オタク、零號。
爆力魔波!ゆこです。
最近よく通話中、オタク談義で盛り上がることがあったのでオタクについて書きたいことを書きます。
オタクの産まれ方
オタクは好きな物を摂取してきただけなのに周りからオタクと揶揄されます。
王道なら問題ないのです、好きなジャンルがたまたまサブカルチャーだっただけで人は人をオタク呼ばわりする。神の子、人間。
同じ漫画やアニメ好きでもワンピや鬼滅が好きなら一般人、最終兵器彼女が好きならオタク、どちらも名作達なのは違いないのに。
ドラゴンボールは愛され、龍眼(ドラゴンアイ)は不審者です。
だけど一般人(ロンゾ族)は犯罪が起こればオタクを避難します。
金ないオタク、弱いオタク。
一般人は通す。
顔が良い奴も通す。
だけどオタクは通さない。
その結果コミュ障
他人と違う自分を自覚し始めた頃、オタクの大半はコミュ障を発症する。
同じ色に染めようとしてくるクソ日本社会と学生という立場がオタク=恥ずかしいという刷り込みを生み出すのは当然のだと考えます。
本来、オタクは自称することではないのですが、自らオタクをCO(カミングアウト)することで吊り位置をズラし立ち回るオタクは、さながら人狼の騎士のよう…
まあ、他者とのコミュニケーションを人狼ゲームだと思ってる時点でコミュ障COみたいなものなのですが。
可哀想、オタク。
だが人間には承認欲求がある。
オタク、サブカルについて学んだ知識を話したい!
それには披露する場が必要、一般人に専門的な話すれば冷ややかな目で見られるし、そもそも一般人に趣味の話をできるのはコミュ障ではない…
ここでオタクに閃光走る
オタクの「號」
オタクには"號数"という物がある。
「號」という字には優れているという「豪」、強いという「剛」「強」、極めて希少な務めを成す「毫」「業」などの意味が込められているとする。
オタク同士が作品の知識や解釈でマウントを取り合うことを、人はいつしか"號奪戦"と呼んだ。
別のオタク(コミュ障)と話せばいいんだ!
そしてこう。
少し話が前後しますが、さっきの"閃光"というワードはかなり危険で、號奪戦の最中にそんな隙を見せたらガンオタにハサウェイ原作の話で耳をもがれますし、もし閃光(センコー)だったら右のカウンターでぐちゃぐちゃにされます。
自分はガンダムを読んでないのでいつもこのワードで危険になりますが、はじめの一歩界ではカラカル(自由にはじめの一歩の知識を披露する様がそう見える)と呼ばれているので、右カウンターで息の根を止めます。
そんな激しい號奪戦の中特化した知識しか持たない弱いオタクはコンプレックスを抱くらしい。
聞こえるか、オタコン。
要するにオタクはオタクと話すしかないのだが、オタクと言えど流石に義務教育は受けているのでワンピや鬼滅、呪術やハンタなどのメジャー所の話も勿論出てくる。
それについていけないオタクや、追ってきたジャンルがたまたま被らなかったオタクはコンプレックスを抱えるらしいのだが、当時中学生の自分はミステリにハマり、その膨大な作品数に絶望したのでその気持ちはよくわかる。
安心してほしい、君がこれから多数の作品を追ってもオタク文化はこれからも進歩し続け、"完成"させる人間=オタク零號は絶対に出ては来ないのだから。
このままのスピードでオタク文化が発展したらオタク零號はどこまでいけるんだろう。
離れ離れになった悲しいオタクたち、出口見えない感情迷路でオタク、待ってるの?
白いノートに綴ったようにもっと素直にオタクしたいよ。
ここからサビ。
オタク、零號。
召喚士は通す、ガードも通す
オタク零號は生まれない。
オタク、蠱毒
オタク零號は生まれない。
オタク、孤独
オタク零號は生まれない。
終わり。
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