日本は科学に基づく判断をしてこなかった
新型コロナが証明した日本の実態
その32020年初めから徐々に世界中で騒ぎが大きくなった新型コロナ感染。
右往左往する中で専門家や政治家たちの言っていたことを、しばらく後に答え合わせをして私にも見えてきたものがいくつかある。
ずっと前から日本の状況でモヤモヤと疑っていたことが、新型コロナ感染を通して明らかになってきたという方がわかりやすい。
それを遠慮なく4項目の箇条書きにしよう。
1 日本の民主主義は幻だった
2 日本の官僚は優秀ではなかった
3 日本は科学に基づく判断をしてこなかった
4 日本はすでに先進国ではなかった
国の対応は危機感なし
この1年以上に渡る新型コロナウィルスによる感染お拡大で日本の国としての対応をマジマジと見てきた。前首相のアベさんからスガさんまで。
島国の日本が簡単に考えれば済むことを放棄して、なし崩し的に何もかも世界中から受け入れていたとしか思えない。
素人でもわかること。
さっさと、外国からの入国を止めれば良いこと。
でも、これができない。
そんな簡単なことではない、と国は理由を挙げ連ねる。
私のような者は、物事をできるだけ簡素に理解しようとする。
しかし国は外国の政治レベルでの在り方を見守って、できない理由をあげるのが得意だ。
いつ右へ倣えで支持するタイミングを他国に委ねている。
もちろん、国としての政治判断が温いことが全てではあるが、どこに判断基準があって決定したのか見えない。
他国への対面ばかりが私には見えた。
日本という国は肝心な時の判断基準が科学に基づくものはないようだ。
私は科学の専門家でなないために細かなところは何も証明できない。
しかし、感染の拡大を防ぐために何が必要かは案外簡単に判断ができそうだ。
そこに専門家でない自分が考える策などあるだろうか。
科学に基づいた提言を並べて、これが正しい(有効だ)という選択肢がいくつかあれば、その中から自分が信じる根拠を元に選ぶしかない。
国民が窮地に落ちることを防ぐ対策は何かを考えればよいだけ。
他国がどう反応するかを恐れることはない。自分の選択が結果として間違っていれば、「ごめんなさい、間違っていました」で良いではないか。
何を根拠にしたかが大切で、諸外国が判断したと同じように科学的根拠を大切にすれば良い。
しかし、日本はそうではなかった。
新型コロナからの感染予防に国内へ入口を徹底的に塞ぐこともせず、濃厚接触者という定義を設けてその人たちの中から陽性者を探し出すことばかりが日本では正しいこととして選択された。市中に感染が広がっていることは決して認めなかった。
広範囲に検査をして無症状者のかなからも陽性者を見つけるのは一部の専門家によって「意味がない」というような進言があったようだ。
きっとそこからおかしくなった。
素人でもわかること
素人でもわかることがある。
外国からの入国を徹底して拒否し、国内の感染者を探し出すことだ。
その感染者を囲い込んで他との接触を断つ。
その上で、陰性者が日々の活動で経済を回すことだ。
こんな簡単なことができない。
それには徹底した検査が必要だが、そんな検査は現実的でないという。
アベノマスクに使う400億円があれば、検査を行うための機器や人員をどれだけ確保できたことだろうと私には簡単に判断できる。
すると、囲い込む場所がないという。
中国が当初、新型コロナ患者を収容するためのプレハブ大規模隔離施設を建設したことを多くの日本人はどんな目で見ていただろう。もしかすると批判的に見ていたのではないだろうか。
私は素人だからか、今となってはそれこそが最も効率的で正解だったとしか思えない。
きっとこれからでもやろうと思えばできるはずだが。
未だに東京ではPCR他検査数は1日に2万人程度ようだ。(8月14日での1週間平均での1日あたりの新規陽性者4231人で陽性率24%と東京都のHPにある)
この検査数が限度なら、1日の陽性者が2万人を超えることはあるまい。
私などは、どうすれば日本人の全員が毎日検査できるかを考える方が感染予防になると考える。
それはあまりに無謀だという人はたくさんいるだろうが、どうすればできるかを考えるのが国の役目ではないのか。
できない理由が科学的ではなく、物量的であるだけならそんなに難しいことではないと思える。
理想をいえば、毎日夜にの検体を提出する。
翌日の朝には結果がわかる。
陽性だった人は先ずその日の外出を禁止する。
同居家族の有無によって隔離施設に移動する。
2週間様子を見る。
では1日に1億人検査するにはどうすればよいかを考える。
もしも、1日に1千万人が限度なら、そのキャパに応じた最善策はなにかを考える。
どちらにしても検査数を徹底的に増やすことを正しいと考えるかどうかだ。
大切なのは正しい科学に基づく対応だ。
日本の科学はどこにいるのか
東日本大震災で津波被害を受け、福島原発が制御不能になった。
その後大規模の事故派発生はかろうじて回避したにもかかわらず、廃炉にすることさへも数々の暗礁に乗り上げている。
あとあと明らかにされたのは科学的に津波の大きさは相当の規模になると言われていた。何メートルになるとされていたかを私は忘れたが、今回の規模同等のものは予測されていた。
にもかかわらず、それを政府も東電も無視して何の対策も取らなかった。安全神話だけが大切だった。
発電コストとしては最も安上がりだとの宣伝だったはずが、とんでもない付けがいつまでも続いていくことは多くの日本人は知らないままだったのではないかと思う。核のゴミを受け入れる場所も今後確保できないに違いない。東京のための福島原発だったのだから、そのゴミも東京で何百年も保管するのが筋だと私は思うのだが、それが嫌なら造るべきではなかった。
そんな原発の例をあげて、同じくコロナのことを考えると、日本という国は科学に基づく可否を何も受け入れないまま政治と一部の利権者の都合だけで進んできたとしか思えない。
脱炭素という名目を受け入れるためにも、日本の政治は原発を稼働することが前提のようだ。
果たして日本ほど再生可能エネルギーに力を入れてこなかった「先進国」があるだろうか。
10年単位で取り組むべきことを結局はなにも手を付けてこなかった。
60歳を過ぎた政治家がさも国の未来のためなどといいながら、実際は自分の都合で語っている。
20年後にどんな未来でありたいかを彼らは真剣に語らない。
私の結論は若者に決めさせたほうが良いということ。
彼らが決めた未来は、若者が責任を持って運営すべきだ。
年寄りなど口を挟むべきでない。
私は絶対に原発などあるべきではなく即刻に廃炉にすべきだと考えているが、だからこそ原発が必要かどうか若者に聞いてみるが良い。
彼らが20年後も必要とするなら進めれば良い。その未来は責任も含めて彼らのものだから。
20年後に生きているかどうかわからない老人の都合を優先する未来と、同じく20年後に生きていて更にその向こうを創る人たちの未来と、どちらを重視するかを間違ってはいけない。
私は60歳を過ぎた年寄としてそうあってほしいと考える。
もしも若者がそれを拒否し年寄の判断に任せるのだとしたら、後になって恨み言は言わないことだ。
科学に基づく判断を無視してはいけない。
この世の中になって、科学は必ず未来の判断を手助けする。
世界の各国が原発から離れた次の世界へ舵を切っているにもかかわらず、未だにそこにしがみつく現日本政府は何を大切にしたいのか私たちはしっかりと見抜く必要がある。
彼らが欲しいのは日本の安全な未来ではなく、彼らが掴んだ利権を手放さないですむ未来。
老いては子に従え
地球上の世界の国々とどうやって共存していくか。
今回の東京オリンピックで世界の価値観と日本人の内包する差別意識がかなりかけ離れていることが明らかになった。しかもその差別意識は年寄ほど顕著なのは仕方ない。何しろ自分の価値観を疑わないのが年寄りなのだから、当然にアップデートなどできない。
しかしそれは責める対象ではない。
新しく科学で証明されたことも彼ら年寄りにはあまり意味を持たない。
静かに表舞台から引いてもらって、一歩下がったところから新しい価値観を見てもらうしかない。「今の若いやつは…」という言葉が出れば、甘んじて受け流そう。
年寄りの私が言うのだから的は外してないはずだ。
過去のことわざに「老いては子に従え」というのがある。
これは次の世代には新しい価値観で新しい未来を創ることを勧めて、古い価値観をゴリ押しするなと言うことだと私は考えている。
20~30年経てば価値観も大きく変わる。
前の世代には簡単に受け入れられない。
パソコンですら一般的でなかったのが、今ではスマホが当たり前の時代。
そんなものだ。
どちらが正しいかではなく、20~30年後に現役でいる人に任せるべきだと私は思う。新しい世界と接し新しい世界を創るのは彼らしかいない。
結果責任は彼らにあるのだから。
現在で大切なのは過去の経験ではなく、状況を科学的に理解してその提言に基づいた判断を下すべきだということ。
過去の経験は参考にはなっても何の当てにもならないことを認めよう。
判断する根拠をどこに求めるかは、かなり前から新しい時代に移っている。
それを認めたくないのが今もなお日本の政治のお偉方のように見える。
若者は年寄りの言うことを聞かない方が良い。
そのかわり若者が自分で責任を持って国創りをすべきだ、と私は考える。
若者にはやり直すチャンスがあるのだから。
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