④あなたに愛されたかった
どこで間違えたんだろう
小学校四年生になって、僕たちは新しいおうちに引っ越した。新築の良い匂いがして、初めて出来た自分の部屋に感動して。ここから新しい毎日が始まるんだってわくわくした。自分まで生まれ変わったみたいだった。
でも実際に生まれ変わった自分は、今までの自分とはかけ離れていることをまだ知らない僕だった。
一番最初は母と買い物に行ったときのこと。本屋さんで本を見てたんだ。気づいたらママは僕の知らない男の人と会話してて、なんか楽しそうに笑ってるの。なぜかそのまま一緒にミスド買いに行って、公園でお花見してた。そこで体調が悪くなって、ずっと吐きそうなのを我慢しながら公園までの坂道を歩いてた。ママは気づいて気を遣ってくれてたんだけど、僕は昔から自分の体調が悪いことを人に伝えるのが苦手で、大丈夫って無理して過ごしてた。バレーを習い始めたばっかの時、おなか壊して、それすらママに言えなくて、紙におなか壊したらバレーいけなくなる?って書いて見せたこともあったな。なんでこんなことまで覚えてるんだろ。
これを書いてて思ったけど、本屋さんで会ったのも、もしかしたら偶然じゃなかったりするのかな。そうなるようにママたちによって仕組まれてたんだとしたら、これから起こることはもう僕には抗うことのできない出来事だったってこと。どうしようもないのにみっともなく過去の自分を見つめてる。いい加減大人にならないとと思う。
公園でお花見をした日から、その男の人と定期的に遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったりするようになった。お兄ちゃんって呼んでって言ってくるその人は、ママと同じ高校教員だった。人間が大好きな僕は男をお兄ちゃんと呼んで慕い、お兄ちゃんと過ごす時間を好きになった。
お兄ちゃんが家に住み始めたのはいつからだろう。たまに泊まりに来てたのが、いつの間にか帰る家になっちゃったのかな。もうその辺はあんまり覚えてないんだけど、びっくりするぐらい自然にお兄ちゃんは僕たちの家に住むようになった。
お兄ちゃんが家に居るのが当たり前になってから、僕とお姉ちゃんの家で過ごすときのルールが増えた。
・22時までには自分の部屋に行って眠ること
・ご飯は絶対に残さないこと
・ごめんなさいとありがとうはちゃんと言うこと エトセトラ
たくさんあったルールもほとんど忘れちゃったな。覚えてるのはこのぐらいだけど、僕には難しいことだった。小学生のときから寝るのが12時になることも割とあって、やりたいことがたくさんあるのに22時には自分の部屋にいなきゃいけないことは苦しかったし、ご飯も好き嫌いが当時は多くて、食べれないものがたくさんあった。
どうしても飲み込めなくて、口に詰め込んだままトイレとか自分の部屋に行って口の中吐き出したり、こっそり捨てようとしたり。けどそれがばれちゃってお兄ちゃんにめちゃくちゃ怒られたなぁ、、。そこで困るのが、三つ目の「ごめんなさいとありがとうはちゃんと言うこと」僕にはこれが一番難しかった。怒られてるとき、「こういうときなんて言えばいいんだっけ」って聞かれても何が正しいのかわかんなくて。
ごめんなさいって言おうと思っても涙が出るばっかりで口は一つも動いてくれなくて、言わなきゃってわかってるのに、「泣いてばっかりいても仕方がないでしょ、何か喋りなさい」って何度も何度も言われてきた。
理由を話そうと思っても、これ言ってもこうやって反論されるだけだなって思ったら何も言えなくなっちゃって。なんでだろうね。物心つく頃にはそうだったから覚えてないけど、ずっと自分の意見否定されて育ったのかな。それともこれは僕の生まれ持った性格なのかな。
そんなことを繰り返してたら、お兄ちゃんに嫌われるのにそう時間はかからなかった。
僕の絶望の始まり。