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炭鉱の街・幾春別で

昨夜はジンギスカン。腹いっぱい、胸いっぱい。
早朝のすすきのを抜け出し、「札駅」から特急列車に乗り込んだ。

岩見沢でバスに乗り換え、たどり着いたのは、三笠市幾春別(いくしゅんべつ)。なんと良い響きの地名だろう。
アイヌ語「イクスンペッ」=あっちの方の川

石炭産業で隆盛を極めた三笠市。
その栄華も今は昔。幾春別の街で聞こえるのは、鳥の声、虫の声、川のせせらぎ。
しかし、ところどころに当時の歴史を語る建造物が残る。

幾春別のバス停を降りれば、巨大な鉄のタワーが目に飛び込んでくる。
住友奔別炭鉱の立坑櫓だ。

誇らしげな「奔別」の文字。自然に還りつつある周辺の施設とは一線を画し、今もなお堂々と、天に向かってそびえ立つ。

大正時代からこの地に立つ、お蕎麦屋さん。
ざるそばを、ありがたくいただこう。

炭鉱住宅街の面影を残す幾春別中島町を歩いていると、住人のおっちゃんに呼び止められた。
「いいもんを見してやる」

玄関に並んでいたのは、おっちゃん自慢、アンモナイトコレクション。三笠市は、古生物学者も多く訪れる化石の街。
内地のとある街の博物館にある化石は、全部オレが取ってきたもんだ、とおっちゃんが豪語する。

化石コレクションの写真を撮らせてもらう。ゴツゴツしたおっちゃんの手。
なんだか、とっても良い画。

三笠や夕張をはじめ、北海道中の鉱山が賑わっていた頃、おっちゃんは運送の仕事に就いていたという。
生まれも八雲町の鉛鉱山。生粋の鉱山マンだ。
おっちゃんは、歴史の生き証人。

そのおっちゃんと話していたら、また1人、ヤマの男が現れた。
幾春別で生まれ、八十余年。この街の栄華も、閉山の顛末も、今の静かな街も、全て見てきた。
「ついて来な、案内してやる」

教えてくれたのは、悲喜こもごものこの地の歴史。炭鉱の事故、戦争の影響、かつてこの街にあった店々。

開拓の「豆汽車」の話をしてくれた。
幾春別からさらに山奥にある農村の人々と、木材を運んだ森林鉄道。
3両の機関車は、煙突の形から「かぼちゃ」「大根」「ごぼう」と呼ばれていたとか。
遊び心満載!

炭鉱操業当時の幾春別には、映画館に、パチンコ屋は6軒も並んでいた。
盆踊りの時は、人と肩がぶつかってすれ違えないほど。
「飲み屋もたくさんあってね、喧嘩も多かったさ」

初夏の晴れた日。静かな幾春別の街。
かつて家や商店があったであろう空き地には、コスモスの花が咲いている。
僕とおっちゃんは、木々に埋もれつつある炭鉱の煙突を眺め、花が咲く空き地を歩いた。

懐かしそうに、それは懐かしそうに語るおっちゃん達の昔話を、いつまでも、聞いていたいと思った。

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