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北へ(9)紋別の酒場
紋別のシンボル、「カニの爪」。
いざ目の前に立つと、あまりに異様で、わらけてしまう。
高さ12m。
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団体客に混じり、砕氷船「ガリンコ号」に乗り込む。
出港前、海外旅行が大好きというパワフルおばちゃんが、初対面と思われる周囲の人たちに様々な旅行の体験談を話している。
港を離れ、船はだんだんと氷に近づいていく。ワクワク。
いよいよ、氷の海へ。ガリンコ号の名にふさわしく、ガリガリ音を立てて氷を砕きながら、船は進んでいく。氷が少しかわいそう。
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氷を砕く音以外は、何も聞こえない。静かだった。
流氷に覆われた海。パワフルおばちゃんをも黙らせる、強烈な寒さ。
乗客はみな無言で、美しい氷の世界を見つめていた。
雲の切れ間から日の光が少しだけ差し、白い氷と夕陽の色に染まる海とのコントラストの中で、ガリンコ号は、ゆっくりと港へ戻っていった。
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ホテルの大浴場で体を温め、生き返る。
さあ、4泊5日の北海道旅、最後の夜。今日は、何も考えずただ酒を飲もう。
いざ、はまなす通りに挑む。
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祝日前の繁華街は、地元の人たちで大盛況。何店かに断られ、ようやく入れた居酒屋のカウンターに陣取る。
お通しはエイ。軟骨がコリコリ。
ビール、レモンサワー。もつ煮込み、枝豆。「幸せ」がここにある。
温まってきたところで、いよいよお目当ての日本酒バーへ。
北方圏シンポジウムがあったのことで、学者風の先客が何人か。海氷に魅せられ、神奈川県から紋別へ移住したというおじさんもいた。
ただの酒好きの一人旅おじさんにつかまり、しばらく話を聞いてあげる。これはこれで、ああ、酒場だなあ、という感じ。
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マスターは紋別の方。訳あって、ご家族とは離れて暮らしているんだとか。
お子さんがプレゼントにくれたというガラスのおちょこを見せ、それはそれは嬉しそうに語ってくれる。
マスターの人柄が、この空間を優しい色に染めている。
仲良くなったのは、地元紋別、常連お姉さん2人連れ。
どっから来たの? 香川県です。うどんだね!
私たちは、高校の吹奏楽部の同期なんだ!
ガリンコ号に乗ったと伝えると、「流氷には感動しない」と言われてしまった。流氷が海を覆うと、この街の冷え込みは一層厳しくなる。
流氷、早くどっかいけ、と思ってるよ。
我々の非日常は、ここでは「日常」ーーー。
「高いんだね、カニって!」最近、カニの値段を知り驚いたとか。
カニは、知り合いにもらうものだから。
なんて贅沢!
紋別公園の展望台に登れなかった話を伝えると、「先に言ってくれれば!」と優しいお姉さん。ああ、もっと出会うのが早ければ!
男山、北の勝、上喜元、富久長。
お姉さんオススメの、ばくれんを2杯。
たぶん、もう1杯くらい飲んだはず。
もう飲めないというくらい、よく飲んだ。
マスターが、この時間まで残った人が真のメンバーだよ、なんて言ってくれたような気がする。たぶん。
気をつけて帰ります! 雪道、滑ってコケないようにします!
でも、コケるのも北海道の思い出だよ!とお姉さん。
そういう考え方ができる人は、素敵だな。
マスターに、お姉さんたちに見送られ、店を出て、夜道を歩く。
今日ばかりは、コケても良いと思った。
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残念ながら、コケずにホテルへ帰れてしまった。
憧れの紋別。
長いようで短い旅の、最後の夜が更けていく。