「らっパフェ」の話 #1
10月6日の午後11時半。大盛況のうちに終演した「Trumpet Festival Vol.1」、通称「らっパフェ」の帰りの電車で、今このnoteを書き始めました。
振り返れば振り返るほど、らっパフェはおかしな演奏会です。第1回目のはずなのに、なんでこんなに演奏会として完成されているのか。なんでこんなに人に恵まれているのか。なんでこんなに盛り上がったのか。
らっパフェというカロリーの塊を食べ尽くした今だからこそ、見えてくるそのおかしな全体像を、運営として、編曲者として、奏者として、そして統括&副統括と3年半ともに過ごしてきた先輩として、かなり主観的な立場からなんとなくなぞってみようと思います。
はじまりの記憶
2023年のはじめ頃、TwitterのTL上でふと「トランペットのフェスってないね」という話題が持ち上がった記憶があります。
こういうことは稀によくあるので、そのときはなんとなく流していたのですが、おそらくこれが「らっパフェ」誕生のきっかけになった…ようです。
その証拠に、らっパフェ記念日をお祝い?する自分の画像が出てきました。この画像によると"らっパフェ記念日"は2月28日だそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1729175289-p4R0DLe9O7dgl6FXZSfoHjmu.jpg?width=1200)
ちなみに統括はTwitterでこんなこと言ってます。
![](https://assets.st-note.com/img/1729175256-YCSxm0gqN1iwpFf4A3IaZG7v.jpg?width=1200)
残念ながらツイートの意味はよくわかりませんが、2月28日が始まりの日だということは確認できます。
そして5月ぐらいから、なんだか「Trumpet Festival」をやりそうな雰囲気が今回の統括や副統括の間で現実味を帯び始めます。
この時点で、実は自分は「Trumpet Festival」の開催にすでに興味を持っていて、何なら自分が代表をやって開催しようかなと…すら考えていた瞬間がありました。
そのことはチラッと統括&副統括に話したような話してないような…。
ただ、そんな思いは6月中旬ごろから段々と自分の中で消えていきました。(ちなみにその理由は「NEW-S Wind Ensemble」の構想が生まれたからです。自分にしかできないことをやろうと思ったとき、こっちのほうが向いてる?と思った、というわけでした。)
というわけで、今回の統括&副統括が中心となって「らっパフェ」開催が決意されました。
だいたいこれが6月終わり〜7月初旬の頃と記憶してたんですが、先ほどの統括の謎ツイートを見るに正しいようです。
ただ、依然として「らっパフェ」の開催には何らかの形で関わりたいと思い続けて、副統括ともチラチラそんな話をしていました。
すると、7月初旬に統括から一件のLINEが。
![](https://assets.st-note.com/img/1729175375-lYInQ0waLvx128GC6HcZ59bV.jpg?width=1200)
この日をもってして、らっパフェの運営入りが決定しました。てか「らっパフェ」っていう単語、演奏会の1年以上前になるこの頃からガンガン使ってたんですね。すごい。
ちなみにLINEの続きはこんな感じ。
![](https://assets.st-note.com/img/1729175448-WozX76g9wVlYUPGRNrtbKOuA.jpg?width=1200)
自分が拝命した「運営監督」というのも、すでにこの段階から決まっていたわけです。結局何をする役職なのかは最後までハッキリとはしませんでしたが…。
そして、8月の終わりごろ、初の運営会議が開かれ、これをもって「らっパフェ」が正式に発足しました。
ここまでで約半年。第1回目の演奏会企画ということもあってすごく丁寧に進んでいったような印象です。
悩める運営監督
毎月行われる運営会議でしたが、なかなか自分はリアルタイムで参加できずにいました。
なんせ、2023年6月から2024年4月にかけては11か月連続で15近い本番に参加していた時期でしたので、土日は練習であちらこちらに飛び回っていました。
その中でも、運営監督としての立場を探るべく、なるべく最初は運営方針について積極的に耳を傾け、発言するようにしていました。
が、これがなかなかお互いにとってハマりませんでした。
というのも、中心となって動いている統括&副統括は、学年で言うと一つ下。大学は一緒だったので、何年も一緒にいる仲間とは言えど、「同じバンドの先輩と後輩」の壁はそう簡単に越えられるものではありません。
そして、もう一つ上手くいかなかった要因があります。それは、自分が下の学年に抱いていた、漠然とした"モヤモヤ"でした。
かつて自分が大学の吹奏楽バンドの運営を担っていた頃、コロナ禍からの復興を掲げて、新しい定期演奏会の形を確立しようと腐心していました。
結果として、若干小規模ではありましたが、数年ぶりの有観客演奏会を開催し、コロナ禍以後の演奏会の道筋をつけることができたと思っています。
![](https://assets.st-note.com/img/1729175833-CnsfKFwdebIrvXoaBEPTlxH9.jpg?width=1200)
その後、一つ下の学年に運営のバトンを渡したのですが、彼らの代は「挑戦」のスローガンを掲げて、演奏会やバンドの可能性を広げることを第一に動き始めました。
この変化は、周りから見たら微々たるものだったのかもしれませんが、前任者の自分たちには時々それが"無謀"に映ることもあり、複雑な思いを抱えていたというわけです。
![](https://assets.st-note.com/img/1729175904-d9QErZ0zpFOMShWIVTYbPnuG.jpg?width=1200)
そして始まった、大学の後輩たち主導による「らっパフェ」。大学のバンドに対して抱いていたモヤモヤを引きずったまま、運営に参加してしまったことが、自分の中でさらなる消化不良を引き起こすことになりました。
新進気鋭の統括&副統括と、保守を重んじる自分。
徐々にその乖離に気づき始め、話題に積極的に参加することを、自然と、ときには意図的に避けるようになりました。
そして11月、自分が代表を務めるNEW-Sの運営が発足すると、自分の関心はもっぱらそちらに向けられ、より一層、他のらっパフェ運営たちよりも遠くから行く末を見守ることになっていきました。
ただならぬ熱意
そんな消化不良解消の転機となったのは、年が明けた1月頃。
大学の定期演奏会を終えた自分と統括&副統括は、大学のバンドの肩書きのない、純粋な「先輩と後輩」という関係になりました。
ただし、らっパフェ運営をはじめ、多数の演奏会で共演の機会があったので、依然として毎週のように顔を合わせる日々は続いていきます。
そうすると、大学のバンドから離れて色眼鏡が外れたのか、12月までには見えなかった彼らの姿が、徐々に見えるようになってきました。それは、無謀ともいえるアイデアを、なんとしても実現しようとする姿。
彼らが目指していたのは、個性あふれる演奏会、ハイクオリティな演奏会、誰もが楽しめる演奏会。
二兎も三兎も追い続け、それらを第1回目から全て最高の形でものにしようと、まだまだ演奏会まで日数があるにも関わらず、毎日のように運営同士で連絡を取り合い、考え、議論していました。
どんなに遠くから行く末を見守っていても、尋常じゃない彼らの働きようは次々と目に飛び込んできました。
そこから感じたのは、"ただならぬ熱意"。それに応えるかのように、他の運営メンバーもどんどん積極的に統括&副統括とともに動き始めていきます。
![](https://assets.st-note.com/img/1729176000-W7XNfvzurs9GSJjPRhM02wgD.jpg?width=1200)
2月15日、奏者募集が始まると、その熱意はすぐに結果を出しました。最終的に集まった奏者の数は、想定をはるかに超える90人強。
自分の気づかないうちに、「無謀」なんて絶対に言えない、圧倒的に新しく魅力的な演奏会が始まろうとしていました。
彼らの熱意と、それがいきなり生み出した結果を前にして、自分の中のモヤモヤはいつしかどこかに吹き飛んでいました。
それどころか、これから先もらっパフェに携わっていくには、この後輩たちを信頼しなければならない、そう強く思いました。
絶対に自分にはできないことを実現しようとする彼らを、少しだけ遠くからでも、最後まで見守っていくことしようと、このときに決意しました。
これが、はじめて「運営監督」の言葉が自分の中で少しだけハマった瞬間でした。
そんなこんなで、あっという間に「らっパフェ」の原型ができてから1年が過ぎていきました。
ここから約半年間、運営と奏者による"チームらっパフェ"が、どんどん動き始めます。(次回に続く)