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日記一女について一
女は果物だと思うのです。
食べ頃がある。食べ頃を過ぎるとぐじゅぐじゅに腐って捨てられる。女の食べ頃は果物と同じくらいに短く、格別のうまさであるということです。
思えば、女の美しさは若さと同義であるということは暗黙の了解でした。若さというのは外見のことです。心の若さがあっても体の若さがなければ、それはただ人一倍煩い醜女として周囲の目に映ります。女の若さは特権であり価値基準であり、唯一無二の武器となる。若さこそが正義なのです。
だから、正しい食べ頃に然るべき人に食べてもらわねばなりません。食べ尽くしてもらわねば、女はみるみる熟れて腐って、捨てられてしまいます。どんなに丹念に成熟しても、食べてもらえなければどぶを流れる排泄物と同じです。女に残された時間には限りがある。生まれてから死ぬまでではなく、生まれてから食べ頃までが女の人生だから。やれ食べ頃だと急かされて急かされて、暇のない数年を送らなければならないのが20代なのです。その後の人生をごみ箱の中で過ごさないために。美味しくないのにお腹を壊してしまうのに好き好んで食べてくれる人なんていませんから。
一方で、早熟が好きだと固い方がうまいんだとむしゃぶりつく輩もいます。食べ頃を待たずして食まれた女は、囓られたところから腐っていく。そのまま腐るか、或いは腐ったところを削ぎおとすという苦痛をもって食べ頃を目指すか。どちらにせよ傷ものとなるわけです。果物の世界において、傷ものの等級は低い。せいぜい路肩の無人販売所やらご近所へのお裾分けやらに回されるのが良いとこです。「傷ものですが味は変わりませんから」と何とも皮肉な文句を添えられて。
彼女等は素晴らしく芳しい食べ頃を迎えるはずでした。女の美しさは若さと同義であるという暗黙の了解とそれを大義として女を貪らんとする輩との手によって、傷ものにされた女たち。どうか安らかであれと願うばかりです。