スヌーヌーの不思議な旅vol.2 20240427 レポート/昼の旅
スヌーヌーの笠木泉です。
「スヌーヌーの不思議な旅」第二回目が4月27日、横浜市南区にあるスペース若葉町ウォーフで開催されました!若葉町ウォーフは劇作家・演出家である佐藤信さんが創作の拠点とされているアートセンターです。劇場・稽古場・宿泊施設も備わっていて、クリエイションを支え生み出すエネルギーが詰まった場所。今後この勉強会は若葉町ウォーフさんを起点にして開催していく予定です。横浜、黄金町。わたしの大好きなエリア。街に溶け込み羽ばたくこのアートスペースで学びを作っていくことに大きな希望を見出しています。いつか皆で横浜の下町を歩いたり、「ジャックアンドベティ」で映画を見たり、イセサキモールでご飯を食べたりもしたいですねなんて考えつつ。
X アカウント 若葉町ウォーフ
まずは第二回、そのレポートをここにアーカイブします。
(6月2日更新 清水建志さんのレポートをアップしました!)
雑談は映画の話を
昼の旅 4月26日14時から17時
参加者13人
笠木泉、中山侑子さん、藤谷みきさん、高久瑛理子さん、長井健一さん、吉森雄作さん、川田希さん、櫻井成美さん、宮崎明音さん、赤羽健太郎さん、清水建志さん、踊り子ありさん、加藤じゅんこさん
前回の反省を踏まえ、写真撮影などはお手伝いをしてくれる踊り子ありさんと加藤じゅんこさんお二人にお任せしました。
事前に課題図書と雑談のテーマを告知しておきました。雑談テーマは「映画、この一本」。好きな映画、嫌いな映画、思い入れのある映画、ちょっとよくわからない映画、なんでも結構ですとお願いしました。
その映画をなぜ選んだか、どういう気持ちで見ていたか、そんな思いは話しながら言葉になってはじめて自分でも理解するというような感覚。言葉に表出し、思い出の反芻し、改めて考える。そしてそれをゆるくシェアする。時間の制約もあるので「一人3分程度」と考えていたのですが、大切なのは皆さんのお話の内容ではなく、言葉を発する我々の体をおのおのが感じること、そしてその感覚の乗っかった時間を全員で共有しながら考えることだ思ったので、敢えて制限なくひとりひとりに喋っていただきました。
「コロナ禍でメンタルが弱っている時に何度も見た、この映画しか見ることができなかった(クレヨンしんちゃん)」「全然伏線回収しなくて清々しい(メジャーリーグ)」「優しい気持ちになれた」「もはや何の映画かわからないのですが、僕の説明で映画のタイトルがわかる人はいるでしょうか?(→???)」「とにかく見てほしい、もう言葉では説明できない!(KUBO)」
……等々、それぞれ盛り上がる盛り上がる!私自身、見ていない映画が多くて(アニメ映画はほとんど見ていないのです)、みなさんの紹介を聞くだけで心が躍りました。またここで「ポケモンが96年生まれで、自分と同い年なんです」というお話から、私は95年に起きた地下鉄サリン事件のことを思い出しました。当時大学生だった私にとって(またはあの日々を生きたすべての人にとって)95年は大きな衝撃で、あの日々を経験した我々は今もなおその重い衝撃を思い出し、考え、傷を癒やしながら生きているようにも思います。95年以降ももちろんさまざまな角度からの衝撃を超えて進まなければならなかったこと、これからの社会もきっとそうであることについて考えたり。さらに、95年以降に生まれこの不確かで不穏な時代を若い力で生き抜いてきたみなさん、すなわち私よりも全然若いみなさんの言葉を純粋に聞いてみたいとも思いました。
ともあれ、オモシロプレゼン続出。それぞれの映画についてのクロストークが始まったり、脱線したりと豊かな時間でありました。
昼の旅で紹介された映画たち
「チャリング・クロス街84番地」デビッド・バーンズ
「KUBO 二本の弦の秘密」トラヴィス・ナイト
「ライフ・イズ・ビューティフル」ロベルト・ベニーニ
「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」ラッセ・ハルストレム
「あなたの顔の前に」ホン・サンス
「百花」川村元気
昔池袋で見た寺山修司特集の最後に上映された寺山修司の映画ではない映画→なんというタイトルかもわからない!
「パンチライン」デビット・セルツァー
「ジャンク・ヘッド」堀貴秀
「メジャーリーグ」デヴィッド・S・ウォード
「オッペンハイマー」クリスファー・ノーラン
いよいよ「オイディプス王」へ
休憩を挟んでいよいよ「オイディプス王」の輪読です。光文社古典新訳文庫「オイディプス王」(ソポクレス・河合祥一郎訳)をテキストとして、読み込んでいきます。
その前に、と、この戯曲についての説明を少しだけさせていただきました。
「オイディプス王」は紀元前429年に詩人・劇作家ソポクレスが書いた戯曲です。
都市国家テーバイの王であるオイディプスは不作と疫病の禍の中にあった国を救うために神の信託を乞いましたが、それは「先王ライオスを殺した犯人を罰せよ」というものでした。やがて「オイディプスが自分の父親(ライオス)を殺害し、己の母と結婚し子供を授かった」という衝撃の事実が明るみになり、自身も知らなかった深き罪を激しく呪ったオイディプスは自ら目を潰し、王位を去ります。
…簡単なあらすじはこのような感じでしょうか。この「オイディプス王」は古代ギリシャ演劇の最高傑作と呼ばれており、また心理学・精神医学の権威であるジークムント・フロイトが提唱した概念「エディプス(=オイディプス)・コンプレックス」の語源になったと言われています。
(エディプス・コンプレックスとは/母親に対して愛情を持って手中に収めたいあまりに父親に対して強大な対抗心を持つ子供の心理状態のこと)
なぜ私がこの作品を課題図書に選んだのかというと、ズバリ「一回も読んでいない」からです。興味はあってずっと読んでみたかったけれど難解そうだしと手に取ることを躊躇していた作品でした。勉強会を開催するにあたりここはやっぱり傑作に触れたいし一から学びたいと考えていたので、素直にド王道の門をドアノックしようかと選んだわけです。まあ、難しかったらみんなで悩めばいいかと言う気楽な気持ちもありますし、我々メンバーの読解がどこか遠くに飛んでいってしまうものになったとしてもそれはそれでいいのではないでしょうか。
まず参加者みんなで戯曲を読むにあたりここに書いたような話をしました。さあ、輪読の開始です!
戯曲を読む
登場人物、物語がはじまるいきさつから読み始めました。そして【プロロゴス(序)】に入ります。コロス登場前、オイディプス王と神官が話す場面。
神官は必死になって偉大なオイディプス王にこの国の苦難を救って欲しいと懇願します。オイディプスももちろんこの苦悩を承知しています。自分も辛いと告白します。
オイディプスは自分の妻であるイオカステの弟のクレオンをデルポイの太陽神アポロンの神殿に遣わし、このこの国をどうすればいいか聞いてこいと指示済み。やがてクレオンが帰ってきて、アポロンの神託を伝えます。
ライオス王が誰かに殺されたのだが、その際に仇を打つような状態ではなかったので有耶無耶になってしまっていると判明すると、オイディプスはその犯人を見つけ出そうと心に誓います。
ライオス王殺害の犯人を見つけ出し、「穢れ」を取り除き、この国の安寧を取り戻すことを誓います。
ここで気になった「アポロンの神託」の意味
一度、ここでディスカッション。皆それぞれがこのシーンについて思ったことを話し出しました。
まず気になったのは登場人物の関係性。ギリシャ神話はとにかく登場人物多いしわかりづらい。「ゼウス」が全知全能の神だったことは知っていてもあとはぼんやり…なんて話にもなりました。ここで参加者の赤羽健太郎さんが作ってきてくださった「人物相関図」が!わーと歓声があがりました。これだよこれ! とばかりに皆で群がってこの図を読み解きます。
なるほどなるほどと皆でその複雑な人間関係を理解していきます。なにせオイディプスは自分の父を殺しているのにも関わらずそれを忘れています。「会ったことはないが」とまで言っています。おい、どうなってるんだよ。しかも忘れているとはいえ、自分の産みの母であるイオカステを妃にとるのですから、これは大変なことですよ。ちょっとちょっとどうなってんのオイディプスとツッコミが。全員爆笑。と、かなりラフにオイディプスの不幸に踏み込んでいく我々。
そしてここで皆が問題視したのは「神託」。「アポロンの神託」とありますが、そもそも「神託」とは何なのか、どれほどの力を持って人を支配するのか、そもそも「アポロン」とは。「アポロン」は赤羽さん作成の図からもわかるように、「太陽神」です。
このように、当時のギリシア人の生活と運命は全て「神託」によって決定されていたであろうと思われます。その神託はいったい誰の言葉なのでしょうか。それは「預言者」です。「巫女」です。トランス状態になっているであろう彼らからその言葉は発せられ、それが国全ての命運を決定づけます。それでいいのか、それしかなかった、その時代に、紀元前の生活に、飢饉と飢餓と争いが跋扈していた時代に、寄る辺なき人々の指針にならざるを得ない、頼る者は神のみだったのではないか、その時間を想像できます。現代の日本に寄せての意見や、宗教の力についてそれぞれ発言があり、どんどん話が展開していきます。
またイオカステの弟クレオンは、先王のライオス王が殺された際に犯人探しまで手が回らなかった理由が「スフィンクスの謎かけ」と言っています。これのせいで、もう「犯人探しはどうでもいいや!」となってしまったと。ここで「スフィンクス」の存在について議論が湧き上がりました。あいつ一体なんなんだ、と。
戯曲の言葉として「それどころではなくなってしまったのです」というのはとても曖昧模糊な表現でぼんやりしていて面白いなと私は感じます。いきなり適当になっちゃったクレオン。そこに劇性が出現したというか。
とにもかくにもスフィンクス。もちろんエジプトカイロの砂漠入口に悠然と座るあの姿であることは誰もが知っています。しかしなぜ彼(どうやら彼女であるらしい)は半身人間なのか、そして半身がライオンであるのか、なぜなぞなぞを出すのかーー言われてみればそのことについて今まで疑問に思ったことなど一度もありませんでした…。皆でスマホで文献や情報を調べつつ、神話のひとつひとつを攻略してきます。「もうこうなったらwikiに頼ろう!」と言いながらの、それでも神話のほんの断片に手をかけていく時間。我々の方法で「オイディプス王」を読み解き始めているという感覚。そして途方もなく時間がかかることの確信。…贅沢です。私たちはひたすらスフィンクスの意味について語り、盛り上がり、時間は尽きてしまう。そういうことになるのでした。
そのあとの章、【パドロス(コロスの入場歌)】を一度読み、ここで時間になりました。次回はまた【パドロス】から輪読し、皆で「神託」の謎と、「神話」について、オイディプスの運命について、そしてスフィンクスのきまぐれについて、さらに学んでいきたいと思います。
参加メンバー高久瑛理子さんのレポート
…高久さん、丁寧なレポートをありがとうございました!
(6月2日追記)
そして清水建志さんからもレポートが届きました!ありがとうございます。読み応えあり!みなさんがどのように感じて参加してくださっているのかわかって、私も本当に嬉しく思います。
参加メンバー清水建志さんのレポート
私もみなさんのおかげで「より素直な感覚で」読むことができたように思います。だってあんなに笑いながらオイディプス王を読むことになるなんて、ちょっと想像していなかったし。とても楽しい時間でした。これからも脱線しまくりながら皆で読み進めていきましょう!
次回は5月25日。それまで本を開かず温存してもよし、読み込んでもよし。オイディプス王を声に出してその気持ちを押しはかるもよし、つっこみを入れるのもよし。それぞれの旅の時間。永遠に近い、勉強の時間。
そして我々の昼の旅は、はじまったばかりです。
(文:笠木泉)