いきかたのはなし。
ちいさいころはたいていのことがゆるされる。たとえば、おうちのかべにらくがきをした、とか。おもちゃをこわしてしまった、とか。あとはそうだな、となりのいえのひとのくるまに石をなげてもゆるされた。たった一言のおまじないで。それは、
「ごめんなさい」
だ。なぜかわからないがそれでゆるされた。
大人になって思ったのは
自分より上の人間がこどもだと非常に面倒。
子どもの頃から自分はカースト下位の人間だった。顔面偏差値が高いわけでも、成績がいいわけでもなく、かといってこれといった特技はなかった。そのため、「ぼく」が近くにいると少しでも取り柄のある人間は「自分はあなたより優れている」ということをアピールするために(正直真意はわからないが)、所謂『いじめ』という行動に出る。
「ぼく」は彼等のとった行動で精神的にも肉体的にも苦しくなり、泣き、助けを求める。学校であれば教師に。職場であれば上司に。だが、カースト下位の人間の言うことなど、上の人間は聞いてはくれない。寧ろ、「興味がない」と言った方が正しいだろうか。なぜ助けてくれないのだろう、と幼いころは考えた。だがしかし今はなんとなくわかる。それは
カースト上位と仲良くしていたほうが自分にとっての利益がある
からだ。今現在はなかったとしても、将来的に
「あなたのおかげで成長できました!」
「あなたのおかげで出世できました!」
「今の自分があるのはあなたのおかげです!」
などと言われるとどうだろう。そうか、「自分は凄い逸材を育成したのだ」と思うだろう。簡単に言えば、優越感に浸りたいのではないか?
そう察してしまった自分は慕っていた教師も、両親も信じることができなくなった。
大人になると「ごめんなさい」ですまないことが多い。魔法が使えるのは子供のころだけだ。
大抵の大人はこういうだろう。
ごめんなさいですんだら警察はいらないんだよ
と。
器物損害、損害賠償。この文の初めに書いたものを大人になってからやるとそうなるのが現実。
長々と書きましたが率直に言うと