旅で気付いたこと(2)~体感距離
(写真)中国・パキスタン国境。中国側の町・タシクルガンを早朝バスで出発、昼頃到着。中国出国手続きしパキスタン入国審査の場所に着くまで2時間ほどバスに揺られる。1997年10月。
(そんなに何年もの長い旅行へ)何で行こうと思ったの?
とは、よく聞かれます。
多くの人にとっては、旅行とは、休暇に数泊程度、行くもの。お金が掛かるもの。
それを、仕事を辞めて行く、数泊どころか何年も行く、旅行を終えて日本に帰ったら仕事と住む所を探さないといけない、という、普通の感覚では到底理解できない、狂気の沙汰のような行動だから、無理もないでしょう。
はじめは、仕事を辞めて、というか、ほぼ解雇されたのと同じで、自分に自信を失い新しい仕事を探す意欲も失っていたので、インドへ行くと物価も安く、しばらく働かなくてもじっくり今後のことを考えられそうだ、と思ったからで、
旅行記1994~2000(1)出発前(1994.3) https://note.com/so6/n/n9c3f0cb1db19?magazine_key=mfd7809413989
3ヶ月のインド・ネパール旅行から帰って来たら新しい仕事を探すつもりでした。
ところが、3ヶ月の旅行中に、仕事を辞めて1年、2年の長期間旅行をしている日本人、欧米人がとても多いことを知り、彼らから色んな旅の話、色んな国や都市の話を聞くにつれ、方向性ががらりと変わってしまった。
こんな説明をすると、大抵は、
「人から影響されやすいんだね」
と言われます。
確かに、そうです。
しかし、旅の空の下で聞く、世界のあらゆる場所を訪ねた生の話は、自分もそこへ行かずにはいられない衝動を呼び起こし、また、それを持続させるものでした。
百聞は一見に如かず、と言いますが、本当にそうです。
今はネットが発達し、世界で起こっているあらゆることを知ることができますが、それと現地へ赴くことは、やはり全く違います。
たとえ、行って、宿から全く出歩かなかったとしても、そうです。
なので、行きたい、と思った所へは、片っ端から行ってみなくては気が済まなくなってしまいました。
考え方はシンプルで、日本で正社員の仕事に就いたら何ヶ月も何年も旅行することはできない、だから日本では短期間集中的に旅行資金を貯めるための仕事だけをして、早めに外国へ出る。
気が済んだら、日本へ帰って落ち着く方向へ向かうか、あるいは、当時は、事情が許せばどこかの外国に定住するのも選択肢としてありだと思っていました。
まあ、こんなことを考えられるのも、いつからでも落ち着ける、と思っていたこともあるし、それが許される状況であったからとも言えます。
実際に行かなければ分からなかったことは多々あり、それらの多くは今でも自分の中で血肉化していて、今の日々の生活に直接役には立っていなくても今の自分を作っている見方考え方を下支えしています。
行く前に写真や映像で見ていたエジプトのピラミッドやスフィンクスやチベット・ラサのポタラ宮殿やパリのエッフェル塔や万里の長城や、それらは実際に行くと、思い描いていたのとは全く違いました。
↑チベット・ラサのポタラ宮殿は標高の高いこの地の空と一体化して見える。
また、実際に長い旅行へ出ることで得られたのは、体感的な地理感覚です。
大阪から上海まで船で2泊3日、博多から釜山までは船で6時間程度、釜山からソウルまで高速バスで7時間程度、上海から烏魯木斉まで列車で3泊4日、西寧からラサまでバスで33時間、カルカッタからバラナシまで列車で一晩、デリーからバンガロールまで列車で2晩、バンコクからチェンマイまでバスで1晩、サイゴンからハノイまで列車で44時間、ブダペストからロンドンまでバスで25時間、といったようなことです。
↑マケドニア・スコピエ。1998年10月。
↓トルコ・エルズルム。1999年3月。
↑北パキスタン・ギルギットから首都に隣接する都市ラワールピンディへ山道を下る夜行バス。夕刻出発し翌朝到着。1997年11月。
またはそれに付随する、暑さや寒さ、昼や夜の長さ、同乗する人々の移り変わり、景色の移り変わり、などです。
アジアが広くて欧州は狭い、欧州は狭い面積に複数の国がひしめき合っている、アジアは国土が広い、しかしひとつの国の中に実は色んな民族が居て異なる言語や文化があって、そもそも国という概念を作ったのが欧州というか西欧文明で、その概念のない地域を植民地にしたり…。
実際の体感距離を知るだけで、様々な、歴史的な背景にも思いを巡らせることができます。
でも、こう文章にしてみると、距離や移動時間なんてネットでも調べられるし、それを知って思いを巡らせることも、どこへも行かなくても、やろうと思えばできそうな気もしますね。
でも自分にとっては旅で得られた貴重な世界への気付きでした。
↑ネパール・ナラヤンガル。カトマンドゥ行きバスがデモに遭遇しストップしたため数時間滞在。1994年5月。
↓インド・ヴァドダラ駅ホーム。デリー発ボンベイ行き列車が事故の為乗客全員深夜に途中下車、朝まで列車を待つ。1994年6月。