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「何もしない」ススメ~橋の下の異空間にて~

 公園の芝生に座り込んでで何もしない(たまに居眠りする)、という私の習慣を、人に隠すようになって久しい。というのも、休みの日の過ごし方としてこれを答えると、「友達もいなくて、趣味のない寂しい人」と憐みの目を向けられることが多いからだ。もしくは、「何かメリットがあるの?映えスポットの公園とかに行くの?」と即物的な現世利益を求める反応にうまく返答できず、理解されない。だから、ここ数年は誰にも言わずにひっそりと「何もしない」時間を過ごしてきた。
 しかし、他人に全く理解されないことではないと思っていて、なんとか意義(のようなもの)を言語化しようとしてきたが、なかなか上手くいかない。だったら思い切って「何もしない」瞬間を過ごすコツや上手い公園の見つけ方のノウハウを共有することで、まずは試してもらうハードルを下げることならできるのではないか。つまり、「何もしない」講座を開催してみることとした。

1.定義
 ここでいう「何もしない」というのは、文字通り何もしないのだが、だからといって無になれ、という訳ではない。どちらかというと、「何か(意味のあることないこと含めて)をする必要がない時間を過ごす」ということである。もしかしたら、「何もしない」原理主義の方々がいて、「それは違う!異端だ!」とご指導を賜るかもしれないが、あくまで自己流なのでご容赦願いたい。そもそも、そういうイズムから離れたいからやっているのだ。一応、SNSやソシャゲの類はやめといた方が精神的に良いかも、くらいのMyルールはある。なお、必ずしも公園である必要性はないのだが、これは後述する「場所の発見」で説明する。
 こういった考えは欧州ではある程度一般的で、各国で「ヒュッゲ」、「ニクセン」という言葉で浸透している。もちろん、それぞれニュアンスが異なることもあるが、「特に何をすることもなくゆっくり過ごす」という点で共通している。自分が出会ったのはフランスだったが、フランスでは特に決まった名称はなかった。「ヴァカンスでは何もしない!」くらいの感じだった。フランス人はケチだ、と揶揄されることもあるが、何もしなくても楽しめる才能というか、文化のようなものがあり、田舎へ行くほどに、そののんびりさが心地良かった。

2.事前準備と場所の発見
 さて、「何もしない」ための準備に入ろう。自分が一番大事にしているのは、気軽さである。「ちょっと今日やってみるか」、くらいの感じで突入するのがちょうどよい。くれぐれも、「人生の役にたつ経験をしよう」とか、「充実した時間を過ごそう」といった意識の高さを持たないように。その代わり、やってみると意外と「休みの日に何もしなかった罪悪感」は生まれない。
 また、場所取りも大切だ。家の中で「何もしない」のはNGではないが、やるべきこと(家事や勉強など)や、やりたい事(ゲームや映像作品を見るなど)が目に入る環境なのでオススメはしない。カフェなども好きなのだが、空間や時間にお金をかけることで、「何かをやる」ための空間という圧を感じることがあり、ちょっと違うかな、と思ってしまう。あとはどうしても人目が気になる。というより人が目に入ってくると言った方が良い。だから、接続が容易で、外界とはある程度遮断されていることが望ましい。私の暫定解は近くの公園となっている。

 もはや私の場合は、今の家を決めるときの最大の決め手が近くに良い公園があるからだった。自転車で5分くらいの距離にある。大きな川沿いの河川敷になっているような所で、橋の下にあった。まず、周囲が川岸、もしくは植林された木々で囲まれており、絶妙に公園外の音が気にならないのが素晴らしかった。近くは結構交通量の多い道路に囲まれているにも関わらず、この橋の下という一段下になった世界では、全く別の空間にいるような感覚になれた。さらにいうと、この公園は駐車場のすぐ横に大きな芝生とBBQゾーンがあり、そのために主な客層は小さな子供連れのファミリーが圧倒的だが、そこを抜けて、少しだけ奥に入ると、そこはただ場所を持て余した芝生と味気ない植林が続くウォーキングコースのようなものがある。そこまでいくと、休日のお昼であっても、犬の散歩で通りかかる人くらいしかいない。

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 ぜひこういった穴場というか、ひっそり異空間を見つけよう。日本では、有名な映えスポットのある公園ではない限り、近所の子供たちやその家族以外はよりつかないことが多く、割と簡単にこの異空間はすぐ見つかる。ただし、身の安全には十分注意するように!完全に奥まったところよりは、走ればすぐ現実世界に戻れるような絶妙なポジション取りをおススメする。

3.いざ、何もしない!
 お気に入りの異空間を見つけたら、いざ、「何もしない」のだ!特にルールはない。自分は本を読むことはたまにあるけれど、それも難しい本とかではなくて、気軽に読める小説やエッセイばかりだ。もしくは、たいていの場合、寝落ちする。太陽の光を感じながら寝落ちする。それだけで最高に気持ち良い。芝生に寝転ぶことが多いのだが、これは欧州スタイル。ジベタリアンという言葉が死語になって久しいが、欧州の人たちはこれを地で行く。さすがに日本的な衛生観念だと気になるかもしれない。ベンチでも構わないのだが、座った体勢では、往来の人が視界に入るため、なんとなく気になってしまう。
 私のお気に入り公園の場合、寝そべり用の大きな木のベンチがあるのでなんとも嬉しい。海岸ビーチのローチェアのようなものの木製版であり、長時間寝ているとさすがに腰が痛むが20~30分なら苦にならない。そして、何より嬉しいのは、絶妙な角度だ。このベンチに寝そべると、頭の角度が斜め45度くらいになり、視界に入ってくるのは上空と木々のみなのだ。これは贅沢な環境で、全く通りがかりの人が目に入らない設計になっている。ぜひ人目を気にせずに自分だけの世界に没入してみよう。
 最適な体勢を見つけたら、あとは、完全にひとりの状態を楽しみ、ぼーっとしたり、考え事をしたりするだけだ。特に生産的なことは何もしない。長時間過ごす必要もない。だいたい約1時間といった程度だ。夏や冬は10~20分程度なことも多い。逆に春や秋の晴れた日は気持ちよく、充実感も出やすいので初心者にはオススメだ。パッと来て、パッと帰るくらいがちょうどよい。帰った後はなんとなくやるべきことに集中できて、生産性があがったような気がする。

 いかがだったろうか。結局はこの「何もしない」時間や異空間そのものよりも、その後に現実世界に戻ったときの清々しさや集中できる感じがメリットなのかもしれない。今、自分が一番近いと感じる「何もしない」ことの言い換えは「余白」のようなものだと考える。時間と時間のつながりの中に、余白を作ることで、心の均衡を保つような機能があるのではないか。そう思えてならない。瞑想のようなものとはちょっと違う気がするのだが、まだうまく言語化できていないので、その辺はあらためて整理する。あまり、良いこととか、得をするといった観点で捉えたくないからだ。とにかく、寂しいヤツとか暇なヤツと思わないで一度試してみてほしい。もしかしたら、ハマっていくかもしれない。

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