「辞めたい」と思うとき。「逃げたい」と思うとき。
【前書き】
こんにちは。
つい先日、適応障害を発症し
会社を辞めたわたしですが、
会社員生活をしている間も
わたしは適度に「サボって」ました。
会社員時代、
「サボる」ということについて
書いた日記を、noteにも
残しておこうと思います。
学校も家事も会社も恋人も家族も
なんでも、「やめたい」という
すべての気持ちに
以下の言葉たちを捧げます。
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【ここから本文】
先日、会社をサボった。
正確に言えば、有休を使用したので
サボってはいないのだが。
(単に有給休暇を消化しただけ)
とにかくわたしは、
「サボってやる!」という気持ちで
会社を休んだのだ。
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「ここに居たくないな」
人生で何度思ったか知れない。
生来わたしは組織に属すのが
あまり得意ではなかった。
小学校中学校と、
学校が好きだ!と思えた時期はないし、
体育祭や文化祭も苦手だった。
一致団結、和気藹々。
そういった、学校が当たり前に目指す
独特の一体感や空気が、
わたしには息苦しかった。
みんなと同じ温度になれないというより
みんなと同じ温度に混ざり合うのが
すごく、嫌だった。
高校生のとき、
はじめて学校を「サボった」。
頭が痛いから帰るだとか
適当な言い訳をして、
平日の午前10時過ぎ、
わたしはみんなのいる学舎を横目に
てくてくと帰路についた。
てくてく。
自分の足音に耳を澄ます。
このときの足音といったら、
決して「とぼとぼ」なんかじゃない。
もっともっと、高揚した足音だ。
ザッザッ。
アスファルトとローファーが擦れる音。
たったそれだけの音が、
初夏の風が、
見えるはずのない空気が、
どこまでも澄みきった極彩色だった。
空気が、音が、毎日の通学路が、
確実に色を持って目の前にあった。
わたしは、わたしだけの温度で、
世界を感じていたのだ。
学校をサボったら、
世界が輝いてみえた。
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「無理しないで」とか
「逃げていいよ」とか
そういった類いの言葉は
世の中にたくさん溢れている。
それでも、
無理をしてしまうひとがいる。
逃げ出せないひとがいる。
「無理をしない」ことも
「逃げる」ことも
それなりに労力と勇気がいるのだ。
そう易々と出来ることではない。
未来のことをあれこれ悩んでしまうのは
無意味なんかじゃない、と
わたしは考えている。
「大事なのは今だよ」
「悩んでても変わらないよ」
全部分かってる。分かってるんだ。
分かった上で悩んでるんだ。
今はそれでいいと思うんだよ。
大事なものが分からなくなってるひと。
忙しいひと。
疲れているひと。
「ここではないどこかへ行きたい」と
願っているひと。
何も変わらないかもしれない。
無駄かもしれない。
でも、サボっちゃおうよ。
嫌なこと、つらいことから
目を背けられないような
中途半端な責任感、
引き摺ってたっていいよ。
なんにもできなくていいよ。
なんにも生まなくたっていいから。
ただ、立ち止まって、
一旦全部投げ出したっていいんだ。
仕事だって、学校だって、
家だってなんだって
一旦「サボって」いいんだよ。
そのあとはあなた次第の続きを探そう。
ゆっくりでも見付けられるから。
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先日、会社をサボったとき、
わたしはファミレスに行って
ドリンクバーでたくさん飲んだ。
大好きな大学の先生たちに会いに行った。
夜はラーメンを食べた。
ドリンクバーと席の往復からも、
大学の先生からも、
ラーメンとミニ唐揚げのセットからも、
「明日から頑張ろう」なんて
気持ちをもらえた訳じゃない。
それでも、
ドリンクバーは楽しかった。
大学の先生は優しかった。
ラーメンとミニ唐揚げは
お腹がいっぱいになった。
それだけでいい。
それだけでいい。
わたしはその日を、
会社で過ごす普段よりも、
少し好きになれた。
それだけでいいんだ。
それだけでいいよ。