ロシア・アヴァンギャルド(4)
前回は、ソ連邦が成立し、人民に十分なパンを供給することにより、人民が革命のメリットを享受できるようにしたい。これを具現化した建物についてでした。
今回は、衣食住の住宅についてです。
ソ連邦は世界で最も広い国土を持っていたのですが(現在でもその大部分を継承したロシア連邦が最も広い国土を有しています。)、便利な土地はごく限られており、モスクワ市では、ソ連邦崩壊まで需要に対して十分な住宅を供給するに至りませんでした。
モスクワ市の住宅は基本的にアパート(もしくはマンション)なのですが、市井のソ連人は複数家族で1戸の住戸(クヴァルチーラ)を共有して生活することが普通だったようです。
スターリンは、人民に広く住宅を供給することよりも、モスクワ市を米国の大都市に負けない大都市へ発展させることに傾注していたようです。その象徴として、スターリン様式と呼ばれる7棟のビルを建設しましたが、ソ連邦の国力では、これが限界だったのか、人民への十分な住宅の供給は後回しになったようです。
スターリンの後を継いだフルシチョフは、スターリンとの政策の差別化を掲げて、人民に十分な住宅を供給することを公約の一つとしました。スターリン時代の建築物とは対照的な効率一辺倒の「フルシチョフカ」と呼ばれる大量供給されたアパートは、コンクリートパネルを工場で大量生産し、現場で組み立てるというもので、天井は低く、断熱性及び遮音性がこれまでの建物と比べて劣っていたことから、ロシア人から忌み嫌われている質素な住宅ですが、これにより、人民に大量の住宅が供給されました。
現在のモスクワ市でも住宅問題は引き続き施政者の重要な政治課題となっているようです。
前置きが長くなりましたが、時代はさかのぼり、革命直後の共産主義の新たな時代に期待を膨らませていた時代、構成主義を代表する住宅建築で最も有名なのは今回紹介する「ナルコムフィン」アパートでしょう。1930年に竣工したこの建築物は、モイセイ・ギンズブルグとイグナティ・ミリニスによって設計され、共産主義下での理想とする生活様式を建築で具体化したものとなっていたそうです。また、その特徴的なデザインや建築思想はヨーロッパに逆輸出されたといわれています(ロシアの建築関係の本にはそのように書かれています)。
6階建ての建物は、50家族分の住戸があり、各住戸は寝室が中心となっており、食堂や洗濯施設といったものが2階部分の渡り廊下で結ばれていた別館に共同利用施設として整備されていたとのことです。これは、共産主義の理想という文脈で考えられた生活様式のようです。実際には、キッチンは機能しましたが、食堂は機能しなかったようです。
なお、最初の住人は、政府の要職に就く者だったため、1930年代後半の大粛清時代に銃殺されたとの記述も見られます。
さて、外観は、現在は1階部分も壁で囲まれていますが、竣工当初、1階部分はガラス張りで、豪華客船をイメージしたものになっていたとのことです。竣工当時の外観については、本によって図が異なっていますが、いずれの図も構成主義の合理性を備えつつ、斬新な外観を持っていたようです。
「ナルコムフィン」アパートは構成主義末期に建設されました。モスクワ市内に同様な建築思想を持った建物は無いようなのですが、エカテリンブルグやサラトフにも類似の建築思想を持ったアパートが建てられたそうです。
私の個人的な感想なのですが、現代の生活様式からすると食堂などを共同利用するというのは、共産主義の思想を具現化したものなので合致しませんが、ホテルでの生活(あるいは老人ホーム)をイメージすると合理的な考え方なのかもしれません。