初投稿
皆さん、こんにちは。
私は株式会社エス・エヌ・テー 取締役 篠田朋香と申します。
私は、今愛知県名古屋市中区にある
古紙リサイクル業 株式会社エス・エヌ・テーの取締役を務めております。
エス・エヌ・テーの後継者です。
現在は、父が代表取締役社長を務めており、今年で創業106年です。
今日、初投稿ということになりましたが
今日は、私の大好きなおじいさんの命日であります。
え?なぜにおじいさんの命日?というのは、エス・エヌ・テーに入ったきっかけが、先代の私のおじいさんの存在があるからです。
家業に入った理由は、色々ありますが
覚悟を決めたことと決定打になったのは、「おじいさんがやってきたことを
絶やさない」でありました。
私の今までの人生は、両親はもちろん
祖父母の存在は、なくては話にならないほど影響がありまくり。(笑)
冒頭の写真は、私が演じて、歌っているときです。
自己紹介にあったように、私は音楽大学でミュージカルを勉強し、
卒業後も、舞台の業界にいました。
これは、おばあさんの存在のおかげです。
私のおばあさんは日本舞踊を習い、プロではないですが踊っておりました。
私は、2歳の頃からおばあさんと共にお稽古に行くようになっていました。
なので、私の初舞台は2歳か3歳。歌舞伎役者の子のようですな。
しかし、私は日本舞踊が好きではありませんでした。
6歳、来年から小学校1年になるタイミングで、日本舞踊を辞めることになり、私は嬉しくて、嬉しくて。
年長さんの夏に、最後の舞台として名古屋で有名な当時の御園座で
『羽根の禿』という演目でセンターを務めました。これは、アイドルみたい。今思うとすごいことでした。恐ろしい。(笑)
最後、舞台からはける時(いなくなる時)、花道を通った時の
拍手喝采は、快感?感覚があり、忘れられずにいました。
そして、ミュージカルを学びたいと思わせたきっかけに出会った時
この感覚が、フィードバックしたのです。これは、追ってお話をします。
おばあさん、おじいさんの存在が、今の私を作ってくれていることが、改めて感じてます。
音大出てからの舞台出等は、両親、おばあさんはすごく応援してくれてました。ありがたいです。
こんな私がなぜミュージカルを学び、今家業に入っているのか。
私の頭の中の整理と、これをきっかけに今後のなにか考えるきっかけとなってもっらえたらと思います。
初投稿は、大好きなおじいさんの30回目の命日。
よろしくお願いします。