元旅行者の視点から(4)~環境問題について
(写真)北パキスタン・パスー氷河・1997年10月
延べ約5年に及ぶ旅行の中でその行き先のほとんどは日本よりも不便な生活が日常である所で、
つまり、停電や断水があったり必要な物が手に入らなかったり雨で道路が冠水したり舗装道路がぼこぼこだったりバスや列車が来なかったり車がすぐ壊れたり道路に信号や横断歩道がなかったり、などが当たり前な所の方が世界的に見ると圧倒的に多く、
それが現代日本人にとっては新鮮な経験だったのですが、やがて、全世界が日本や欧米先進国と同じような生活水準になるとすると、と言うか、現にそうなって来つつあって、多くの国・地域ではそれを目指していて、しかし、そうなると、地球環境が持たない、二酸化炭素排出量が増えてしまう、資源が足りない、などの事に気付きます。
北パキスタンのパスー村には1997年10月に中国新彊ウィグル自治区からカラコルムハイウェイを通って訪れましたが、電気の供給がある時間が決まっていて、確か、毎日ではない週3日ぐらいの夜10時以降、だったと思います。
夕食時には宿の主人が手動のアルコールランプで明かりを取ってくれていました。夕食後外へ出るとものすごい満天の星空で。標高が高いこともありますが、周囲の家々からも電灯の明かりというのが皆無なので、星の明かりだけしかない状態でした。
夜の10時までに眠ってしまうことが多く、夜に途中で目が醒めるとなぜかベッド近くの裸電球に黄色い光がついているのに気付く有様でした。
宿から少し歩くと氷河が見えるのですが、凄い迫力でした。
旅行記1994~2000(45)パキスタン・パスー~グルミット~フンザ=カリマバード~ギルギット(1997.10-11) https://note.com/so6/n/nea1b39e6f7fd?magazine_key=mb0358aadde14
そのパスー村に、2年足らず後の1999年7月再訪するのですが、電気が毎晩来るようになっていました。
夜、外に出ても、星は見えますが、家々の明かりもあるので、以前のような、暗闇の中に降ってくるような圧倒的な星空は味わえませんでした。
そしてなぜか、とても純朴な印象のあった宿の18歳の息子が(前回訪問時16歳)斜に構えたような話し方になり、お金の話ばかりしていた。
氷河を見に行ってみると、前回訪れた時よりも氷の量が明らかに減っていた。季節的なものなのか、と思っていたら、年々減っている、と宿の主人は言っていました。
旅行記1994~2000(72)イラン・ザヘダン~パキスタン・クエッタ~ラワールピンディ~チトラール~シャンドール峠~ギルギット↔フンザ=カリマバード↔パスー~ラワールピンディ(1999.6-7) https://note.com/so6/n/n10d8e6e87081?magazine_key=mbc40075c809c
パスー村は分かりやすい例ですが、他の地域にもこうした急激な変化が次々と起こっているのでしょう。そして恐らくは、日本もそうした時を経てきている。
地球温暖化防止の国際会議で二酸化炭素排出量規制を巡って紛糾も元となるのは、これから便利な暮らしを目指すいわゆる発展途上国側がこれまで先進国が途上国を犠牲にして便利な生活を享受してきたのに都合の良い事を言うな、という理屈で、対して欧州を中心とする先進国側は、これからは今までと違った発展の仕方を目指そう、などと説得に掛かるのですが、
「違った発展の仕方」がどのようなものなのか、自然エネルギーは供給量に限界があると言われているなど、具体案がなかなか描かれていない現状があります。
しかし今までの発展の仕方をこれから先進国並みの便利な生活を享受しようとしている国・地域全域に広げることは無理があることは旅行を経て実感できました。
だからどうすれば良いのだろう、とは思いますが、環境問題や温暖化に関するニュースに注目し、動向を気にしながら、今後も考えていきたいと思っています。
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