教えに反してる!(正しさと法治主義について)
この件について。
まず最初に絶対に確実な事実を述べますと、
この事件について裁判官以上に事実関係を詳細に検討した人はいない
ということです……検察官や弁護士はあり得るか。
でも、少なくともSNSで跳梁跋扈する「正義の味方」が裁判官以上に事実を知っていることはあり得ない。
(https://x.com/mizuno_ryo_law/status/1870149253185863896より引用)
つまりこの場合、裁判官にはなにか無罪にする理由があった、ということなんですよ。
外部者が判決の結果や断片的な報道だけでは知りえないなにかが。
こういう「自分の観測範囲は狭く、世界は広く複雑であり、自分が知りえないことがある」というある種の謙虚な姿勢を持つべきだと僕は思っています。
もちろんそれを踏まえた上で、知ろうとすること、そしてその上で批判することは何の問題も無い……というか素晴らしいことです。
しかし少なくとも、自分が知らない、認識できていないことがあることに想いを馳せないのはあまりに近視眼的と言うか視野狭窄でしょう。
この意識を持っていないと、自分の思いに反する何か「理不尽なこと」が起きたときに、容易く自分にとって整合性のある物語にからめとられる。
陰謀論とかもそうですよね。
とはいえ、こんなこと言っても、「正義の味方」さんには全然届かないでしょうけど。
というか、こういう風に考える人は正義の味方にはならないか。
自分の正義を一途に信じぬく炎のような情熱があるからこそ、正義の味方になるんですよね。
そして、正義の名のもとに法で裁けぬ悪党を吊し上げるわけです。
まあ、
その吊し上げ行為は違法ではないか?
と言う気もしますけど、それはそれとして。
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自分の意に沿わない判決を書いた裁判官を吊し上げたり、民意で判決を変えようとするという行為は、端的に言って法治主義の否定です。
(https://x.com/dokushoa/status/1870386035668185274より引用)
それに、次に吊し上げられるのは自分の身内かもしれないわけです。
正義の熱狂の矛先は誰にでも向き得る。
でも、この手の「正義の味方」の皆さんは、こういうでしょう。
「正しい」判決を書けばいいだけだ。
今回のこれは「正しい」判決じゃないから批判してる。
法治主義の否定ではない。
自分や自分の身内は「正しい」からそんなことにはならない。
過去のNOTEで何度も書いた通り、この手の人たちにとっては世界は二分化されています。
正しいと間違い。
正義と悪。
正確には
「正義の/正しい自分達」と「悪い/間違っている自分達以外」
かな。
あくまで正しいのは自分達。
個人的にはこの「正義」の根拠を是非知りたいのですが、今のところ見たことはありません。
あるなら教えてほしい。
でも、まあ仮にそういう「正しい」があるとしたら、裁判も選挙も要らないと思うんですよね。
だって、「正しい」が明白ならば、グダグダと事実認定なんてする必要はないわけですよ。
「正しい」方を勝訴にして、「悪い」奴を罰すればいい。
民意が正しいならそもそも裁判する必要はない。
「正しい」側が明白なら、選挙も不要です。
「正しい」勢力に権力を賦与すればいい。
「正しい」人が明白なら人権概念だって要りませんよ。
「正しくない」人の人権なんて守る必要ありますか?
でも、そう言うのはヤバすぎるでしょ。
この世の中に絶対に「正しい」なんてものはないから、人は長い歴史の中で法治主義、民主主義、人権意識を涵養してきたと思うんですよね。
とはいえ、こういう「正しい」を奉ずる国は既にいくつか存在しています。
指導部・指導者への批判を許さない独裁国家
とか
単一の宗教的規範に従う宗教国家
それがこの「正しい」国の完成形でしょうね。
僕はそう言う国はちょっと遠慮しておきたい。
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この件の推移に関する参考NOTE
ありがとうございます。
https://note.com/merumeru99/n/ncb341d5442e0