旅の中での自問自答~行き先について(3)
(写真)インド・ニューデリー・メインバザール(パハールガンジ)へ夜明けに到着(1998年5月)
中国・パキスタンからイラン、トルコを経て欧州へ到達するつもりが、インド全土からサドゥーが集結すると言われる『クンバメーラ』の話を耳にしてインドへ6ヶ月滞在することになり、↓(参照) 旅の中での自問自答~行き先について(2) https://note.com/so6/n/nff7d68e07cd9
↑クンバメーラ前後、リシケシュにてヨガをして過ごす↓
いよいよこれから、インドからパキスタン→イラン→トルコ、と進もう、と1998年5月、クンバメーラが終わったインドのヒマラヤ地方からデリーへ下り、パキスタン・イランの両大使館へビザの申請に通っていた頃、飛び込んできたニュースが、
インドが西部ラジャスタン州で核実験を行った、
ということ。
↑ニューデリー・コンノートプレイス
インドの仮想敵はパキスタン。
パキスタン政府も報復の核実験を行う公算が高いと言われる。
実験場として確実視されているのはパキスタン西部クエッタの西、イラン・アフガン国境に近いチャマンという所。
そこは、パキスタンからイラン国境へ向かうバスが通る道路から10㎞程度しか離れていないと言う。
実験のあったラジャスタン州のある町では子供が原因不明の鼻血を出し続けたり、髪の毛が抜ける等の出来事が起こっているらしい。
これはただごとではない。
ここまで聞いてしまったら、それでも行こう、とは思えなくなってきた。
デリーのメインバザール(パハールガンジ)には気軽に入りやすい感じの旅行代理店が何軒かあり、格安航空券を売り出している。欧州各都市へ大体300米ドル程度で飛ぶことができる。欧州へ飛んでしまおうか。パリとか、ロンドンとか。
イスタンブールへ飛べば、と提案してくれたのは、2年前に中国雲南省を一緒に移動し、今回デリーで再会した日本人カップルだった。↓(参照) 旅行記1994~2000(54)インド・ヤムノートリー~ムスーリー~デリー~マナリ~デリー(1998.5-6) https://note.com/so6/n/nbeac633c290f?magazine_key=mb0358aadde14
パキスタン→イラン→トルコと陸路で行こうと思っていて直前で変更するのはこれで3回目となる。残念だが、状況が状況だけに、仕方がない。
↑インドを発つ日のデリー・メインバザール
1998年6月10日、デリー空港からモスクワ経由イスタンブール行きアエロフロート便に搭乗、一気にイスタンブールへ行くこととなった。
↑イスタンブールへ着いた日
後から欧州各地で会った旅行者達と話すと同時期にインドから陸路での西進を諦めた旅行者は多く、デリーからイスタンブールへ飛んだ人も多かった。テヘランへ飛んだ、という人も居た。陸路で強行した、という人も居て、自分の選択が正解だったかは分からない。
1年後、1999年5月~7月に掛けて、トルコ→イラン→パキスタン→インド、と陸路で戻ってくることとなった。↓(参照) 旅行記1994~2000(72)イラン・ザヘダン~パキスタン・クエッタ~ラワールピンディ~チトラール~シャンドール峠~ギルギット↔フンザ=カリマバード↔パスー~ラワールピンディ(1999.6-7) https://note.com/so6/n/n10d8e6e87081?magazine_key=mbc40075c809c