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スヌーヌーの不思議な旅 10月5日 夜の旅 小町風伝を読み進める(レポート作成中)


みなさんこんばんは。笠木泉です。遅くなりましたが10月の不思議な旅の記録です。10月5日に横浜某所で開催されました。私がその後自分の演劇公演で超絶激烈に忙しくなってしまったため、まだレポートは書けていません。

参加してくださった冨田さんがレポートを書いてくださったので、こちらを掲載します。夜の旅も、雑談も含め盛り上がりました。

10月5日 夜の旅 参加者/笠木・冨田・荻野・能島・律子・井上・キムラ・田島・鈴木

冨田萌衣さんのレポート

10月の不思議な旅は、雨の日でした。
ロの字に並んだテーブルを囲んで、いつもより少しこじんまりと始まります。

今日のお題は「夏の思い出」でした。
この夏をみなさんがどのように過ごされていたのかを垣間見ることができました。
毎回恒例のこの時間は、とても不思議です。
みなさんお話しされている内容はもちろんとても面白いのですが、それよりもこの時間では、ほかでもないその人がそれを話しているということが、ものすごい引力を持って場にせまってきます。

目の前にいる誰かの声をただ聞くということが、こんなにも愉しいことなのだというこということに、いつも新鮮な驚きを覚えます。
話す人と、そしてそれに耳を傾ける場の魅力が存分に引き出される、大切な時間と感じています。

「小町風伝」を、今日はそれぞれ役を割り当てて読み合わせてみました。
みなさんそれぞれの役にたいする印象が声に乗り移ると、無色で茫漠としていた世界にぐっと色がついたようでした。人物と人物の近さとおさ、言葉の軽さ重さといった、ある空間とそこで生じる関係性を形づくるための要素が仮にでも留められていく様子を、面白く見つめていました。
仮ごしらえだとしても何かがたしかに立ち上がってゆく小さな会議室、ロの字型テーブル中央の空洞を見つめながら、場面、という概念がこの戯曲でやっとおぼろげに掴めたような、そんな気がしました。

今回読み合わせていて私は、「世代」という問題と『小町風伝』を照らし合わせて読んでみたらどうなるだろうか、と思いました(なんとなくですが)。

戯曲の中にある無数のずれを今回はとりわけ強く感じました。
そうしたずれを生み出すひとつ大きな要素が時間であり、世代とは時間が作り出すある種の場面ともいえそうです。

ずれがあるということは、その逆に全く噛み合っているような部分も存在するということであり、時間のずれによって場面を作り出す一つの装置のようにして世代は働いている気がします。

場面をあらゆる段階において重層的に作り続けるずれとしての、世代。
多様なみなさんが集うこの不思議な旅がさまざまな「世代」で構成されていることもふくめて、考えてみたいことだなあと思いました。



冨田さんが素晴らしいレポートを書いてくださいました。今、冨田さんの文章を読み直してみると、あの日、10月5日にみんなで「小町風伝」の登場人物になって科白を発した時間がとても濃密で楽しかったことを思い出しました。ひとりひとりが思いを馳せ、科白を口にし、わかったようで、わからないようだったけど、それでも、自分たちの身体に巡っているのが「わかった」という貴重な体験です。透明な科白が多いこの戯曲に、私たちの終着点はなさそう。見えないのだから。

私のレポートは後日…!そして12月の不思議な旅は、なんと、明日。がんばれ、カサギ!

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