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日記一沈没一

私の全身が幸福を求めているのがわかる。
内側。胸の底、喉の奥の方から、張り裂けてしまいそうな感覚を抱えている。
込み上げてくる形の無いそれを、生唾とともにぐいと押しやると、どうにか己の原形を保つことができるような気がする。

何が幸福なのだろう。

親がいること。
学校に行けたこと。
朝食が食べられること。
仕事に就いていること。
帰る家があること。
五体満足であること。
今、生きていること。

並べてみたら、十分に幸福なはずなのだ。
きっと、贅沢言うなと、怒られてしまうくらいに幸福なはず。
もし、そうやって私を嘲罵する人がいたら、彼らはただの外野。真相に関心のない外野からは、そっと距離を置きたいものだ。

自分の幸福が万人のそれに値すると思ってはいけないと思う。
世間がいう正解は、何となく生きた人が、考えることを放棄した人びとが、こぞって落ちていくことを正当化するための受け皿でしかない。大皿に盛られた料理は、何だって豪勢でそこそこおいしそうに見えるだろう。
そこに落ち着いた人に、幸福を説かれても。
ただ、私はお前のようにはなりたくないと心の中で軽蔑するとともに、私は貴方のように幸福を甘受できないのだと、考えて考えて、考えあぐねる人だけに待っている不幸を嘆く。

「私、◯◯には幸せになってほしいっていつも思ってるよ」

そう言うあの子の瞳はいつも私を見ちゃいない。彼女が見ているのは、大好きな彼との未来だけ。
私の悩み、退屈そうに欠伸しながら聞いていたものね。あなたがいう幸せって、何だろうね。

お願いだから、死ぬ前に一度だけ。
丸ごと受け入れられることの素晴らしさを、私も味わいたい。
どんな君でも大切だと、愛していると、可愛いと、言葉で身体で教えてほしい。
そうやってずんずん沈んでいく私の心を、もう一度、陽の光に当ててほしい。

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