偏る記憶
小中高の同級生にY君という友人がいた。
彼は男子のわりに珍しく綺麗な字を書く少年だった。
男子のわりにという言い方は良くないかもしれないが、少なくとも僕の周りには自分や慣れている先生しか解読できない文字を書く者が多かったし、鉛筆すらまともに持てないクラスメイトも何人かいた。
だから、彼の書く綺麗な字に、男子も女子も羨望の眼差しを向け、先生は褒めに褒めた。Y君といえば字が綺麗、字が綺麗なのはY君、というのがクラス共通の認識で、そう言われたり思われたりするのを、彼は悪い気がしないようだった。
彼とは小学4,5,6年とクラスが一緒で、当時大体2年単位で変わっていた担任の先生も、理由は気にしたこともないが、何故か3年間変わらなかった。
その先生は、小学校の先生だから国語担当というわけではないのだが、作文や漢字に力を入れていて、3年間ずっと、週に一度漢字テストを行った。
Y君は勉強もできたので、毎回当たり前のように100点を取るのだが、そこに先生の粋なはからいが加わり(当時は贔屓と怒っていた)字が綺麗ボーナスが300点加わり彼は400点満点を取ることができた。
誰よりも大きな花丸に、400と赤ペンでデカデカと書かれた答案用紙は表彰状のようで羨ましかった。
皆これをもらうことに憧れ、テストの時間いっぱいを使い精一杯丁寧な字を書くのだが、取れても200点、周囲からどよめきが起きても300点を取るのでいっぱいだった。
3年間、400点満点を取ることができたのは、ついに彼だけだった。
そんな綺麗な字を書く彼とある日話をしていると、なんとなく手が、指先が目に入った。よく見ると爪が伸びていた。
あんなに、柔らかく流れるような、角と丸みがハッキリとした、筆を使ったように見事な字を書く彼が、何故このように爪を伸ばしたままにしているのか…。
どうしても気になり訊いてみた。
「ねえ、爪が伸びてるよ」
すると彼は少しも間を置かず答えた。
「え…、だって伸ばしてから切ったほうが気持ちがいいじゃん」
言い方からして、嘘や誤魔化しではないとすぐに分かった。
考えたこともなかった。というより、爪を切るタイミングなんて意識したことがない。伸びる前に母に促されるから…。
感触的なものなのか、気持ち的になのか、何が気持ちいいのか訊くことはなかったのだが、中学生になってからも彼の爪が伸びているのを何度か見たことがあった。
彼とは縁があり高校も同じで、12年間を同じ学校で過ごした。
高校生になってからは、科も違ったこともありほとんど話をすることもなかった。ただ、掲示板か何かで見たのかよく憶えていないのだが、相変わらず綺麗な字を書くなと感じたことは記憶にある。
学校が終わり部活がない日は、今は大きなマンションが建っている場所に昔あったガソリンスタンドで彼はバイトをしていて、通りすがりに姿をよく見かけた。
緊急事態宣言、外出自粛が解除され、徐々に出掛けることができるようになってきた。
外出できるようになれば外食する回数が増える。とはいえ、以前と比べれば自宅で食べることに慣れたこともあり、毎日外食だったのが、週の半分は家で食べるように生活が変わってきた。
すると、洗い物が増える。
飲食代にはサービス料も含まれると昔誰かに言われたが、まったくその通りだ。
手洗いだろうが、食洗機だろうが、誰かが僕が使った食器を洗ってくれている。
洗い物が増えると、もちろん我が家には食洗機などあるはずがないので、キッチン用のスポンジがすぐダメになる。
どうせ捨てるスポンジなら最後まで使わないともったいないと、不衛生な話で申し訳ないが…、久しぶりにシンクの掃除をした。おじさんの一人暮らしなんてそんなもんだ、どうせ誰も来ないし、と言い訳してみる。
汚れていた分、やけにピカピカになったシンクを見て、いつものようにY君の言葉を思い出す。
「伸びてから切ったほうが気持ちいい」
こういうことなのだ。
いつも綺麗にしていては気づくことができない。たまに掃除するからこそ、元々シンクとはこんなに光り輝いていたのかと感動できる。
本人が言った意味と通じているのかは分からないが、子供の頃にたぶん無意識に言った言葉を、おじさんになった同級生に都合よく利用されているとは彼は思いもしないだろう。
人間、都合の悪いことはいつまでも憶えているが、好都合に歪曲した記憶もまた、中々忘れないものだ。