ビールの歴史3 中世ヨーロッパでのビール醸造の発展と近代的ビールの誕生
少し期間が空いてしまいましたが、以前『ビールの歴史2 ヨーロッパへのビールの伝来』という記事で、ビール発祥の地とされる古代メソポタミア地域から、古代ギリシアもしくは古代エジプトを経てヨーロッパにビールが伝わった経緯についてお伝えしました。今回は、その後どのようにしてヨーロッパの中でビールの生産・消費が広がり、現在我々が楽しんでいるのに近いビールが造られるようになったかについて書いてみたいと思います。そこではゲルマン人・ドイツが大きな役割を果たします。
カール大帝(シャルルマーニュ)治世下でのビールの広がり
古代ローマからケルト人を経由してゲルマン人にビールが伝来し、4世紀から6世紀にかけてのゲルマン民族大移動によってヨーロッパ各地にビールが広まっていったと考えられますが、フランク王国の全盛期である8世紀後半から9世紀初めにかけてのカール大帝(シャルルマーニュ)の時代に、ビールの醸造がヨーロッパ地域に広く浸透することになります。カール大帝も世界史でよく耳にする名前ですよね。テストで出たときは、かっこ書きでフランス語名のシャルルマーニュも書かないと正解にならないのかなど、迷った記憶があります。
カール大帝はゲルマン人が住んでいた地域のほとんどを支配下におさめ、その地域の住民をキリスト教に改宗させ教会や修道院の建設を進めました。8世紀でもまだ水は不衛生で安全な飲み物ではなかったため、水を煮沸して造るビールは安全な飲み物として巡礼者や賓客に振る舞うのに必要不可欠でした。また、修道院では修行として断食をすることがありましたが、断食中も水分の補給は許されていたので、栄養価の高いビールは断食期間中の重要な栄養源として重宝されました。そのため、中世ヨーロッパの多くの修道院にはビールの醸造設備が備え付けられるようになりました。さらに、ビールの醸造・販売は修道院の重要な収益源となっていたとも考えられています。
カール大帝は教会や修道院の建設を進めるとともに、荘園令を出し、荘園には必ずビールを造る人がいなければならないと命じたとされています。荘園は中世ヨーロッパの封建制の基盤であり、人々は荘園に縛り付けられ、領主に言われるがままに働くことしかできず自由がなかったというイメージがありますが、カール大帝は広大な領土運営の軸として荘園を重視し、ガチガチに制約を課すのではなく、各地の荘園の運営に一定程度の自律性を与えることで、農作物の生産や手工業を活性化させ、交易も活発に行われたようです。領土拡大のために多額の軍事費が必要だったカール大帝の治世において、荘園の経済を発展・安定させることで荘園からの税収を増やすという点も重要でした。
カール大帝時代のフランク王国では、高品質のビールの醸造を促進するため、ビールは衛生的に良い条件下で造られなければならないということや、王権直轄地の荘園では高品質のビールの造り方に精通した人物を雇わなければならないというたことがルールとして定められました。ビールは荘園での労働に従事した人に配られただけでなく、一般大衆や商人に販売され、その際税を徴収したため、ビールの醸造・販売は、一つの経済活動としても王国の財源としても重要性を増していきました。
ホップの使用の始まり
814年にカール大帝が死亡すると息子のルイが皇帝の座を継ぎますが、ルイが死亡した後の843年に、フランク王国は3つに分裂します。そうした政治的動向に妨げられることなく、人々の間へのビールの浸透は続き生産量も増えていく中で、ビールの歴史上、とても重大な変化が生じます。ホップの使用です。古代からビールの風味づけや腐敗防止のためにはハーブ類が用いられており、中世ヨーロッパでもハーブ類を配合したグルートというものが使われていましたが、11世紀前後からドイツでホップが使われるようになりました。ホップを使う方がビールの味わいが良く、腐敗防止の効果が高くなることが知られるようになったため、ホップの使用が主流になり、現代の我々が知っているのに近いビールが造られるようになりました。また、より保存が効くようになったため、ドイツで造られたビールの輸出が拡大し、ビールといえばドイツというイメージが形成されるようになった一因とも考えられます。
ドイツの人々のビール、ホップへのこだわりを象徴する出来事が1516年に起こります。ドイツ南部のバイエルン公国で、「ビールの原料としては水と大麦とホップのみを使用できる」とするビール純粋令が出されました(その後、当時はまだ分かっていなかった酵母の働きが発見され、酵母も原料として認められました)。これは、ビールの品質安定および粗悪な原料を用いたビールの製造を禁止することによる消費者保護を目的とする、画期的な法律でした。19世紀後半のドイツ統一の際にビール純粋令のドイツ全土への適用が検討され、最終的に1906年にドイツ全土に適用されることになりました。その後幾度かの改定を経て、ドイツにおいて現在でもビール純粋令は遵守されています。
以上の通り、今回はどのようにして中世ヨーロッパでドイツを中心としてビールが人々の間に浸透していったか、ホップを使った近代的なビールの醸造が広がっていったかを見てきました。今後、ヨーロッパの他の地域やアメリカでのビールの醸造・消費の歴史について書くことができればと思います。
お読みいただきありがとうございました。
【参考文献】
一般社団法人日本ビール文化研究会『知って広がるビールの世界 日本ビール検定公式テキスト(2024年4月改訂版)』
Brue Cruise, Inc. "Where Did Beer Originate From?" https://www.brewscruise.com/blog/where-did-beer-originate-from/
Beer Studies "The beer brewing in the Carolingian Empire (751-924)." https://beer-studies.com/en/world-history/First-empires/Carolingian-empire