旅・同上著》、もっしようせきから思い出して《日本仏教・梅原猛著》そして《同期する世界・蔵本由紀著》。
今までカルトやトンデモ系と思われていたことが、事実だったり科学で証明されたりされている。実際には科学的に把握できていることの方が氷山の一角。《ない》事の証明は限りなく不可能で、ひょっとしたら全て《ある》と捉える姿勢こそ大事なのかもしれない。その方が《存在》を見逃さず、《運》や《縁》や《使命》を掴むことが出来るだろう。
そんな事を思いながら『ふむふむ』と、小さいけれど優しい紙の上に浮かぶ文字に目をやる。読書らしい読書をするのは13年ぶりだろうか。日頃あまり本を読まない僕が、毎日のように貪るように読んでいた不惑前の3年間が懐かしい。たった4冊だけれどしばらく*積読《つんどく》としよう。そして気が向いたら目を通そうと思う。
さて、ガンバラナシませう。
*積読…読まずに机の上に積んでおくからツンドク