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ついさっきまで私は私に近づいていた

東京都現代美術感で『サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」』を観てきました。『翻訳できない わたしの言葉』を観るつもりがこちらは4月18日から開催でした。休館日ではなかったのでこれも縁でしょう(と自分に言い含める)。

サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」は「鑑賞者がパフォーマンスの一部となる」企図があるのですが、館員の方を除くと私一人しかいませんでした(好んで一人で行動していますが、来館者全員に避けられているわけではありません)。

展示室の中では鑑賞者がパフォーマンスの一部となることで、観る側が時として観られる側に回るような、美術館の展覧会の構造を利用した仕掛けを試みます

Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024 受賞記念展|Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024

しかしそれを差し引いてもやけにがらんどうな印象を受けたのでもう少し調べてみたらパフォーマーもいらっしゃるのが本来の形のようです(下記ポストの画像2枚目)。パフォーマンスのスケジュールを見落としたのかもしれません。一体全体私は何を観たのでしょうか?

津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」は、どの作品も単純な仕組みで不思議な体験を生み出しているのが刺激的でした。とくに《振り返る》と《カメラさん、こんにちは》シリーズのシングル・チャンネル・バージョンがおもしろかったです。

《振り返る》の仕組みは、まっすぐの通路にスクリーン、枠、行き止まりにカメラの順で設置されていて、カメラに捉えられた映像が少し遅れてスクリーンに投影されるだけです。これだけなのですが、これが最後は折り返しになる順路が組み合わさって、帰り道で振り返ると、スクリーンに奥に向かって歩く自分の後ろ姿が写し出されます。スクリーンでは遠ざかっているのですが、自分はそのとき今いる場所に向かって近づいていたことを知っています。時間軸上、ズレているのですが空間的には自分の接近が感じられて不思議な気分に。

《カメラさん、こんにちは》では、夫婦と子供1人が映ったホームビデオが12人の俳優によって複数の組合せで再演されます。同じ構図で、複数の家族写真やホームビデオ(風)の映像が横に並んでいるのもおもしろいのですが、シングル・チャンネル・バージョンでは映像が編集され1つの時間軸に並べられます。カットが変わるごとに各役を演じる人が切り替わっていくさまを眺めていると脳がバグります。誰が何役かすぐにわかってしまうのですが、なぜわかるのか自分でもよくわかりません。

以上『サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」』の感想でした。ちなみに本展は入場無料です。有料だったら観ないで帰っていたかもしれません。でも観てよかったですし、無料なので「翻訳できない わたしの言葉」の開催期間にもう一度入ったら今度はパフォーマンスも観られるだろうか、と期待も持てます。よい奇遇でした。

さて、ここまで読んでくださりありがとうございました。暇つぶしくらいにはなったら下の「記事をサポート」ボタンからコーヒー1杯分でもサポートしてもらえると助かります。


※ヘッダ画像はBing Image Creatorで作成

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