なにズレたこと言ってんだよ(人助けと感謝について)
女性へのAEDの問題で、訴訟されることはない!されても有罪になることはありえない!という人と、訴訟されること自体が負担だ!動画とかで晒されて私刑されたら終わり!という人が争ってます。
この話題は定期的に生じますね。
(https://x.com/merumeru99/status/1877284993694613523より引用)
個人的にはこの話題は二つの論点に分けれると思ってます。
①人助けはやって当然の事ではない
②助ける側にも自由がある
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①について。
そもそもAEDを使うのに限らず
人助けって、それ自体が賞賛されるべき行い
なんですよ。やって当然の事ではないです。
ここを勘違いしている人は多い。
見知らぬ人のために、何の見返りも無く自分の時間やリソースを割く。
これ、当たり前のことではないです。
だって、まず面倒ですよね。単純に。
誰かの手助けをしても特にリターンは無い。自分が少しいい気分になる位でしょう。
それに、もしなにか人助けしてる時にトラブルとかあったら責任が生じます。
……まあ法的責任までは無くても気まずい気分にはなります。
例えば、道案内とかして道を間違ったら気まずいでしょ。
荷物持ってあげて落っことしたりとかしたら、文句言われるかもしれませんしね。
それを考えれば、手助けなんてしないというのは最適解の一つです。
それでもなお手助けするのは、どんなものであっても賞賛されるべき行いです。
無償の手助けをする心根は善だと思います。
繰り返しますが、人助けは些細なことでもそれ自体が素晴らしい善行です。
断じてやって当たり前のことではない。
なので、その人助けをした時に、
ありがとうではなく、非難が返ってきそうなら、
もうその時点で人助けする気持ちなんて消し飛びますよ。
なんで人助けをしてそんな不快な目に合わねばならんのか。
なので、究極の人助けである人命救助をするときに、
こうすれば問題になりませんから、安心して人助けしてください、
という文章は僕には全く意味不明です。
だれが問題になりそうな人助けなんてしますか。
訴訟リスクのある人助けって、金を払わない買い物みたいなフレーズですよ。
この論点でよく出てくる、「良きサマリア人の法」を制定すれば解決する、というのもズレてると個人的には思っています。
AEDの問題の本質は、感謝の言葉、感謝の意識の欠如の問題と言うべきだと僕は思っています。
端的に言うと、
女性は相手に感謝しない属性だと思われている。
だから手助けをしようとしない。
人命が絡む上に肌を露出させるという性的な要素があるから分かりやすく顕現しているだけで、AEDだけの問題ではないんですよね。
ちなみに意識高い系の皆さんが大好きそうなオウベイですけど。
フランスに去年行った知人が一番感心したのは、みんなが挨拶すること、だそうです。
店に入る時にはこんにちわ、何か買ったら店員がありがとう、客の方もありがとう、道を譲れば笑顔でありがとう。
厳ついタトゥを入れたあんちゃんも、小さい子供も、老若男女問わずだったそうです。
日本でたまに出てくる、食事の後に感謝してごちそうさまをいうべきか、などという論争は欧米ではまず生じないと思います。
ちなみにガイドブックには、
日本人は挨拶しない傾向があるけど、挨拶しないと失礼だと思われるよ、
とやんわり書かれてました。
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二つ目。
人助けをする側にも自由があります。
助けない自由、手を出さない権利、面倒ごとを避ける権利がある。
そもそも、手助けしないことを責められたり批判されるいわれはないわけです。
以前、車椅子の人の友達の記者だかが、その車椅子の人は介助を受けても絶対に感謝の言葉を言わない、というようなことを言っていました。
何処かの車椅子インフルエンサーが、映画館の対応が悪いと言って、社長と話し合うとかとも言ってました。
別にそれはいいです。自由です。
感謝の言葉を言わないのも、対応の不備を厳しく指摘するのも自由。
しかし、それを見た人が、
じゃあこんな連中には近づくまいとするのも自由
なんですよ。
繰り返しになりますが、人助けは断じてやって当然の事ではない。
感謝されるどころか、文句言われかねない相手の手助けをする人は余程の人でしょう。
第一、誰だってこの助ける相手の選別はしています。
困った人すべてに手助けをする人なんて、余程の聖人を除いてありえません。
女性にAEDを使わないのもその選別の一つの形でしかないです。
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ここからは推測なんですが。
女性にAEDを使わないことに対して非難する人って、女性とか障碍者は、マイノリティ・「被害者」属性であり、健常者や男性は、マジョリティ・「加害者」属性という世界観なんだろうなーと思います。
で、加害者が被害者を助ける……助けるという文言そのものが傲慢とか売上から目線とか批判されそうですけど……のは当然という世界観なのではないかな、と。
まあここまで具体的に思ってるかは分かりません。
ただ、こういう世界観を無自覚に内面化してるとは思うんですよね。
だから、女性=被害者を助けるのはやって当たり前という認知になる。
当たり前だから感謝の言葉も必要ない、という認知になる。
しかし、この世界はそんな単純にできてはいません。
世界は加害者と被害者の二つに色分けすることはできませんし、男性や健常者、マジョリティは一括りで加害者ではない。
世界は複雑でややこしいです。
被害者の逆は加害者ではなく殆どの人は中立の存在です。
被害者も状況によっては加害者になりうる。善と悪も相対的なものです。
まあ世界が二元論的に単純だったらある意味生き易いでしょうね。
善なる概念に従えばいいだけの、哲学とか思索とは無縁の単純な世界。
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感謝の欠如は男女問わずの問題なのですが。
このまま進んで行くと、マジで人助けなんてしない世界になりそうでそれはそれで恐ろしい。
(https://x.com/_115415/status/1877362959338385606より引用)
……これがマジならば、相当な危険水域です。
つまりtwitterのようなギスギスSNSの外でも、女性は手助けされても感謝しない、それどころかトラブルの種になりかねない、という認知が拡散しているということなので。
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最後に。
AEDを使う時ってどんな状況でしょうか。
意識を失った人が人形のように床とか地面に倒れている、まさに目の前に今人が死なんとしている状況です。
周囲に人がいたらパニックも起きているかもしれない。
自分の行動で一人の生き死にが左右されるかもしれない。
これは、普通の人ならそう遭遇しない、
ガチ修羅場
です。
きちんと正式な訓練を積んでいる人なら兎も角、そうじゃない人が冷静に対処できるとは到底思えない。
その状況で、「これは女体を見る機会やで、ゲヘヘ」なんて冷静に考えられる奴はまずいません。
そもそも女体が見たければ、そんな場に背を向けて風俗でも行く方がローリスクかつ確実です。
これが想像できず、AEDは操作は簡単だから「配慮」する余裕があるはずだ、とか言う人はマジで
想像力が無さ過ぎる
ので少しはそのことを自覚してください。
あなたは人の立場に立って考える、その状況をイメージするという能力が欠如してます。
それと別のリスクについても言及しておきましょう。
文字通り一秒で生死が分かれる状況で、こういう「配慮」をしていたら万金にも等しい時間が失われる。
(https://x.com/HayakawaHayat/status/1877851021013127447より引用)
その結果、その女性が死んだり、障害が残ったら、さてどうなるでしょうか。
間違いなく、責任を追及されるのはそのAEDを使った人です。
勿論法的な責任は無いかもしれませんけど、高確率で八つ当たりというか怒りのはけ口にされるでしょう。
お前の処理が適切ならこんなことにはならなかった!という感じで。
「配慮」とやらを求めてハードルを上げた場合、そういうリスクがさらに増すことも考えておくべきでしょうね。
そうなるとますます手を出す人は減るだろうな、と思います。