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何者でもないスーパースター

文章を書き始めるきっかけは、
身体的に不自由が出るような病気になってしまい、
これまで無我夢中に積み立ててきたものが
全て崩れ去ってしまったように感じたことが始まりだ。

そんな時に行きつけだった服屋さんのblogを読んで
今を憂いても仕方がない、何か新しく積み立てていこう
と思えたことが転機だった。

正直、まともな文章をこれまで書いてこなかったため、
乱文での読みづらさや稚拙な表現も多いと思うが、
新しいチャレンジとして、
平凡な僕が何者かになりたくてもがく日々
をテーマに書き綴っていくつもりである。



まず初投稿である今回は、何故こういったテーマにしようかと思ったかということを書きたい。

今後、時には本を読んで考えたことや、はたまた料理について書くことがあるかもしれない。
一瞥すると、取り留めのない記事の集まりになる可能性が高い。
しかし一貫して自分の軸として、今回書くようなぼんやりとした想いがあるような気がしている。

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「Now, me and my Adidas do the illest things…」


このフレーズを見て、HIPHOP好きな方はピンときたかもしれない。
“Run-DMC”の『My Adidas』という曲のフレーズだ。

1983年にデビューしたヒップホップグループが
ニューヨーク出身の“Run-DMC”である。

元々ヒップホップは、ブロンクス地区の貧困層の若者達が生んだ文化であった。その後、1983年『It’s Like That / Sucker M.C.’s』というデビュー曲で“Run-DMC”が登場する。

ロックとラップを融合させた新しい音楽や
カンゴールのハットにアディダスのスニーカーやジャージなど
彼らのファッションは後世に大きな影響を与えた。


*****

初めて彼らを知ったのは小学校5年生の時である。
グループが解散し、2年ぐらい後だったと思う。

年の離れた姉の影響だったか、メンバーの追悼番組を見たのか
きっかけは覚えていないが、
当時彼らがすごくかっこよく目に焼き付いたことを覚えている。

そして小学5年生の年明けに、自分の小遣いで初めて靴を買った。
それは彼らの代表曲の冒頭のフレーズでもある
アディダスのスーパースターだった。

白地に黒のスリーストライプ、そして金ベロのアディダスのロゴ
全てがかっこよく見えたし、
スーパースターという名前もどことなく惹かれた。

もちろん1日目は靴紐を通さず履いたのだが、
案の定、小学生男子の生活には無茶で次の日からは紐を通して使っていた。



そんな福岡市郊外の一般家庭で育った小学生だったが、中学、高専と進み
何者かになりたい、何かかっこいいことをしたい
そんな想いだけが大きくなっていった。

しかし、多くの人がそうであるように、
少しずつ心身ともに成長し、
現実に向き合えば向き合うほど、
子供時代に抱いた想いとは夢想なんじゃないか
という考えも並行するように大きくなっていった。



そして、いつしかスーパースターを履くことはなくなっていたし
そもそもそんな当時の記憶自体も忘れていっていた。


***

そんな大学院時代の進路を決めなければならない時、ある漫画と出会う。
『左ききのエレン』という漫画である。

大手広告代理店に勤める駆け出しのデザイナーである主人公が
いつか有名になることを夢みてもがく姿と
主人公の高校時代の旧友を始めとする天才達が
自分の持つ才能に苦悩する姿が対比的に描かれる作品である。

そんな主人公が履く靴がアディダスのスーパースターだった。



「何かにならなきゃ・・・退屈で・・・生きていけねぇよ・・・」



漫画の主人公が高校時代に言うセリフである。

当時、主人公の姿や彼のいる環境や境遇を自分と重ねて読み漁った。




そして現状何者でもない、ただ何かになりたい自分を奮い立たせる為に
小学生ぶりにスーパースターを買った。

 
ただの靴一つではあったが
小学校の時に初めてこの靴を履いた時の衝動が不思議と溢れてきた。


何かを成し遂げられるような…
何かカッコいい自分になれるような…
何か新しい世界が広がっていくような…


それからスーパースターを履いて、社会人の3年間は毎日踏ん張った。
何かになりたい。だけど秀でた才能があるわけではない。
そんな葛藤の日々はまたの機会に書きたいと思う。

*****


話を冒頭に戻すと
このスーパースターを履いて『My Adidas』を歌った
“Run-DMC”の主なライムの内容は、自分達が、いかに悪であるかを叫んだ。
一方で彼らは、スラム出身ではなく、クイーンズ出身の中流階級であった。

自分は熱狂的な音楽オタクや音楽史の学者ではないので、
これはあくまでも個人的な彼らへの見方であるが、

黒人差別も消えぬアメリカで不当な扱いを受けながらも
貧困層でない彼らは、その境遇から真の意味でのアウトローになりきれず

何かにならなきゃ
何かカッコいいことをしなきゃ

そんな葛藤の中でスーパースターになることを目指して
並々ならぬ努力をしてきたのではないかと思う。

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誰もが自分は特別だ
そう思いたい時がこれまでに一度はあっただろう。

しかし、いつの間にか自分は社会のその他大勢の一人だと思い知ることになる。

そして、いつしか
才能がないから、運がなかった、環境のせい、生まれがよくなかった、
そんな理由が並び、夢という言葉を使わなくなる。


ただそんな中でも何かを“諦めない”ことは誰もが持っている権利だと思う。
その目標はもちろん達成できないかもしれない。

しかし、物分かりよく諦めて、
辞めた理由を並べることが本当にカッコいい姿なのだろうか。

そのもがいた先の景色は、“諦めなかった”人にしか見えないと信じている。
 
そんな道程がカッコいい姿ではないかと思っているし、
その必死にもがく姿が、もしかしたら誰かの励みになるかもしれない、
未来の自分への応援になるかもしれない、
という想いから、このnoteのテーマは決めた。


最後に凡人の僕自身、辛い日々や圧倒的な才能を前にした時に
自分を見失いそうになってしまう。
そんな時には冒頭のフレーズを思い出して奮い立たせるようにしている。



Now, me and my Adidas do the illest things

俺とアディダスは超カッコイイ事をする




画像引用元:

  • https://beats-rhymes-lists.com/facts/run-dmc-signed-hip-hop-first-endorsement-deal-adidas/

  • https://wear.jp/item/4555697/

  • https://twitter.com/nora_ito/status/1263784140337340416?s=20

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