9.11続き5



2001年9.12
酷い二日酔いだった。非常時に酒を飲んでなんて危機管理が足りていないという批判を受けそうだが、米国民でもない旅行者の僕らには酒を飲むしかやることがなかった。
キムおばちゃんがいつものように僕らの部屋をノックする(ノックなんてレベルじゃない音で)
「食べなさい!!」
信じられない量のパンケーキ。僕とヨシは慣れている風景だったけど、ヒデさんミワさん夫婦は明らかにカルチャーショックを受けていた。
みんなで朝ごはんを食べながらニュースを見てだんだん全容がわかってきた。
昨日までは何機ハイジャックされているのも分からなかったし、NY中に爆弾が仕掛けられているなんて報道もあったぐらいだ。
家の外に出た。星条旗がはためいている。道ゆく車にも星条旗がはためいていた。
どこからともなく聞こえてくる「USA! USA!」というシュプレヒコール。
街頭にはフル装備であろう米兵が警備をしている。
ブッシュ大統領がNYに来るというニュースが流れた。
空の空軍機の数が一気に増えたようだ。
とにかくできることがなかった。
そんなものかもしれない。僕たちの家のインド人たちは相変わらず、何もなかったような暮らしぶりだった。
でもある種の高揚感が街に空気を与えていて、その影響は僕らも受けていたと思う。
「ストライクバック!」(やりかえせ!)と言う声がいたるところから聞こえた。
あとから思えばこうやって民衆は簡単に戦争に加担する。揺れはためく星条旗はたしかに力強さをもらえた。その反面それは敵に対する旗でもあった。「USA!!」というシュプレヒコールはその当時の僕に力を与えてくれたけれど、反対に考えればそんな感情で人は争いに突き進む。こんなことをしたやつを許せるのか?映画みたいにストーリーが決まっていて悪をやっつけるのだ。という空気感は流れていたと思う。
考えてみれば実際に被害を受けたのは僕たちじゃない。
それでも僕らは歴史の中にいるという高揚感で色々な感情が麻痺していたのかもしれないと思う。
僕とヨシの関係が悪くなった。
まだ若かったからと言う理由もあるが、迎え入れたヒデさんミワさん夫婦をもてなすために、1番簡単な笑いの取り方、相手を乏しめることをしてしまった。僕とヨシはほとんど話さなくなり、睨み合いになることもしばしばだった。


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