大学ラグビーの価値
今回は大学ラグビーの価値について書いていきます。
■ラグビー界の実状
日本国内のラグビーのシステムは世界的にも一見変わっているようにも思います。
野球と比較するとわかりやすいと思います。
〇野球
高校野球で活躍→ドラフト会議で指名→プロ野球選手へ
大学へ進学(orプロテスト)→ドラフト会議で指名→プロ選手選手へ
〇ラグビー
高校→大学へ進学→スカウトから声がかかる→トップリーガーへ
大学へ進学→トライアウト(プロテスト)→トップリーガーへ
現在日本ラグビー界最高峰のリーグはトップリーグです。
そのトップリーグに所属するチームの選手になるためには狭き門をくぐらなくてはなりません。
日本では一般的に高校から大学に進学し、そのあとにトップリーグのチームへ入ることになります。
我々としてはそれが当たり前の環境ですが、世界的に見ると一見変わっている事実です。
2019年ラグビーワールドカップでは20、21、22歳の選手も活躍していました。
日本代表に大学生の年齢の選手は一人もいませんでした。
この差はかなり大きいと思います。
当たり前のように大学へ進学し、卒業後に社会人としてラグビーを続けるというレールができてしまっているのです。
野球ではそのようなことはあまりないように感じます。
高校卒業後プロ野球選手へのレールが王道でもあると思います。
ラグビーの強豪国では高校卒業にクラブチームに入り、スーパーラグビーに加入しているチームのジュニアチームでプレーしていたりします。
ラグビー選手という職業が成り立っている証拠です。
日本ではラグビー選手という職業に就くことは本当に困難です。
これには良し悪しあると思います。
今回はメリットの方を考えました。
高校→大学→トップリーガーへ
のステップを日本では一般的に踏むことになります。
重ねてになりますが、海外ではこの大学への進学が飛ばされるケースが多いのです。
この事実の中で、なぜ海外でも大学へ進学してラグビーを続ける選手がいるのかを考えます。
■大学でラグビーをする理由
先日慶応義塾大学ラグビー部の栗原君に誘われこのようなイベントに参加してきました。
ワールドカップで盛り上がりを見せる中、ラグビーというスポーツにおける大学の位置づけとは、や、今後の大学ラグビー発展へ必要なことはなんなのかを語りました。
また、以前紹介しましたWURITという早稲田大学主催の大会の際に、各大学の主将のトークイベントでこの「大学でラグビーをする理由」について議論していたので、一部紹介します。
教育、人材育成、多様性、人間的成長
などなどのキーワードが飛び交っていました。
ノーサイドダイアログで話した際も同様の話題になりました。
大学という環境でそれぞれの専攻分野を学ぶことはしますが、その専門的知識を学ぶという教育はこの場では含まれていないように感じました。
僕自身も感じる大学でラグビーをすることによって手に入れることができることは人間的成長の部分だと思います。
では、なぜ大学でラグビーをすることで人間的成長ができるのでしょうか?
また、人間的成長が大学でラグビーをする理由になぜなるのでしょうか?
■競技力=人間力
先ほどトップリーグに入るためには狭き門をくぐらなければいけないということを書きました。
トップリーガーの実例を用いると、高校で花園優勝。大学選手権優勝。U20などの年代別日本代表選手経験あり。このような選手を欲しいと思わないチームはいないと思います。
評価される競技力は実績に比例します。
もちろんアピールの場が多いほうがスカウトの目に留まりやすいので、強豪と呼ばれるチームにいる選手ほど優位だという事実は変わりません。
ですが、大学でラグビーを続けている選手の全員がトップリーガーになることを目指しているのでしょうか?
答えは否です。
実態としては半数以上が大学でラグビー人生を終えるという選択をする人間がほとんどです。
その人たちはなんのために大学でラグビーを続けるのでしょうか?
今回はその答えではなく、大学でラグビーを続けたものが手に入れることが出来ることはなんなのでしょうか?という部分に触れます。
ラグビーは団体競技で最も人数の多い1チーム15人でプレーするスポーツです。
ここでの問題点は多すぎるという事。
対象的ですが、以前ラグビーの魅力というテーマで書いているのでそちら参照ください。
決して一人ではプレーすることができないスポーツなので、共闘することがとても大切です。
団体競技において共闘することは絶対的に必要な要素ですが、人数が多くなればなるほど難しくなること事実でしょう。
その中で、競技力を伸ばすには、周囲を考え、巻き込み、成し遂げる必要があります。
決して独りよがりではできないスポーツなのです。
また、コミュニケーションのスポーツとも呼ばれるのがラグビーです。
自分の意見を持つことは大前提で、そのうえで相手と意見交換することができ、建設的な会話をする必要があります。
まさに社会が求める理想の人間像に必要なことはラグビーというスポーツから学ぶことが出来るのです。
競技力はラグビーの場合個人スキルを表すのだけではなく、いかに他人の能力を引き出すことが出来るのか、また、他人と力を合わすことができるのかに言い換えると事ができます。
そのため、競技力=人間力といえるのです。
「私生活がグラウンドにでる」という言葉をよく耳にします。
どういうことかというと、普段の行いがグラウンド上でラグビーをしているときにも出てしまうということです。
ラグビーがうまくなりたい!という人はまず、普段の行いを見直すことをすることから始めることが良いかもしれません。
逆を考えると、グラウンドにいない時は、その行いがラグビーのどういったことにつながるのかを考えると日常の行動が変わってくるかもしれません。
ただ、うまい、早い、デカい、というだけではいつか頭を打ちます。
PDCAサイクルを回すことは日常的にラグビー選手が行っていることです。
社会が求める人間力とは普段ラグビーを通じて身に付けていることの延長なのです。
ラグビーの競技力を高めるためには人間力を高めるべきだと書きましたが、そのために一番適している環境が大学だと僕は考えます。
大学という場は多様性に満ち溢れています。
大学内には留学生もたくさんいれば、価値観の違う人間が多く在籍しています。
ラグビー部という狭いコミュニティだけをとっても、出身地の違う人間、年齢の違う人間、違うラグビーをやってきた人間など逆に時分と同じ境遇の人を探すことの方が困難だと思います。
まさに、自分自身の可能性を拡げることができる場です。
人間力の定義は人それぞれだと思います。
それを肯定するも、批判するも個人の勝手ですが、相手を認め、尊重することの連続が大学生活にはありふれています。
■まとめ
大学でラグビーをする理由は日本では三者三様。
大学でラグビーをすることで手に入れることができることは人間的成長。
人間力の部分です。
ラグビーはコンタクトスポーツがゆえ、体の大きさなどに比例してしまう部分はありますが、なにより必要なことは共闘するという事。
15人で行うスポーツだからこその難しさです。
そのために相手を理解し、尊敬する、良い人間関係を構築する、多様性を認める、などいろいろな表現はありますが、決して独りよがりではできないスポーツです。
これらを一番学ぶことができるのが大学という環境だと僕は考えています。
高卒で競技者として頑張ることのメリットもありますが、一人の人間としての成長が競技者としての成長にもつながるというメリットが大学でラグビーをすることの価値だと思います。