2050年、瞬間移動できるようになったら、旅行は…
1990年代には、今のスマートフォンの出現や、それで連絡を取るどころか、ネット検索やネット通販、さらに動画も見放題になったり、など考えられなかったことばかりですが、2050年頃になると、今の通信技術はさらに発達し、何と人間が伝送できるようになるのだとか。
FAXの原理と同じらしく、いずれは可能になるのでは、と言われている。
どれだけ科学が進んでもそれは無理だ、との説もありますが。
もし実現すれば、テレポーテーションができることになり、どこでもドアが私達の日常に出現するということです。
そうなると、わざわざ飛行機に乗って海外旅行へ行かなくても、行きたいと思えば瞬時にその場所へ、外国へ、行けることになります。
やがて宇宙へも同様の手段で行けるようになるということですが、それはまだ先のことで、2050年頃は地球上でのみ瞬間移動が可能になるとか。
想像もつきませんが、例えば、スマートフォンの地図アプリを操作すると身体ごと自分が指し示した地図上の地点に運ばれるとしたら、日帰りで世界一周も可能となります。
移動のために飛行機や船や車両を使う必要がなくなり、環境問題も改善に向かうそうです。
移動のために現地の電車やバスに乗ることもなくなり、旅行の形も意味も全く変わったものとなりそうです。バスや列車で乗り合わせた人との交流でその国のことが分かることもあったのですが。
宿泊せず観光地だけを訪ねることも可能となり、宿泊したければ宿泊できる。
観光だけが目的なら宿泊の必要はないので、わざわざ宿泊したがる人の方が変わり者になるのでしょうか。
そうなると、宿泊業もやっていけなくなり、宿の数も少なくなり、宿代も高くなりそうです。
同じ理由で、交通機関も、なくなりはしなくて、旅情や景色を楽しむ目的で残って、値段が高くなることが考えられます。
もちろん、かつての自分のように、長期間の旅行をするために仕事を辞めなくても良くなります。
行って、すぐ帰って来れて、またすぐ行けるので、ホームシックなどもなくなるでしょう。
その代わり、長期間旅行へ出てから久しぶりに帰ることで生じるギャップ(浦島太郎的経験)を味わうこともなくなるでしょう。(毎日が浦島太郎になる、とも言えそうです)
カルチャーショックはあるでしようが、すぐにその場所から離れることができるので、深いものではなくなってくるように思います。
見たい所だけを見て、旅行に伴う面倒なことがなくなる。
良い面もあるのでしょうが、寂しい面もあり、人々の意識はますます自分の理解可能な範囲から出ようとしなくなる傾向となりそうな気もします。
そんなことが可能な世の中になったとしても、深く理解しようとする人は新しい旅行法を活用してますます深い理解に到達し、すぐ帰って来れるとしても、あくまで生の現地で感じたことを生かして色々と考えを巡らせたり、あるいはそんな時代だからこそ、敢えて時間とお金を使って、少なくなった交通機関を利用して、現地へ陸路や海路で少しずつ近づいていく旅行をしようとする人々も居そうな気はします。
反対に、物事の表面だけを見てあまり深く考えたくない人は、ますます見たいものだけを見て面倒なことは避けられるわけで、今もそうした価値観の二極化はあるのですが、その傾向がますます強まるのではないか、という気がします。
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