アトピーというアイデンティティ
3歳、4歳のころにはアトピーと診断されました。
お人形(ジェニーちゃん)の腕をこすりながら、「この子アトピー」と言っていたそう。きっと自分の腕がかゆかったんだな。
親に「痒いの辛いねぇ。」と言われると、
「掻くと気持ちいいから辛くないもん」とも言ってたらしく、
そういうことから、幼稚園の頃には「自分はアトピーである」と
心に刻まれていたのは間違いなさそうです。
さて、「私はアトピー」という意識は、振り返ってみても
プラスの影響はまずなかったと思います。
・自己卑下しがち
・人の目が怖い、常にジャッジされているような気持ちになる
・自分が汚く感じる
・常に満たされない
というのが大きなところでしょうか。
多感なお年頃だった時代や症状が強く出ていた頃は、
自分というものを受け入れてやることがどうしても困難でした。
「だって、私はアトピーだから」
というのが、思考グセになっていました。
30も半ばになって、それなりに人生勉強する中で
こういったネガティブな感情はほとんどなくなりました。
自分がもしアトピーじゃなかったら、今ごろどんな人間になっていたのだろうか?と考えてみると、今とは全然違う姿が頭に浮かびます。
そして、10代や20代のころに想像した「アトピーのない自分」と
今想像するそれに対する思いが、いつの間にか変化していることに気が付きました。
以前は、「きっと、もっと、素敵な人生を送れたのに」という
無いものねだり感満載だったのが、今は、
「こういう人生も在りかもしれない。たくさん勉強させてもらえることは恵なのかもしれない」くらいになっています。
そう思えるのは、間違いなく周囲の人たちが支えてくれたおかげです。
もちろん、あの不快な症状は無いに越したことはないし、
もうこりごりです。
それでも、アトピーを通して気づかされたことは沢山あって、
これがなければ気づかなかった人生の彩もあったのだろうと思います。
そうやって、これまでの人生を少しずつ受け入れ始めることができました。
余談ですが、
同じアトピーでも、いつも笑顔で明るく堂々としていた
同い年の友人もいました。
「なんであの子は、いつも楽しそうに笑っていられるんだろう。同じアトピーなのに。私も強くなりたい。」と、羨ましくさえ思うほどでした。
けれど、その子も本当はとても苦しかったと知ったのは、
何年も後になってから。
彼女も治療難民になったこともあったし、疲れ果てたこともあった、
ということを知り「そっか。同じやったんや・・・」と
どこかホッとするような、
言葉は変かもしれませんが、救われるような思いがしました。
同時に、羨ましく思っていた私の想像力のなさ、浅はかさに
とても恥ずかしくなったのを覚えています。
家族や親しい友人には弱さも見せていたのかもしれません。
でも、そんな素振りは全く外に出さず、いつも光を照らすような
その明るさは、彼女の本来の強さ、美しさなんだろうなと思います。
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