【創作】アンダーカバー・ウナギ

 親父がまた騒ぎ出した、と知らせがあった。
 今度はウナギが食いたいのだそうだ。

 金さえあればなんでも食えた。それこそ絶滅危惧種の動物だって殺して食えた。親父はぎりぎりそんな世代だった。
 俺はと言えば、天然のウナギなど見たことはない。水辺でも食卓でも。それを言うなら、天然の魚など、ほとんどお目にかかったものはない。魚は水族館で見るものだ。もっとも、最後に水族館に行ったのがいつかも思い出せないが。

 死んだ動物を食う趣味は、年寄りや金持ちの界隈ではいまだに流行っている。なんでもそういうのを昔はオーガニックと言うのだそうで、最近また、動画かなにかで持ち上げられたらしい。
 ボケてからというもの、親父は、日がな一日、動画サイトを眺めて暮らしている。タブレットさえ見せていれば、おおむね大人しくしてくれると、担当職員はいつも申し訳なさそうに笑っていた。

 とはいうものの、大人しくしていない日というものも当然ある。
 数十年前に配信された、グルメ動画のライブラリを見ていたら、ぼそぼそとウナギの話をしはじめて、ウナギが食いたい、どうしても食いたい、と訴えだした。
 担当職員がやんわりと断りを入れたら、もういい、息子に連絡を取れ、ウナギを持ってこさせる、と、つねにもない気力を出して頑張りだしたらしい。

 その元気を、もう少し計画的に使えないものかね。ぼやいては見たものの、理屈の通じる相手ではない。昔からそうだった。今の方がマシなくらいだ。

 どうやってウナギを手に入れたのかは、申し訳ないが、ここでは書けない。俺がウナギを手に入れた、その事実を書くこと自体、ぎりぎりで許可されたくらいだ。
 ここは本来いいところなのだが、そういう事情なので我慢してほしい。ともかく、俺はウナギを手に入れて、親父のところに持っていったのだ。

 食に淡泊であることを自認する俺でも、料理の熱で立ち上る、そのタレの香りにはさすがに食欲をそそられた。ああ、これは美味かろうな。

 二つ並べられた小さい膳を見て、親父は怪訝そうな顔をした。俺はにやりと、意地悪く笑う。けっ、と言う表情で、親父は迷って、手近な膳を手に取った。
 匂いを嗅ぎ、片眉を上げる。箸をつけることもなく膳を置き、もう片方に手を伸ばした。同じように匂いを確かめ、大きく息を吸い、そしてにんまりと笑みを浮かべた。

 そこからは、上機嫌のワンマンショーが始まった。人を黙らせるには何か食わせておけばいい、とよく言うが、親父は一口食べては大きく頷き、愛想笑いの職員に、自慢げに語って見せた。そうそう、これだよこれ。俺が小さい時分に食べていたウナギはさ。こんな歯ごたえで。

 こっちは俺がもらうぜ。親父が先に置いた膳に手を伸ばし、一応、親父に断りを入れる。親父は聞いているふうもなかったが、こっちを見て頷きはした。まあいいだろ、と口に運ぶ。
 親父はこちらなど見向きもせず、上機嫌で自分の話を続けていた。
 メーカーやらが言うには、年々改良されてとかでな。リアルになっただの、『本物』にだんだん近づけられた、んだそうだけどな。
 俺だって若い頃は、新しい方が美味いって思った事もあったけどもな。
 ありゃあ違うんだ、俺が小さい頃に食っていた『ウナギ』じゃねえ。ガキの俺に、お袋が食わせてくれた『ウナギ』じゃあ……

 食って喋ったら、親父は満足して寝てしまった。肩をすくめて、親父の担当に詫びる。
 せめてものお詫びにと、合成ウナギの詰め合わせを差し入れに置いておく。しきりに遠慮する担当に荷物を押しつけて、施設を後にする。

 水産物の代替品として生み出された合成ウナギ。一度存在が認知された後は、目覚ましいスピードで改良が進み、ついにその食品としての評価は、本物のウナギを凌駕するほどに至った。
 オリジナルよりも遙かに美味な合成品は、もはや代替品ではなく、本物のウナギとなった。それは水産物のウナギを、人間の魔手から救う結果にもなった。絶滅危惧種だったウナギは、現代になって、ようやく生息数の回復が軌道に乗りつつある。
 しかし金持ちも、年寄りも、未だに天然もののウナギの死骸をありがたがり、わざわざ生きているウナギを捕まえて、殺して食っている。高級な合成品の方がはるかに美味だと、彼ら自身もよく知っているだろうに。

 それにしても、まあ。『初期モデルの合成ウナギ』は高くついた。
 あの親父、毎度とはいえ手間暇をかけてくれる。俺が甘いから悪いのだろうが。

 魚の死骸でも食わせてやればよかった。
 食ったことがないのだろう、本物ってやつを。

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