「子どもいらない派」の初マタ
私はいま14wの初マタ32歳。妊娠がわかったとき、ぶっちゃけ戸惑った。
飾らない正直な気持ちだけを残しておくためにnoteをはじめた。もしかしたら同じような悩みで苦しんでる人もいるかもしれないから「つながりたい」という少しの希望を持って、ありのままの気持ちを書いていこうと思う。
「子どもいらない派」だった20代
そもそも子どもって、「特別な愛情」を持っている人しか持っちゃいけないものだと思っていた。
両親が共働きで、新生児のころから叔母と祖母の家に預けられて育ってきたからかもしれない。物心ついたときには本当の母親のことを赤の他人だと思っていたし、迎えにくるたびに人見知りして泣いていたのを覚えている。私が安心して暮らせる場所は一体どこにあるんだ…? 末っ子で性格的には甘えっ子だけど、叔母や祖母はもちろん、両親に対して甘えることさえいつも遠慮していた。今思えば、親は私に対して愛情があったからこそ「苦労させまい」と必死に働いてくれていたんだろうけど、私は「愛情を持ってないなら最初から産むなよ」とどこかで思いながら、親と距離を取りながら卑屈な人間として生きていくことになった。
だからこそ、ちゃんと「愛情を与えられる人間」にならないと子どもを産めないと思っていた。逆にいえば、「私はいつかちゃんと愛情を与えられる人間になれて、そのときに子どもを持てる」という望みがあったのかもしれない。でも…大人になるにつれて「やっぱり子どもいらないかも」って考えに変わっていった。
そう思った理由はいろいろある。政治はおかしいし子どもを育てやすい社会じゃないし大震災や地球温暖化はくるかもしれないしお金もないし、子どもの未来に責任持てない。子どもが知的障害で社会になじめなかったら?私みたいに誰にも甘えられない不安定な人間になったら?無理無理無理無理。30歳を目前に、どんどん子どもを産む友達を横目に、私は考えれば考えるほどネガティブな気持ちになって、取り残された気分になった。
夫「子どもがほしい」
夫は男性では珍しいタイプかもしれないけど、私以上に結婚もしたがってたし子どもも欲しがっていた。夫も若くないので、将来の話になるたびに「子どもが欲しい」の一点張り。私はそれでも不安要素のほうが大きかったので、「こういう理由でいらない」の一点張り。「じゃあこうしてこうよ」と前向きな意見で不安を潰そうとしてくれる夫に「無理だよ」と後ろ向きな回答しかできず、一進一退で話がすすまないまま数年が過ぎた。
その間、私はフリーランスで仕事を始めて、だんだん仕事が楽しくなりはじめていた。どんどん新しいチャレンジをしていけたらいいな〜と新しい生活にワクワクしていた。
親友の妊娠
そんなころ、親友のゆず(仮名)から妊娠を報告された。ゆずとは子どものころから仲良しだった。勉強もできるし料理も上手で、何でも器用にこなせる子だったし、小学生のころから社会問題に目を向けて政治の腐敗とかを見破るような子だった。
しかもバリキャリの部類なので、「結婚はしても子どもはいらないかな」と言っていた。それでも子どもができたと聞いたときはこちらまで嬉しかったし、私以上に「子どもいらない」という意思が硬そうだったゆずが、ちゃんと母性本能があふれでていることに心底安心した。
ゆずは「最初は戸惑ったけど、ママになれば自然とこうなるもんなんだね〜」とケラケラ笑っていて、「なんだ、私が考えすぎてるだけで、誰でもママになれるのかもしれない…」と少しホッとした。誰かに説得されるよりも、カラッとしているゆずの笑顔を見ているほうがよっぽど前向きになれた。
そして妊娠…
下品?な話だけど、夫と夜の営みをするときに「どうしても子どもがほしい」とまた熱弁された。ゆずのこともあって心がほくほくしていた私はその日、「一回試してみよう。ダメだったら諦めて」とゆるすことにした。
夫は私と違って責任感があって愛情深い人間だし、夫との子どもなら私も愛情を注げるのかもしれない。不安や迷いが消え去ったわけではなかったけど、ふたりの愛情については自信があった。その一回で本当に妊娠したときはさすがに戸惑ったけど。
妊娠検査薬のあと、近所の婦人科に行ったら「6週目ですね」と言われた。エコーでピコピコ動くピスタチオみたいな粒が心臓だという。かわいいなとは思ったけど、ぶっちゃけ妊娠してすぐに母性が目覚めたわけではない。
14wの今もママになる自覚がないし、ときどき自信がなくなる。果たして私は子どもの未来に責任を持てる人間になれているのか?なれていないくせに子どもをつくってしまったんじゃないか?……こう自問自答を始めるとキリがない。
初期の段階ではつわりと頭痛、貧血、腹痛、出血もあって毎日不安だったし、挙げ句の果てに妊娠糖尿病と子宮頸がんにまで引っかかってしまった。トラブルつづきの毎日で、「これ本当に自分のことなの?」と戸惑いながら毎日暮らしている。
ゆずみたいに、カラッと笑える日がくるといいのだけど…