旅で気付いたこと~本当に必要な物は少ない
(写真)旅行中の荷物は必要最小限を心掛けていた。ミャンマー・ヤンゴンの宿にて1996年3月。
ここ2年に渡る新型コロナウイルスの流行で、感染を防ぐために、これまで当たり前に取られていた社会的行動を自粛・抑制することを奨励される風潮が生まれ、
この新たな風潮は、今まで当たり前と思われていた行動がそうではなく、また必要だと思われていた活動が実は不要なものだったのでは、という新たな気付きを少しずつ社会全体にもたらしていると思います。
代表的なところでは、忘年会や新年会などを始めとする、職場での飲み会というものがなくなったことに対して、どちらかと言うと歓迎の空気があるようで、コロナが収束しても復活してほしくない、と願う人達が相当数居るようです。
ほか、朝礼をなくす会社が増えるなど、コロナウイルスの流行が実は不要だった習慣に気付かせてくれたと思います。
考えてみれば、僕にとっては、長期旅行も、世の中の実は不要な物事に気付かせてくれる絶好の機会でした。
長い旅行へ出るにあたっては、動きやすくするために、無駄な物は持たないようにしなくては、たちまち荷物をリュックに入れられなくなります。
僕が常に持っていたのは、身に着けている物以外では、パンツ2枚、シャツ2枚、タオル3枚、上着1着、ズボン1本、ダイヤルロック2個、爪切り、耳かき、石鹸、歯ブラシ、キズドライ(傷口にスプレーすると固めて治りを早くする。絆創膏より有効)コイルヒーター、コップ1個、ノート1冊、ぐらいでした。
ちなみにこの中で日本からずっと持っていたのはダイヤルロックとキズドライぐらいで、あとは、古くなったら捨てて、現地で買っていました。
コイルヒーターというのは、水が入ったコップにコイルを入れてコンセントに差し、電気でお湯を沸かす物で、インドなどではポピュラーな物で、水道水が硬水で腹を壊しやすく、ミネラルウォーターは高い為に重宝しました。
旅行中はシャンプーはしません。石鹸で髪も洗います。シャンプーは実は不要な物に入ると思います。髪の毛は固くなりますが。髭は普段は伸ばしていて、だいたい半年に1回ぐらいのペースで一気に剃りました。
歯ブラシですが、インドでは木の枝先をめくって歯を磨く習慣があるそうで、インド滞在が長くなった頃には僕も真似をしました。
↑インド・リシケシュのヨガニケタンアシュラムにて。プレートやコップはアシュラム滞在時支給される物。他、私物。プレートの左斜め上の木片がインド流歯ブラシ。1997年12月。
歯磨き粉は使いませんでした。
値段が高かったこともあるし、インドのヒマラヤ・ガンゴートリーなどを一緒に旅行した日本人から聞いた話に感銘を受けたこともあります。
旅行記1994~2000(53)インド・リシケシュ~ウッタルカーシー~ガンゴートリー~ゴームク~ガンゴートリー~ガングナーニー~ウッタルカーシー(1998.4-5) https://note.com/so6/n/naa683c738e79?magazine_key=mb0358aadde14
↑インド・ガンゴートリー。1998年4月。
日本へ帰って20年経った今も歯磨き粉は使ったり、使わなかったり、です。
ノートがたまってくると、日本へ送っていましたが、当時は90年代で、今ならさしずめスマートフォンを持って出て、ノートは使わなかった可能性があります。
国から国へと渡り歩くので、ガイドブックは現地調達でした。
会った旅行者からコピーさせてもらったり、現地の書店で入手したり、もう不要になった旅行者から譲り受けたり、あるいはガイドブックはなしで、安宿の情報ノートに書いてあることを書き写したり。
当時の僕は旅行が生活になっていたので、日常に必要な物というのは、実は少ない、ということを実感していました。
もちろん、現地で手に入る物を除いて、の話なので、物を入手できない場所へ行く場合、例えば、長期間のトレッキングへ行くなど、だと話は違ってきて、必要な装備が必須であったりしますが。
↑中国・西寧の仏教寺。1995年5月。
異なる文化圏を訪ねることによって、今までの自分が生きてきた社会で必要と思われていた物が実は要らないのだ、と気付かされたひとつの例が、中国甘粛省・西寧の食堂での出来事。
夕食に、ビールを注文すると、大瓶が栓の付いたまま出てきたので、栓抜きを下さい、と食堂の奥さんにジェスチャーで伝えると、奥さんは瓶を手に取り、
テーブルの角に栓を押し付けて、開けたのです。
驚かされると同時に、ああ、これで開くんだな、と気付かされた次第です。
旅行記1994~2000(16)中国・北京-西寧-ゴルムド(1995.5) https://note.com/so6/n/nb90d7f8289af?magazine_key=m597e506abdb3