「それでもボクはやってない。」
これは有名な邦画のタイトルだ。
痴漢の冤罪で捕まった主人公が「やってない」と主張し続け、最後は法廷で争うことになるという名作。
結末は、、ぜひ本編をご覧になってください。
僕も少し似たような体験をしたことがある。(犯罪ではない)
それは草野球チーム創設1年目、ある日の試合後、ユニフォームからジャージに着替えている時だった。
隣りにいたメンバーがさりげなく、
「なかやさんってアムウェイやってるんですか?」
僕はそれを聞かれて、一瞬うろたえた。
その組織が良いとか悪いとかではなく、客観的に見た時に「あなたその雰囲気出てますよ、気付いてます?」と聞かれた気がしたからだ。
僕は、「やってへんわ!!笑」とだけ答え、理由は聞かず、何も探していないのにリュックの中を漁るフリをしてなんとなくやり過ごした。
「あれ?無いなぁ」とか言いつつリュックを漁りながら、「(今まで誰も言わんかっただけで他にもそう思ってる人いるんかな?)」と少し考えた。
4年の時を経て、この問題に決着をつけたいと思う。
実際に、加入したことは無いが勧誘されたことは何回もある。
一般的に言われるほど悪く思ってはいないが、「誰かが作ったシステムに乗るのが好きでは無い」という僕の中で1番カッコいい理由で断り続けてきた。
本当は喉から手が出るほどお金が欲しいし、楽して稼ぎたい。
でも「アムウェイやってそう」は角度の違うディスりだ。
少なくとも「副業やってそう」という意味では無いからだ。
まず、僕が勧誘を受けてきた印象としては、
・「幸せになるには”ある程度の”お金が必要じゃない?」
・「長生きするにはお金が必要じゃない?」
・「お金を稼ぐには切磋琢磨できる仲間が必要じゃない?」
そんなことを一生懸命僕に話してくれた。
もちろんその全てに僕は同意する。
幸せになりたいし、長生きしたいし、仲間が欲しい。そして”ある程度の”お金も欲しい。
でも、その組織には加入していない。
でも、そう見られている。
何がそうさせるのか。。
抽象化してみよう。
「アムウェイやってそう」=「所属してそう」
「所属」=「組織」
「組織」=「理念を持ったもの」
「理念を持ったもの」=「思想」
「思想」=「宗教」
そうか、「宗教感」があったのか。
今でこそ、このエッセイやリアルの会話でも弱音を吐いたり、ネガティブな側面を見せられるようになった。
でも草野球チームを作った当初は、コンセプト(思想)を前面に出していた。
コンセプトこそチームを継続させるために必要であり、コンセプトこそ苦しい時に寄り添ってくれる経典になり得ると考えていた。
チームの歓迎会では居酒屋だろうがバーだろうがパソコンを開き、チームのコンセプトや活動の意義を熱弁した。
新メンバーには必ずチームのコンセプトを説いた。
今思えば、その光景はさながらファミレスや高級マンションで勧誘を受けていた僕そのものだ。
共通点は「宗教感」か。。
なぜ今この話をしているのかというと、最近の僕はまた「やってそう臭」をプンプンと漂わせている気がするからだ。
「NPO(仲間を集めてます)」
「社会貢献(ボランティアではなく稼ごう)」
「良いことをしたい(良い人生にしよう)」
僕のことをよく知らない方には「怪しいやつセンサー」がビンビンに反応していることだろう。
僕自身、NPO法人に関する発信を続けてきて、良いことばっかり言ってる自分に拒絶反応を示している。
脳裏にあの一言がよぎった。
なのでこの場を借りて、宣言しておこうと思う。
「それでもボクはやってない。」
何度聞かれても僕はそう答える。だろう。
そして「ただの思い過ごし」であることを祈る。