2024/08/12-15 北陸旅行日記(2024/08/21追記)
はじめに
2024年8月12日~15日、北陸旅行の備忘録です。
かつて長野新幹線と呼ばれていた北陸新幹線。延伸し、金沢まで開通したのは、10年近く前の2015年のことでした。
旅行はそこそこ好きで、ちょいちょいあちこちに出掛けてたのですが、北陸にはあまり行った事がありませんでした。ずいぶん行きやすくなったし、この際行ってみよう…… と、うっすらと思い立ってから、はや数年。
ぐずぐずしている間に、新幹線は敦賀まで延伸。
その一方でコロナ禍が起き、能登半島で大地震が発生…… と、旅行に行くのに躊躇いを憶える状況がずっと続いていたのですが。
今年の会社の盆休みが、だいぶ長い休みであることを(だいぶ直前に)知りまして。長く旅行に行けるタイミングなんて、なかなか巡ってこないぞ…… と、旅行に行く事を急遽決定。
フェリーで船に乗るコースと、北陸新幹線を端まで乗るルートと、どちらにするかとだいぶ迷ったのですが。北陸は行ってみたいところが一杯あるな……。
と言わけで、フェリーは別の機会と言う事にして。陸路鉄道の旅と決め込んだ次第でした。
1日目(善光寺:長野~直江津)
ひさしぶりの旅行が楽しみだったのか、あまり寝付けなかった前日。
ともあれ、東京駅から出発です。
最初の目的地は長野。すでにだいぶの混雑の中、北陸新幹線に乗って出発。
榛名山を右手に見てトンネルがちの線路を通れば、一時間半ほどで長野です。
こんな早く着くのなら、もっと早く来れば良かったな…… と思いつつ。長野駅から、徒歩で善光寺を目指します。
目印となる丁石を辿って北進する途中、ちょっと参道を逸れて寄り道。
旅の予習をしている時に見かけたお蕎麦屋さんで、まずは昼ご飯。
再び戻って参道を通り、いよいよ寺域に。仁王門をくぐります。
全然知らなかった(史料館で知った)んですが、この仁王門は裏側が面白くて、三宝荒神と三面大黒天が祀られております。三宝荒神はぎりぎり聞いた事が有るけど、三面大黒天って聞いたことがない……。
仁王門を越えた先に、車道があって普通に車が通っています。結構びっくり。
右手に六地蔵を見つつ、北進。
さらに進んで山門をくぐる。この山門は二階に上がることが出来ます。
ちなみに入場料が必要ですが、経蔵とか史料館とかとのセット券もあります。
なお階段が近代以前で、手すりがあってもとても恐い。
善光寺と言うのはそれにしても不思議な空間で、お寺の領域と、周りの街の領域が曖昧と言うか。街の中にお寺があるのではなく、お寺がそのまま街になっているような、そんな不思議な雰囲気を感じます。
春日大社なり上野の寛永寺なり、大きな(そして有力な)寺社の古い姿は、きっとどこもそういうものだったのでしょうね。
撮影禁止の本堂をお参りしたあと、いったん裏手へ。
ホワイトレターに関連して、見てみたかった迷子郵便供養塔をお参り。
三重塔の史料館を見て。経蔵でお神輿みたいに巨大な輪蔵を回し、おみくじが売り切れている事にショックを受けて屋台でかき氷にありついたりしつつ。
ひととおり見聞して、離脱。
途中見かけたブルワリーで、時間の関係で一杯だけ頂いた後、長野から移動開始。
上越妙高駅まで行って乗り換え、直江津へ。
うっかりして晩ご飯にありつきそこなったり、うろうろしていたら小雨に降られたりしつつ。
初日は直江津で一泊となりました。
2日目(フォッサマグナミュージアム:糸魚川~宇奈月温泉)
一日目に泊まった宿は面白いところで、朝ご飯の代わりにオプションで駅弁をつけてもらえます。
そんなわけで駅弁を受け取って、直江津を出発。二日目は糸魚川を観光して、宇奈月温泉を目指します。
日本海の海岸線を走る日本海ひすいライン。気動車に乗って糸魚川まで一時間。
糸魚川駅は北陸新幹線も止まる大きな駅。車両がまるまる建物の中にあって、待合室にもなっています。
レンタサイクルでかなりいい自転車を貸してくれるらしく、何故だろう、と思っていたら、旧北陸本線のあったところが、全長30kmほどのサイクリングロードになっているのだそう。これは次の機会に行ってみたいですね。
糸魚川駅からバスに乗り、10分ほどでフォッサマグナミュージアムに。
窓口でチケットを買おうと思ったら、近くにある長者ヶ原考古館とセット券があるとのこと。全く知識がなかったのですが、そちらに先に行ってみることに。
結論から言うと大正解でした。
長者ヶ原遺跡は、糸魚川にある縄文時代の遺跡。
縄文時代から翡翠の産地だった長者ヶ原では翡翠の加工技術が発達し、また恐らくは交易によって翡翠の工芸品を流通させていました。
興味深いのは、発展期よりも忘れられた経緯。古墳時代にヒスイ工芸は急速に衰退し、産地どころか日本で産出する事すら忘却されたと言うのですが、このあたりには長い研究史があるみたいで、これはちょっと腰を入れて調べてみたいですね……。
そんなわけで、本命のフォッサマグナミュージアムももちろんなんですが、長者ヶ原考古館の方をすっかり楽しんでしまった後。
ちょっと早めにバスで糸魚川駅へ戻って、地図で見て気になっていた展望台へ。
ちょっと思ったのと違って、歩道橋みたいな感じの展望台でしたが、ともあれ日本海を一望。海の色が急激に変わってるのが印象的でしたね。
街中をちょっとうろうろしたあと、お昼は名物と言うブラック焼きそば。
いやその。地元の名物が「黒焼きそば」って言いまして。イカスミを使うコンセプトも一緒って言われると、どうしても気になって……
どろりとした真っ黒な餡がかかった、インパクト満点な焼きそばでした。
スープも味噌汁じゃなくてイカスミのスープ。コンセプトの徹底ぶりよ。
糸魚川からふたたび日本海ひすいラインに乗って、日本海を見つつ、のんびりと西へ。
親不知子不知のあたりの海岸線を見たかったんですが、このあたり北陸自動車道が海に張り出してるんですね。これはこれで壮観。
終点の泊で降りて、コミュニティバスに。黒部川扇状地をほぼ北から南へ突っ切って、黒部峡谷の入口、愛本駅に向かいます。
駅を見て、さすがに瞠目。
判ってましたけど、だいぶ遠くまで来たなあ感……。
富山地方鉄道に乗って、宇奈月温泉駅へ。
この日の宿は奮発して、だいぶいいとこだったのと。あと晩ご飯を急遽追加してもらったら、宿に着いてすぐご飯、と言う事になりまして。宿だけで満足してしまって、あんまり宇奈月温泉はうろうろしませんでした。
そんなわけで、二日目は宇奈月温泉で一泊です。
ここももう一回来たいですね。
3日目(兼六園~金沢城:宇奈月温泉~金沢)
旅も折返しの三日目。
朝風呂も朝寝も朝ご飯も存分に楽しんで、なんなら駅を出る前に宇奈月ビールまで買いこんで、意気揚々と鉄道に乗り込みます。
宇奈月温泉駅は富山地方鉄道本線の始発駅。
峡谷のさらに奥へと向かうトロッコ電車を見やりつつ、黒部峡谷を海側へ。愛本駅で扇状地に出てからは一気に視界が開けます。
一面見事な水面を眺めながら、頭の中は乗り換えの時間計算で一杯。
幸いなるかな実際には余裕で、黒部宇奈月温泉駅から、みたび新幹線に乗って金沢へと向かいます。
呉羽丘陵を見て、急に大きい山があるなと思ったり(でかい断層だと言う事は帰ってから知りました)しつつ、あっと言う間に金沢に。
駅も街も、さすがの大都会。とにかくまあ人が多い。
コインロッカーを探すのにも一苦労しつつ、なんとか荷物を預けて。記念写真を撮ったあと、さあ出発。
バスの路線にまごまごして、これはもう途中まで行って歩こう! と判断。
適当に飛び乗ったバスで、近江町市場を右折して香林坊の前まで。
降りたらガンダム展やっててうひょうとなりましたし、逆側を見たらなんかよくわかんないものがあって、道路の向こうまで行って写真撮ってしまいました。
それで結局これはなんなんだろう。
百万石通りをぽくぽくと歩いて。金沢市役所の隣あたりでカレー屋さんを見つけて、金沢と言えばカレーであった、と、飛び込みでお昼。
二十一世紀美術館は、今回は外から眺めるに留めて、お城の石垣が見える交差点…… にさしかかったところで、ふと気になって右手の神社にお参りします。
石浦神社、由来を読むと、大和国三輪山の神様、つまり大物主を勧進したとされる神社とのこと。
せっかくなので、善光寺で売り切れだったお神籤を引いていこうと思ったのですが。
末末末。
なんで!? ねえなんで!?
……失礼。取り乱しました。いや私、おみくじなんて滅多に引かないのに、変わったもの、それも良くないほうに変わっているのをしょっちゅう引き当てるもので。
「平」でもまあまあ変わってるのに、凶後平とか、吉凶相交とか、普通引かないでしょう。
そして此度はこう。さすがに声出ました。
帰ってから調べたら、これは「みすえ」って読むのだそうです。
石浦神社のおみくじで言うと、全17種中下から3番目。ヴォー。
詳細もまあまあで、「就職:反省せよ」とか、かなりひどいこと言われています。ヴォー……。
さて気を取り直して兼六園。普通は入場料がかかりますが、この日は無料公開されていました。
高地である小立野段丘の北西の突端に位置するのが金沢城、その奥側が兼六園。段差のある兼六園の北側からは街が一望でき、川を挟んで向こうの卯辰山も良く見えます。見晴台があるとのことで、そちらにも行ってみたかったんですが、体力的に厳しそうだったので断念。
金沢の名の由来になった金城麗澤、明治維新のとき、藩主についていって東京に移されたけど、旧藩士の願いで戻ってきた金沢神社のお稲荷さん等々。昔の写真を、今の風景と同じアングルで飾ってあるのも面白い企画。ふむふむと思いつつ見ておりましたが、かなりの暑さでだいぶグロッキーにはなっておりました……。
ひととおり見て廻った後、切り通しのお堀通り、昔の百間堀を見下ろしつつ。石川橋を渡って、金沢城へ。
金沢城の前身は、一向宗の建てた金沢御堂。佐久間信盛、加賀は加賀一向一揆で、百年に渡って一向宗が実効支配していた土地なのですが。
いま調べたら、その百年前って言うのは足利義尚の六角討伐が大きく関わっている(加賀守護の富樫氏が、将軍の関心を買おうと六角討伐に戦費を使い過ぎて一揆された)らしくて。いろんなとこがいろんな風につながってるんだな…… 等と思っております。
石川門を通って河北門を見学、だだっぴろい三の丸広場を横切って、かつて本丸があった山の上へ。
丑寅の見晴台からの長めを見た後、復元された二の丸御殿を見学。
本丸が早々に失われた金沢城は、ちょいちょい火事に見舞われたり再建されたりしつつ、二の丸御殿が政治の中心となっていたとの由。
その二の丸御殿の一番端のあたり、橋爪門、五十間長屋、菱櫓等が復元整備されており、ここも見学。
壁なり柱なりの、構造や材質は復元を行いつつ。元々の構造が吹き抜けになっていたと思われるところにエレベーターを設置したり、本来の構造では、ここに通路や階段は無かった、と断りつつも、見学の便宜のために通路や階段を設けていたり。
もちろん復元は、本来あった姿に戻すのが本義ではあると思うのですが、金沢城二の丸に限った話でも、大火のたびに焼失・再建造されており、何を以て「本来」とするのか、と言うところからして恐らく議論のあるところ。
こうして、判っているけれど敢えて曲げる、と言うのも、復元の手法なのだろうな、と。そんなことを思いつつ見学しておりました。
一緒に展示されている文献資料で、二の丸を建築した当時の仕様書が残っている、と言うのを見て、ちょっと驚きました。仕様書大事。
最後は裏手に周り、旧第六旅団司令部を見学。
そのまま尾山神社の方に抜けようと思ったのですが、通行止めとなっていました。
能登半島地震の影響で石垣が緩んでいるらしく。写真で撮れるところでも、だいぶズレているところがありました。
震源からだいぶ離れた場所、それもお城でさえもこうなのだから、能登の被害はどれほどだろうかと思いつつ。近江町市場を覗きつつ、駅の方まで戻って参りました。
今回ちょっと判断誤ったのは、駅の近くで宿を探したこと。
金沢に来たからには行ってみたいお店はあれこれあったのですが、どこに行くにも今ひとつ不便…… と言うか、行って帰ってくる体力まで使い果たしてしまったもので。次に来る時は、宿の場所もちゃんと考えないとなあ。と、反省しきりでした。
駅で、会社宛やらのお土産を買い込んで発送したあと、駅ビルで見つけた地ビールのブルワリー直営店に。
いやはや満足致しました。上機嫌で宿まで歩き、三日目はこれで終了です。
4日目(気比神宮~彦根城:金沢~敦賀~彦根)
軽くまとめるつもりが、だいぶ長くなってしまいました。
移動距離が大変長くなった、最終日です。
金沢の宿でやや寝坊して、焦って駅へ。敦賀まで一気に移動します。
北陸新幹線に、富山~敦賀間の間だけを運行する区分があるとは知りませんでした。「つるぎ」に乗って、日本海を見ながら敦賀へ。
途中、いきなり頭だけ見えてきた加賀大観音にびっくりしつつ、終着駅の敦賀へ到着します。
いずれ京都まで延伸する、新幹線の端っこを記念撮影。
敦賀はノープランだったのですが、せっかくなので気比神宮を参拝することに。
雪避けのアーケードが、ちょうど日除けにもなって快適な大通り。まっすぐ歩いて気比神宮を目指します。
越前国一宮、気比神宮。
と言うのは、帰ってきてからにわか勉強したもので、ほとんど予備知識なしでの参拝となりました。
境内に展示があり、敦賀に渤海使を迎える迎賓館が置かれていたこと。境内にある角鹿神社。つぬが、と読むその名前が、敦賀の名の由来であることなど。初めて知る事ばかり。
ちなみに角鹿神社の祭神は都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)様なのだそうです。読めない。無理だ。
(※駅前に銅像がありました)。
この神様は伽耶の王族だったともいうことで、日本海交易における国際都市だったのだなあ、とひとしきり納得しておりました。
歩いて駅まで戻り、滋賀の地ビールをお昼代わりに頂いた後。今度は南下を開始します。
これも乗ってみたかった特急しらさぎ。賤ヶ岳の戦いの賤ヶ岳、その至近を通って琵琶湖東岸を南下。
残念ながら、車窓から琵琶湖はほとんど見えませんでしたが、ともかくも乗り換え駅の米原へ到着です。
8月15日のこの時点で、かなり大きな台風が関東に近付いてきていて、すでにJRは16日の東海道新幹線の全線運休を発表していました。
そんなわけで、米原から素直に帰るか足を伸ばすかは、当日の状況を見て決めるつもりでいたのですが、どうやら天気も風も問題なさそう。
というわけで、米原で在来線に乗り換え。彦根城を見学することにしました。
言うまでもなく、有名どころのど真ん中な彦根城。
駅からは気軽に歩いていける距離。彦根市役所ののぼりがひこにゃんで一杯なのを眺めつつ。お城に入ります。
お城は入口近くに彦根城博物館があり、そこから天守に行くには、まあまあ坂を登ります。
昔の構造をそのまま残しているため、あえて不規則な石段で登りにくい坂。入口で杖を貸してくれるくらいの石段です。
まず先に、彦根城博物館の方を見学…… と思っていたんですが、ちょうどひこにゃんの登場タイムだったもので。折角の機会、生ひこにゃんを見ずにはおれぬ、と。観光客気分丸出しで見物してまいりました。観光客だからね。
しかしこの暑さで、中のひ…… ひこにゃんは大丈夫なのかな、と思っていたら、出番が30分から10分に短縮されておりました。
大丈夫ではなかった。お疲れ様ですほんとに……。
彦根城博物館、展示品も建物も、大変興味深いものばかり。
そもそも博物館そのものが、彦根城の表御殿を復元した建物なので。一日前に見た金沢城の二の丸復元と、色々と比べつつ見ておりました。
有名な「井伊の赤備え」。最低限のレギュレーションだけ決まっていて、そこを守ればあとは自由にしてよかったとかも面白かったですが、感じ入ったのは、井伊直弼が自ら作った茶器の数々、それに湖東焼きの消長についての展示でした。
名家名族の十四男に生まれ、養子の口にも恵まれず。
ついに表舞台に立ったと思えば、功績もさることながら、そのあまりな死に様で歴史に名を残してしまった、井伊直弼と言う人物のことを思うと。
チャカポンとして死ぬことと、大老井伊直弼として死ぬことと。どちらが無念だったのだろうな、などと。そんなことを思ったのでした。
同時期を生きた加賀藩主にして金沢城主、前田斉泰の人生を調べていると、色々なことを思います。まだ勉強が足りない。
さて、彦根城は天守が現存する珍しいお城。
石段をひいこら登って、中を見学。今現在城内を耐震工事していました。
天守の耐震工事を見る機会はなかなかない。琵琶湖一望の眺望を楽しみつつ。
ここも当然そうである、前近代的な梯子に、またしてもおっかなびっくりしつつ。
彦根城も存分に楽しんで。佐和山城跡の方も見たかったな…… と思いつつ。
四日にも及んだ旅行も、もうそろそろ終わり。
在来線で米原まで戻り、名古屋では、新幹線の乗り換え、と言うなかなか慣れない体験をしつつ。
最後は東京駅で自ら慰労したあと。四日ぶりの我が家へと帰りました、と言う次第でした。
おわりに
コロナ禍もあり地震もあり、ほんとに行っていいものか…… と逡巡しながら行った旅行ではありましたが。
普段とは全く違う事を考え、心配し、行動し、と。休みであることを別にしても、気詰まりを忘れる四日間でありました。
旅行に行ったら、また旅行に行きたくなった。
なんだか変な話のような気もしますけども。駈け足で巡った四日間、どこも軽く表面をなぞった程度でしたので。
ここまで長くなくとも良いので、短くとも深く。また旅行に行きたい。
そのためにも体力なり下勉強なり、きちんと整えないとなあ。と、そんな風に思った次第でした。
また行きたい。すぐにでも行きたい。
追記(お土産のこと)
直感で選んだお土産、皆さんにたいそう好評だったので追記。
金沢駅で購入した、高木屋さんの「紙ふうせん」。
丸い最中の中に、四角い寒天が入った、見た目にも可愛らしいお菓子です。
びっくりするくらい好評だったので、金沢に寄った折や、お取り寄せでもぜひぜひ。季節限定もありますよ。