外から見る日本と日本人~日本の中から見る世界と日本の外から見る世界(5)アジアから、東欧から、イスラム圏から見た日本と日本人
(写真)日本人に友好的な人が多かった東欧・ルーマニアにて(1998年7月)
今までは、欧米などから見えた、あるいは欧米人との接触を通して見えた、割とネガティブな日本像を紹介してきましたが、日本という国が、あるいは、日本人であることがポジティブに感じられることもありました。
アジアの多くの国では第二次大戦による非常にネガティブな日本像も根強く流布していることも事実ですが、
旅行記1994~2000(29)タイ・バンコク~ソンクラー~マレーシア・ペナン、クラルンプール、マラッカ~シンガポール~マレーシア・コタバル(1995.12-1996.1) https://note.com/so6/n/nd9daf9711377?magazine_key=mecb6b032a3ee (↑マレーシア・ペナン島で南京大虐殺の映画を観る)
アジアの中で随一の経済成長を遂げた日本への憧れのようなものもあり、日本のドラマやアニメもたくさん入って来ており、日本や日本人への親近感もあるようでした。
↑ミャンマー・タチレクにて(タイとの国境の町=1996年7月)
東欧、特にルーマニアなどでは、東洋人、特に日本人への興味が強いらしく、質問攻めに合います。
旅行記1994~2000(57)ブルガリア・ヴァルナ~ルーマニア・ブカレスト~モルダヴィツァ、フモール、クルージナポカ~シゲットマルマツェ、オクナ~トゥルグラプシュ~サツマーレ(1998.7) https://note.com/so6/n/nc39ab69499a4?magazine_key=m399f642165bf
↑(ルーマニア・トゥルグラプシュにて宿探しを高校生に助けられる)
西欧への反発が強い分、アジアの先進国への憧憬が強いそうです。
↑ルーマニア・スチャヴァにて(1998年7月)
欧米人への反発が強く、その反動的側面もあって日本人の人気が高い地域と言えば、イスラム圏でした。
訪ねた中では、特にシリアとイランで人々は非常に友好的で、コーランに旅人への施しが自身の功徳になることが書かれている為、泊まって行って、と言ってくれる人も多かった。
↑シリア・ダマスカス・ウマイヤドモスクにて(1999年1月)
↑シリア・アルワード島(1999年2月)
旅行記1994~2000(68)シリア・アレッポ~ハマ↔アレッポ~ラタキア~タルトゥース~アレッポ~トルコ・アンタクヤ~カッパドキア=ギョレメ村(1999.1-2) https://note.com/so6/n/n08875089307f?magazine_key=mbc40075c809c
旅行記1994~2000(71)イラン・テヘラン~ヤズド~イスファハン~マシュハド~マシュレー~ブシェル~イスファハン~シラーズ~バム(1999.5-6) https://note.com/so6/n/n879660b4fa6c?magazine_key=mbc40075c809c
その後、21世紀に入ってイスラム過激派の台頭によりシリアが大きく変わってしまったのはご承知の通り。以前のような旅行は望めず、残念です。
意外だったのは、戦時中は日本が支配していた中国東北部でも、人々はとても友好的だったことです。
旅行記1994~2000(14)中国・天津~大連(1995.4) https://note.com/so6/n/n65d9ab32b0e8?magazine_key=m597e506abdb3 ↑(日本語を勉強している大連在住の女性と仲良くなったのですが、船中の人達も、大連の後訪ねた瀋陽(旧満州・奉天)や丹東(北朝鮮との国境の街)でも、宿の人々や食べに行った食堂の人達、みんな笑顔で話し掛けてきたのには、驚いた)
↑大連・中山広場(1995年4月)
東南アジアを始め中国・韓国などで、ペナン島で見た日本人を極悪人集団とする映画や連続ドラマなどが広く観られているのですが、テレビや映画に出て来る日本人と、実際に目の前に居る日本人とは分けて考えている感じがありました。