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手芸でも趣味にしたい



学校帰り、タカシマヤの東急ハンズで手芸コーナーを見る。
来年の冬には編み物をマスターしたい。そしていつか、コーヒーを飲みながらパッチワークのデザインなどを考えて、1日を存分に贅沢に使ってみたい。



美術館に展示してあったモビールは、何故だかすごく魅力的に見えて、わたしは心をくすぐられた。シャランシャランと、その頼りない糸を指先で揺らすたびに、先についた金属が触れ合って音が鳴る。重力に逆らうことなくだらんと垂れた飾りやら、自然に身を任せてゆらゆら揺れる様やら、とにかくモビールは素直で美しくて非常に可愛らしく感じられた。


モビールでわたしの部屋も飾ったら素敵なんじゃね?と思い、ここ最近色んなことがあって忙しかったのだが、それがひと段落ついた一週間ほど前に、やっと念願のモビールの材料を買いに行った。
ついにわたしも飾り作りなどという優雅な趣味を持つこととなったのだ。


最近、わたしは自分のことを優雅だと思う。
特にお金があるわけではないが、カネコアヤノさんという素晴らしい歌声を持つシンガーを知ることもできたし、クリスマスだからという理由でオカンにお金をもらってアタマに非常に強めのパーマをかけることもできたし、テストでは勉強を全くせずとも全教科赤点を回避した。本にハマり、朝や夜のうざったい通学帰宅電車ではずうっと本を読んでいるし、小山田壮平の音楽は相変わらず素晴らしい。あいみょんちゃんは新曲を出してくれたし、カロリーメイトのCMはたまらないくらいに刺激的で感動的だ。



こうして振り返ると、毎日毎日、わたしは誰かの生み出した芸術に包み込まれ、支配されているようだ。そしてわたしはしばらくすると落ち着き、やがてそれらを支配する側となる。それらの芸術を通して得たオリジナルの解釈や感動や学びをアタマの金庫に収納し、いつか必要なときにそれを取り出して、調合したり削ぎ落としたり、はたまた全く別のものを新しく生み出しながらわたしの作品に変身させるのだ。
楽しみだなあ、、、へへっ


他人に理解されようとすることはあまりにも当たり前のことなのだが、noteやXには、わたしでは到底理解できない人間がたくさんいる。
彼らは多分、理解されようとしていないどころか、理解できないような自分の生活を一種のエンターテイメントとしてSNSを通し我々に提供して、彼ら自身もまた、そのようにすることで我々から返ってくる反応をエンターテイメント的に楽しんでいるように思う。そういった人間をわたしは強いと思うし、世界で一番自由だとも思う。理解不能の領域に行くことは、ある人間にとっては果てしない勇気がいる行為だ。わたしはそこに該当するので、そう簡単には足を踏み込めない。しかし、世間一般に基本とされている道をあたかもこの世の全てかのように語る人間に出会うたびにわたしの中の反骨精神は昂り、むしろそんな基本を否定したくなる。自分が正しいとは断言できないけれど、それと同様その基本が正しいとも断言できない。そしてその基本はわたしを助けてくれないし、納得させてくれないので、わたしは自分の信じた道に進むしかないのだ。それはきっと仕方ないことなのだ。
とりあえず金が一番大事なので、わたしはお金を稼ぐ。
手始めにメルカリでアイカツカードを売ろうと思ったのだけど、思っていた金額の8分の1くらいにしかなりそうもない。普通にまたバイトをしよう。


「闇と虹の向こう側にはきっと何かが待っていると         OH MY GOD/小山田壮平」


壮平さんってどうしてこんなに勇気が出る言葉を歌ってくださるんだろう。


「走る走る遠くの方へ体を投げ捨てて
回る回る 平和も闇もとりあえず横に流せ
明日になって朝が来た時 その時考えりゃいい
        夢追いベンガル/あいみょん」


みょんちゃんの夢追いベンガルとても好き。体が走り出さなくてはという気持ちになる。




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