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不健康ではなかったが、長年吸っていた紙巻きタバコをやめて電子タバコにした
今から約二年半前のこと。
同じ職場にいた年上で後輩の未亡人と呑みに行き、そのまま朝まで過ごしたことがあった。
彼女は15も年上だったからそれなりの年齢で、22〜23歳の娘がいた。
一度きりならベロベロだったから、と言い訳できるが、せっかく誘ってくれたのに断るのも悪い、などと一泊二日の温泉旅行にノコノコついて行ったときはさすがに言い逃れができず、
「いよいよマザコンを拗らせ過ぎてここまできてしまったか」
と失望するとともに、
「もしかしたら明日にでも若い女子と楽しい何かがないとは言えない」
なんていう身の丈に合わない期待を捨てられるかもという安堵も同時に感じ、心中どうにも複雑だった。
旅行の段取りは全て彼女がしてくれた。彼女は非喫煙者だったが気をつかい煙草が吸える部屋を取ってくれた。
何組もの老夫婦、少しの若いカップルに混じり大型バスに乗り伊東まで来たものの、持ち前の自意識過剰が働き、車内でなんとなく感じた周りからの好奇の視線を無視できなかった。ただでさえ年齢より大分若く見られることが多いのに、15も年上の人と一緒にいたらどう見られているのか…。さすがに親子には見えないだろうし…。恥ずかしくてどうしようもなくて、身を縮めていた。彼女の気持ちなど考えもしなかった。
宿に着き、大浴場に行こうと誘われるも断って内風呂に浸かり、食事の時間以外は部屋で過ごした。話しかけられなければ、自分から口を開くことはなかった。
彼女は温泉に入る以外にも、宿の外に出て買い物したり、夜になると地元の人達が集まるようなスナックに一人平気に入っていって歌ったりとよく動いていた。
その都度声をかけ誘ってきたが、断られるのもさほど気にならないように見えた。せっかく来たんだから楽しまないと損、口にはしないがそんな雰囲気が感じられた。
一泊二日が過ぎるとまた、老夫婦とカップルに混ざってバスに乗り東京に帰った。周りから見えないように窓に体を寄せ、彼女の声かけには頷くか首を振るだけ、ほとんど寝たふりをして過ごした。
旅行から帰って数日後のある日。
仕事が終わると彼女は近づいてきて小さな箱を渡した。見るとそれは電子タバコだった。
「少し本数減らせば」
一言だけそう言うと、彼女は手を振り職場を出て行った。
旅行中、部屋から出ないでいるとローカル番組を観ること以外やることがなく、暇で暇で煙草ばかり吸っていた。
露天風呂や土産物屋から部屋に戻ってくると、その時1月だったからか煙いと窓を開けることもなく、彼女は黙って山になった吸い殻を片付けてくれた。
不思議な旅行から三ヶ月ほど経ち、桜もほぼ散りかけたとき、
亡くなった旦那の父がそう長くないので帰らねばならなくなった
と彼女は突然退職した。
突然だったにも関わらず、送別会にはほぼ全てのスタッフが参加していて、知ってはいたが改めて彼女は人望のある人だったのだなと思った。
会には参加したが、彼女とは一言も話さなかった。彼女も近づいてくることはなく、別れの挨拶も、世話になった礼も言うことができなかった。
帰りの電車内で、高校生の頃のことを思い出していた。とにかくひと目ばかり気にして、タイプが全く違う連中とばかりつき合っていた。気が合わないのに見た目がいいからとノリを合わせ無理をして、ストレスを溜め込んではよく寝込んだ。
高校の仲間といるときに、中学時代仲の良かった見た目が地味な友人に声をかけられると、地味な彼と親しいと知られるのが嫌で無視をした。その時の彼の、寂しそうで悔しそうな顔を今も忘れない。
何故こんな昔のことを思い出すのか…。酔って鈍くなった頭でもよくわかった。
家に着くとクローゼットの中にある衣装ケースを開けた。
中には小さく細長い箱が入っている。
ずっと未開封だったけど、彼女とはもう二度と会わないだろうけどやってみようかなと思った。
その夜、何だか何かを失わなければいけないと猛烈に感じ、部屋にある灰皿とライターを全て処分し、電子タバコにリキッドを注いだ。