ビールの歴史② ヨーロッパへの伝来
先日の記事で紹介した通り、ビールづくりは古代メソポタミアで始まったと考えられています。
そうです、私たちが目には目を、歯には歯を、君には愛を?で記憶しているハンムラビ王で有名なメソポタミア文明です。
ビールといえばドイツやベルギーなど、ヨーロッパのイメージがありますが、ヨーロッパには古代ギリシアやローマを通じてビールが伝わったと考えられています。
ギリシア地域には紀元前3,000年頃から文明が形成されたと考えられ(クレタ文明と
ミケーネ文明)、その頃にはすでにエジプトと通商を行なっていた証拠が残されています。ビールづくりの一番古い記録はメソポタミアの紀元前3,000年頃のものですから、少なくともそれより前にビールづくりは始まっていたと考えられ、古代ギリシアにはメソポタミアまたはメソピタミアからエジプトを経由してビールが伝わったのでしょう。
古代ローマの起源は神話的な伝承で語られており、正確にいつ頃ローマの都市国家が建国されたかは分かっていないのですが、紀元前509年には貴族による共和国が樹立されたことは確かであると考えられています。古代ローマにもメソポタミアまたはエジプトからギリシアを経由してビールが伝わったと思われます。
このように、ビールはヨーロッパの中ではまずギリシアとローマに入ってきたわけですが、ビールが入ってきた時点でギリシアでもローマでもお酒といえばワインであり、ビールよりワインの方が保存が容易でしたし、ギリシアにとってワインは大きな利益を生む重要な輸出品でありビールよりワインの方が高級であるともされたことから、古代ギリシア・古代ローマではビールはそこまで広まらなかったようです。
ただ庶民や主要都市以外の周辺地域の住民の間では大衆のお酒として人気があり、遠征軍の兵士はビールを携行し栄養と活力を補給していました。なぜかしら、兵士や荒くれ者が飲むお酒としてはワインではなくビールの方がしっくりくる気がしますし、貴族がどでかいジョッキを持ってビールをがぶがぶ飲む姿はイメージできないのですが、人類がお酒と数千年以上つきあってきた中で、我々の中にDNAレベルでワインは高級、ビールは庶民派というイメージが植え付けられているのかもしれませんね。
現在の西ヨーロッパ地域では、まずローマから、アルプス山脈以北の広い地域に住んでいた先住民であるケルト人にビールが伝わり、ケルト人からより北方の地域に居住していたゲルマン人に伝わり、現在のイギリスのあるブリテン島には、大陸から移住してきたケルト人によってビールが伝わったようです。なお、古代ローマではケルト人の住む地域をガリアと呼んでおり、あの有名なカエサルが書いた『ガリア戦記』はガリアでのケルト人やゲルマン人との戦いについての記録です。
もう一つおまけに、日本人選手が活躍し現在も多くの日本人が在籍しているスコットランドのサッカーチーム、セルティックFC(Celtic F.C.)は、1887年にアイルランド出身の人によってグラスゴーで設立されたのですが、現地スコットランドとアイルランド出身の人々の両方のルーツを反映するために、両者の先祖がともにケルト系(Celtic)と考えられることから、セルティックFCと名付けられました。
今回はここまでにして、次はゲルマン人によって、どのようにして現代に近いビールが作られるようになったかについてお伝えしたいと思います。
参考文献
ウィリアム・H・マクニール著、増田義郎・佐々木昭夫訳『世界史(上)』中公文庫、2008年。
世界史の窓『ケルト人』https://www.y-history.net/appendix/wh0601-003.html.
BBC "The Founding of Celtic Football Club 1888" https://www.bbc.co.uk/scotland/sportscotland/asportingnation/article/0003/.
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