東京のバウハウス(BAUHAUS)
今日(12月4日)、東京に現存するバウハウスの影響を強く受けた建築の内部が公開されるとのことで早速出かけました。
公開されていたのは、中野区上鷺宮にある三岸アトリエです。三岸アトリエは山脇巌の設計により、1934年に竣工しています。現在も三岸さんの親族によって大切に守られているそうです。
さて、バウハウスとは、1919年から1933年まで、ドイツ(ワイマール共和国)に存在した美術学校の名称です。ここでの美術教育は、主に建築の分野で後々まで影響を与えました。それまでの装飾性に富んだ建築から、機能を優先し、合理的な建築、いわゆるモダニズム建築への変化の先鞭をつけたといわれています。
また、バウハウスはロシア・構成主義とも関りがあり、ソ連邦の国立高等美術工芸工房(ВХУТЕМАС)の教授であったカンディンスキーが赴任し、1933年にナチス党により閉校されるまで教鞭をとっていたそうです。
そのバウハウスで学んだ日本人の一人に山脇巌がおり、その山脇が1933年のバウハウス閉校により帰国後、最初に手掛けた建物がこの三岸アトリエといわれています。
バウハウスといえば、まずデッサウ校の校舎を思い浮かべることが多いのではないでしょうか。三岸アトリエの竣工当時の意匠はまさにそのデッサウ校の校舎を想起させるものでした。
今日、内覧させていただいたのですが、在来工法と思われる木造建築であり、また、当然のことですが、竣工当時から増築されているのですが、その意匠はまさにモダン建築そのものでした。
竣工してから90年近く経ていますので、建物の保存は本当に大変だと思います。
また、コーヒーとかりんジャムのパンをいただいたのですが、こちらも大変おいしく、ごちそうさまでした。